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よなよなのつれづれ(移動ドなど)

僕は絶対音感無いけど移動ドも固定ドも使います。相手にしている音楽によって都合のいいほうを使えばOK。固定ドもさっき聞いた音名のわかっている音を基準に無意識のレベルで測れば大体可能。

絶対音感が無ければ移動ドは簡単かと言うとそんな事は無くて、訓練が必要です。

移動ドのトレーニングがもう少し普及して欲しいけど、移動ドを提唱する人が少なからず固定ドを敵視し過ぎと言いますか、移動ドを深めるというよりは固定ド教育を潰すことが目的になっているように見えて、これはやめた方がいい。単に生真面目(きまじめ)なんだろうけど、もしくは絶対音感の無い事に余程のコンプレックスがあるのか、僕には信念の使い方を誤っているように見える。固定ドもしくは絶対音感のデメリットの提示は必要と思うならやってもいいけどデリケートな問題で誰でも見れる場所ではネガキャンになりやすいです。

じゃあどう深めていないかと言うと、移動ドが適用しやすい状況と適用しにくい状況の提示すら出来ていないです。転調の手法を克服すれば解決すると思い込んでいるかたもいらっしゃるように見受けますが、例えばポップス、特に洋楽に当てはめると音名でうたうしかないような極端な音使いではなく普通に聴こえる音楽にも移動ドを当てはめようとすると別解が存在したり、これどうやって歌うんだ?というケースが出て来ます。

専門家のかたはコメントをいただく際にこの2問の回答も付けて下さい。解こうとしないかたはこれが解けないと判断します。

移動ドをポップスやジャズに適用する時は「別解」との付き合い方も移動ドを通じて音楽を理解する楽しみの一つと考えています。

色々な曲が音楽の教科書に載る時代です。そんなに変な事を言っているとは思っていません。

絶対音感を持っていることを苦痛に感じる人もしばしば見かけます。その全てに配慮することは難しいですが、固定ド教育への行き過ぎた非難はその人達も苦しめていますよ。いまいちど移動ド教育を広める目的を確かめてみては如何でしょうか。「犠牲者を増やさない」より効果的な方法がきっとあります。

確かに固定ドだけで教える先生が日本には多過ぎるようには思います。

気になっているのはギタリストで移動ドの人の中には指板の配列で覚えてたりする。そういう楽器の形に依存した音楽の捉え方だと移動ドでも固定ドでも音楽を抽象化する力、つまり音楽の実体を捉える力は弱々(よわよわ)になりがちで、表現力に乏しくなりやすいんじゃないかな。

まぁ速く弾けたり難易度の高いのできればもてはやされがちだからそれでも大丈夫ですけどね。

【2024/6/2(日)更新】

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