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花屋,死んだよ

当たり前のように,平凡なことのように伝えられたその事実が妙に非現実的に感じられて
「え,うそやーんw」
などと言った.
「嘘な訳あるかい」
ペしっと返されてしまって,思考がふわふわ飛んでいってしまった.
本当に,本当にしんでしまったのか?
花屋はしんだと言うこの婆さんも,いつもすっとぼけているし,来月には私と喋ったことなんて忘れてしまうんだ.
その人の言葉にどれほど信憑性があるのか.

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2年ほど前から関わるようになった,地域の小さなフリーマーケットで私は出店者から集金する係をしている.
「集金屋のねーちゃん」「集金屋さん」「お嬢ちゃん」
花屋さんはじめ,みなさん私のことを半分ふざけてそう呼ぶ.

コロナと高齢化のダブルパンチで出店数が激減したこのフリーマーケットに新たな風を吹かせるべく参画させてもらった私は,まだ何もうまくできていない.
地域の●●といったコミュニティに入っていくのは普通なかなか大変なのだが,ここは全く嫌なことがない.
新参者にとても優しいし,「新しい人を呼んでほしい」と私に積極的に言ってくれる.
誰も新しい人を毛嫌いしないし,むしろ積極的に交流してくれる.

花屋さんも私を可愛がってくれるお一人だ.
「ねーちゃん,若い人たくさん呼んでや.期待してるで.」
「嬢ちゃんが来てくれてから雰囲気がよくなった.」
昼前からビールを飲み,タバコを吸う花屋さんはガスガスの声でそう言ってくれる.

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花屋さんの訃報を聞いた時,信じられない気持ちとほぼ同時に「お線香をあげたい」と思った.
お線香をあげたいなんて,人生で初めて思った.
お線香をあげたことはあるが,”あげたい”とは…

私は間違いなく花屋さんが大好きだった.
苗字しか知らないし,住所も電話番号も知らない.
(苗字も本名かわからない)
月に一回フリーマーケットで会うだけで,普段何してるかも知らない.
多分花屋さんは私の名前すら知らなかったと思う.
花屋さんとは出会って1年くらいしか経っていなかったのに.
ビールを飲んで,タバコを吸って,ガスガスの声で売ってくれる色鮮やかなお花たち.
お花が余計鮮やかに見えるよなんて言ったら,笑いながらしばかれそうだな.

花屋さん,ひとりで死んでしまったの?
せめてさ,お墓の場所くらい,伝えておいてよ.
まだまだいっぱい一緒に笑いたかったし,
ここを賑やかにしようって頑張っているから,お店が増えたねーって一緒に喜びたかったよ.

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実は半年くらいこの事実を受け止めきれなかった.
はじめの訃報は確か11月頃聞いたと思う.
あのすっとぼけている婆さんは今月も会って元気そうにしていた.
よかった.
まあ,私のことはまた忘れていそうだけど.

花屋さんのお墓がどこにあるのかは知らない.
ご家族もいない様子だったし,本気で探せば見つかるかもしれないけど今はちょっとまだ気持ちが落ち着かない.
でも,「お線香をあげたい」という私の気持ちを尊重したくて,花屋さんが死んだという事実を受け入れることができたこの折に気持ちを少し出しておきたかった.

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