新アルバム"Life Canvas" リリースしたからちょっと描いてみる。
5/1にOsteoleucoの3rdアルバム “Life Canvas”をリリースしたからちょっと書いてみる。
2016.11.16にMGFとして人生初のアルバム“Float in the Dark”をリリースしてから今回で通算7枚目アルバム。
「自分がクソだと思うものほど出す。」
今回のテーマはコレに尽きる。
僕は音楽も絵も何かを作る時はかなり細かい方。
人に良く見られたい一心で、必死に取り繕った自分を作品に乗せて見せようとする。
(良いものを作ろうとしているだけだからそんな自嘲的に捉えなくてもいいと思うがそういう性格なのでしょうがなし。)
神経質で気にしぃで、頭の中で描いたものがそのまま作れないとすぐにその作品への愛が尽きてしまう。
絵も描き始めの1手目が気に食わないとすぐに集中力が切れるし、
音楽もはじめの4小節を作ってすぐ「これじゃない」と決めつけて永遠に放置してしまう。
(例えば「優しくしないで’94」のトラックもそうしてゴミ箱に入れていたところを、たいぽんとしげまるに掘り出してもらって作った感じなのです。)
自ら望んでそのスタンスを取っているのに実はそれが結構キツい。
つくったものが気に食わない度に「俺ってなんて才能がないんだ。」と自ら暗闇にダイブしてしまう癖がある。
僕の夢は一生作家でいること。
(そしてあわよくば一人でも多くの癌患者の希望になること。)
なので、その夢を達成するためには今の状況はあまりよろしくない。
つくる度に「これじゃない」を続けていたら制作が嫌いになってしまうどころか、また癌になってしまう気すらする。
これは変えんといかんなー。
ってことで制作したのが今回のアルバム”Life Canvas”ってわけなのです。
これからの作家人生をかけて自分をリニューアルするために、まず絵を描き始めた。
書きながら昔のデータを見ているけど、2022.3.2のことだった。
何を描いても、たとえ気に入らなくても、それをストーリーに載せる。
もっと言えば公開するだけじゃなくて、
どんなものも愛す。
「これなかなか良くない?」って。
適当に描いたものを良くない?なんて思うことはナルシストみたいで今まで絶対にできなかった。
それをずーっと続けて、今ストーリーのハイライトにあるNo.485まで描いた。描いてるものも、サイズも、全て変わった。
絵は僕にとって音楽よりもさらけ出しやすくて、すぐに満足しきっていないものを公開することに慣れた。
言い値で売ったり個展をしてみたりしたら今までで60人くらいの人に絵を買ってもらえて総額で100万円をゆうに越してた。
今は来月に金沢で行う個展のために制作をしてたりと、絵を描き始める前は想像もしていなかったことがたくさん起こった。
体も心も軽くなった感覚が確かにあった。
それからすぐ文章も描き始めてみた。
今noteの初投稿を見たら2022.3.7だった。
絵と文章はほぼ同時に始めたんだな。
noteも当時は毎日投稿するようにしていた。
書いたら書き直さず、読み返さず、すぐに投稿。
「上手い文章?死ねや!そもそもそんな文章書けねぇだろ?書いたらとにかく出せ!ダメだと思うものを出す練習だ!」
文章は絵よりも羞恥心が強く、そう念仏を唱え続けて書いてた。
これを続けて、今見てみると今日までに244記事投稿してた。最近飽きて全く書いてないけど笑
これは別に収益にはなってないけど、noteから音楽や絵をチェックしてくれるようになった人は何人もいた。
自分が良いと思っていない自分をどんどん出すことで、マイナスなことは1つもなかった。
いろんな友達が増えたし、仕事も増えた。
そして何より制作が楽しくなった。
子供の頃に何も考えずに歌って絵を描いてたあの感覚を少し取り戻すことができた。
でも音楽で同じことを実践するのはまだハードルが高かった。
文章もなかなかだったけど、「歌う」ということは自分にとって相当に生々しくて恥ずかしいことなんだと思う。
文章書くだけなら言えるのに、歌うとなると言えない。
