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自分の古墳をつくりたい

古墳ってゆうとあの“前方後円墳”を想像する人が大半なんだけど,
「古墳」ってゆうワードを出しているだけで,現存しているような古墳を作りたいわけじゃなくて,「しぬ場所」をつくりたい.
あと,私の古墳のイメージは岩岩したやつ.

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なんで「古墳をつくりたい」とか言うようになったかというと,大学生時代半ばにまで遡る.
(私は留年して7年間在学していたので,大学生半ばというと3,4年生の頃)
私はそれまでの自分から脱したくていろんなイベントやらまちづくりやらに参加して,とにかく動き回っていた.
その中で小さな工務店のインターンに行く機会があって,そこでイベントをしてまちに賑わいを生もう,という役目をもらった.
いわゆる“まちづくり”ってやつ.
「まちづくり」というワードが嫌いになったのもこの出来事が大きな要因のひとつだ.
私は企画書を書いて,町の長たちとの会議にこぎつけた.
長は3人いた.
私がひと通りプレゼンしてから長の1人が言った.
「君の考えはわからんくないが,じゃあ君はここに骨を埋める気はあるんかい?」
…え??
ちょっと意味がわからなかった.骨を埋める??考えたこともなかった.
と同時にものすごく腹が立ってきたし,すぐに反論できなくて悔しかった.
私はそのまま内心逆ギレして,この企画はおじゃんになった.
(実際はそこそこ穏便に白紙になった.)

今思えば,「そのくらいやる気があるのか?」ということなのだろうけど,そうだとしても私は腹が立つ.
結局その町の人たちが「変わりたい」とか「よくしたい」とか自分事として考えてないとどうしたって無理だ.
もちろん関わる側も自分事と考えていないといけないんだと思っている.
そんな人たちを説得してまで「まちづくり」なんてものをする意義が私には見つからない.
逆にポジティブな考えを持っているけど,自分たちでどうにもうまくできないなぁ,という人たちとは全力で一緒に考えて行動したい.
一の市は,だから,条件は悪いんだけど頑張れる.

そう,で,その「骨を埋める気はあるんか?」という問いがすごくショッキングで,それからずーっと頭にこびりついてしまった.
はじめは「骨を埋めなかったらイベントも企画しちゃいけねーのか?怒」などとプンプンしていたけど,
次第に己の死生観を考えるようになって,「じゃあ私はどこに骨を埋めたいんだろう?」と思うようになった.
それから,どうゆう風にしにたいかや,どうゆう風に生きたいか,人生の最後はどんなところに暮らしたいか,などを日々悶々と考えるようになり,
最終的に(今のところ)自分の古墳をつくりたい,ということになった.

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さて,古墳といえど,いわゆる古墳ではない私の思い描く古墳は,
つまり,【最後の棲家】であり,【しを迎える場所】であり,【お墓】である場所である.
これは完全に理想論だけれど,
私は晩年,自分の気に入った土地に自分の家を建て,そこで暮らし,ある日その寝所で目を覚ますことがなく,火葬された骨はまたこの家の寝所に戻ってくる.
近しい人たちが時折この墓となった家に来てくれて,そのうち忘れられ,自然に侵食されて小さな丘になる…そんな最後を思い描いている.

私の古墳.絶対につくりたい.これは野望である.
まずはVR空間で実現しようと思う.

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