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食事は「全部食べること」が目的ではないし、強制するものでもない

■ 栄養としての「食べる」


「食べる」という行為は、人間が生きるうえで欠かせない。
いや、人間だけでなく生物にとって必須の行為である。

水分摂取が必須であることはどの生物においても共通しているが、必要な栄養素を自ら生成できる動物または植物は珍しくない。

例えば、馬は水と干し草だけで生きている。干し草そのものに筋肉を構成できる栄養素はないが、馬は干し草の窒素を利用して体内でアミノ酸やたんぱく質を生成できる。だから、干し草だけでも馬は筋肉ムキムキなのだ。

しかし、人間は5大栄養素を摂取しないと肉体のバランスを維持できない。
これら栄養素を摂取しなくても生きてはいけるが、年月を重ねるごとに、そのツケは体調不良や病気(あるいは死)といった形でやってくる。だからこそ、人間はバランスよく食物を摂取する必要がある。


■ 食事は本来強制されるものでない


もちろん、これは可能な範囲での話である。経済的な事情もあるだろうし、アレルギーや胃腸の消化不良などにより摂取できない・量が少なくなるといった事情もある。
私も子供の頃から胃腸が弱く、1日3食を守っていたときは消化不良を起こしており学生時代は苦労した。起床して半日経過しないと胃腸が食事できる状態にならないと分かったのは30代半ばになってから。そこからは1日1回の食事をベースにしているが、栄養バランスは意識していることもあり、今のところ少しカロリー不足であること以外は健康診断や医者からは特に指摘はない。

――― 何が言いたいのかと言うと、食事というのは5大栄養素や1日3回という基本はあるけれど、それはあくまで基本であって強制されるべきことではないという話だ。

食べられないやむを得ない事情があるのに、それを「栄養は大事」「1日3回の食事はルール」みたいにするのは本末転倒な感じがする。

また、栄養摂取と肉体維持(あるいは発達)が生物としての食事の目的であるものの、せっかくだから好きなモノを味わったり、他者とわいわい言いながら食事を楽しみたいという気持ちだって大切だ。そこで栄養摂取や1日3回などを言おうものなら、一気に食事が楽しくなくなってしまう。


■ 「全部食べること」を強制する介護職員


何だか当たり前のことだが、意外に食事に対して厳格なルールを強制するような人たちがいる。

例えば、私が身を置く介護業界においても、介護職員が利用者たる高齢者に対して飲食を強制するような働きかけをする場面を見かける。

「全部食べないと栄養にならないよ」
「コップの水を全部飲まないと脱水症状になるよ」

これらの発言は利用者の身を案じてのことだし、栄養管理としては正論を言っている。しかし、それはあくまで正論であって利用者からすると負担になてしまうこともある。

例えば、AさんとBさんという利用者がいたとして、仮に年齢も体格も同じだとしても、食べる量が異なったり好き嫌いがあることは当然ある。

Aさんがちゃんとお膳の食事を全部食べたとししても、Bさんも食べきれると思うのは適切ではない。そこで「Aさんは全部食べたから、Bさんももう少し頑張りましょう」というのは食事の強制になりかねない。


■ 全部食べればいいのか?


もちろん、上記でも伝えたようにBさんの栄養管理として全部食べるのが良いことは分かるし、脱水症状のリスク防止として用意した水やお茶などを飲んでほしいと思うのは分かる。

しかし、食事は「全部食べること」が目的ではない。

もしも栄養摂取が目的なのであれば、それこそビタミン系のサプリメントやプロテインなどを1つにして提供すればいい。最近では完全栄養食なるものも販売されている。カロリー補助で言えばエンシュアなどの処方栄養剤だってある。
これらは補助食品であるとは言え、高齢者の栄養摂取だけを目的とするならば十分であろう。

しかし、栄養摂取だけを目的とした「全部食べること」だけを良しとする食事提供は、果たして食事と言えるのだろうか?

このような「全部食べること」を目的というか目標にしている介護職員は少なくない。それは自力摂取できない利用者に対して食事介助をするときに伺えることがある。

具体的には、"わんこそば"のように次々と口に食物を入れたり、せっかく見た目も楽しめるようにしては配膳しても"猫まんま"のように混ぜてしまったりとするのだ。

これは早く介助を終わらせたいという焦りもあると思うが、では「全部食べること」を目的とした食事介助は、介護のあり方として正しい姿勢か?
――― おそらく誰もが「NO」ということだろう。度を過ぎた「全部食べること」の強制は、下手したら虐待行為に捉えられてもおかしくない。


■ 別に全部食べなくてもいい


どの介護施設でも、栄養管理に配慮された食事提供が行われていると思う。
それは1日3回・全部食べるということを前提にしている。

しかし、栄養というのは1日3回のうちどれかが欠けていても、1食当たりの摂取量が少なくなったからと言って、すぐに体調を崩すとか栄養不足になるということはない。

また、上記でもお伝えしたように人間の体は個々に異なるので、同じ年齢・体型の人だからと言って同等量を食べることができるとは限らない。当然ながら好き・嫌いだってある。

利用者によっては認知症の症状などから、不機嫌になったり食事に興味をなくすといったことから食事が中断・提供不可になることもある。

このように考えると「別に全部食べなくてもいい」と思わないか。

栄養摂取は1食あたり・1日あたりで目くじらを立てるのではなく、1週間あたりで考えても良いだろう。そもそも、高齢の方ともなると年々食事量が減っていくのは自然のことである。

特にベッド生活となり活動量が落ちたり、看取りなどの「もうそろそろ」「いつ何があってもおかしくない」という高齢者においては無理な飲食が痰絡みや誤嚥リスクを招くことだってある。「もう食事は提供しない(できない)」という判断だってある。

高齢者介護としての食事提供ならば、余計に無理に「全部食べること」に固執しないほうが良いと思う。


――― 他人が嬉しそうに食べること、たくさん食べること、そして自分たちが提供している食事を全部食べる風景を見ると嬉しくなる。しかし、それはあくまで食事をする当人たちの喜びであって、提供している・介助している側の価値観を押し付けてはいけない。

残すことを毛嫌いするならば、食事量を減らすということだって手だ。
誰もが同じ量を提供することにこだわる必要はない。

すぐ満腹になってしまって残すのだって、個々に脳機能の変化だって関係しているし、その後で「お腹が空いた」と言ってきたら、おやつ等で調整することだって1つの手だ。

まあ、このあたりは介護現場や事業所の方針もあるだろうから口出ししないが、あまり「全部食べさせなきゃ」という変な使命感に囚われないようにしてはどうか、という意図から本記事を書いた次第である。


ここまで読んでいただき、感謝。
途中で読むのをやめた方へも、感謝。  

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