(その局面に立つ度に「こんな奴はアーティストとは言えない。いとダサし。」などと思いまた暗闇にダイブするのである。)
絵と文章でさらけ出しの練習をしながら、その以前から制作をしていたアルバムが2022.6.27にリリースした「いっそ死のうか、いや創ろう。」だ。
英題:Rather Create Than Drop Dead
この作品は制作当初から「こだわり抜く」と決めていたのでしょうがないけど、今までで一番潔癖が出た、いや出した作品になった。
本当にあれは「死のうか」と思うくらい考え込み過ぎてしまった。
おかげで自分では大変大変満足いってるし、たくさんの人に聴いてもらえたし、その上レコード化もできたけど、
メンタルと体へのダメージは相当にデカかった。
作り終わったあとは空洞になってしまった。空洞を通り越してもはや概念。
実体のないエネルギーのみが蠢いている宇宙創生前の状態。
これじゃいかんいかんと、俺は一生作家でいるんやと、文章と絵みたいに音楽も楽に作れるようになるんやと、
そう心に決めてその半年後の2022.12.14から絵と文章のスタイルを音楽でも実践し始めた。
音楽は配信会社との取り決めで2週間に1曲リリースにすることにした。
絵と文章は毎日だったからそれよりだいぶ楽やんと思うかもしれないが、
編集したりアートワークの制作もあるので全然時間がない。
考えてたら絶対に2週間に1曲なんて無理。
僕はトラックは割と作るの早いけど、詞にとてつもなく時間とエネルギーを使う。
ここを乗り越えるのはもう割り切るしかなかった。
詞は書かない。
朝起きて何も考えずレコーディングボタンを押して出てきたことをそのまま収録しよう。
そうして、最近絵を描いてること、モネとダリが好きなことを歌った
“モネダリ”を作った。
ベースはシモンがリハ中に急に弾き始めたフレーズをそのまま使った。
味付けはしなかった。
制作時間は2人合わせて5分程度だったと思う。
つくった時は「とうとう俺はこんなくだらないものをつくるようになってしまったか。」と自分を蔑みまくっていた。
(シモンがずっと最高だぜブラザー!!!と言ってくれるのが精神障害のカウンセリングに通っているみたいでなかなか不安だったのは内密にしておくように。)
ところがこの曲をリリースして2ヶ月後、パリでのライブを終えて牛丼屋でも入ったかのような激安モーテルのベッドでシモンと今後の制作について話し合っているところに、松重豊さんの「深夜の音楽食堂」出演のオファーがきた。
松重さんから「“モネダリ”最高です。」と。あの時シモンと大爆笑しながらHIFIVEしたのは一生忘れないと思う。
絵の時と同じように、自分が切り捨ててきた部分に目を当ててみたら思いもよらないことが起こった。
悪いことは1つも起こらなかった。
(MGFの時のラップやNocturneみたいなラップを聴いてくれてた人は離れてったかもしれないけど)
自分の限界は自分で決めてはいけない。ダメだと思うことで限界は発生してしまう。
そろそろ飽きてきたから終わりにしたいのだけど、
もし自分の制作物や自分自身が嫌いな人はぜひ聞いてみてほしい。
側から聴いたらもしかしたらこの “Life Canvas”も「ちゃんとした」作品に聴こえるかもしれない。
でも当の本人は、自分の見られたくない部分を積極的に切り取って出しているつもり。
つまりあなたの恥ずかしいも、誰かにとっての「良い^^」かもしれないよ、と。
まぁそんな感じです。
この文章も読み返しません。読み返すと多分アップしたくなくなるから。でもアップするんです。
絵を買ってくれる人や、モネダリを良いと言ってくれた松重さんのように
どこかの誰かの心に何かが起こるかもしれないしね。
このアルバムが誰かの暗闇を晴らすことを願って。
“Life Canvas” 聴いてみてね!
ちなみに自分的推しは”The 悩殺新幹線”とライブで進化していった”Babylonia”でっす。
好きな曲あったら教えて~🧠
New Album "Life Canvas"はココから聴けます↓
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