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noteへの連続毎日投稿を開始して1609日目です。プロフィールを更新します。9回目の更新になります。

ここまでの全記事のタイトルリストとURLリンクはまとめてあります。
https://sakuraixlab.com/NoteMagazineKenjiSakuraiArticleList.htm

■このところの noteスタイル

1日1投稿を続けております。2024年5月現在の私のnote 投稿の週替わりメニューは、こんな感じです。

インターネットでは、非常に多数の読者・視聴者に対する露出を求める方々が多いと感じます。自分が提供する製品・サービスを少しでも多くの顧客に提供したいとする、販路拡大的とでもいうのか、マーケティング的な発想と近いでしょうか。

その気持ちは、わからないでもありませんが、個人的には、note投稿では、見ず知らずの不特定多数への露出はあまり良い結果をもたらさないと考えるようになりました。インターネットの初期であれば、そうでもなかったかもしれませんが、いまは、なにがしかの垣根とか、フィルターが必要な時代であるように思っています。

月曜日と金曜日は、以下の企画に参加しています。このような企画をされている方々のご活動はとても素晴らしいことと、いつも感謝しております。

■マガジン「群盲評象」ご購読御礼

私の有料マガジンをご購読の皆様に御礼申し上げたいです。数あるnote のクリエーターのなかから、また多くあるマガジンのなかから、お選びくださいまして誠に有難うございます。

私の記事に関心をお持ちの皆様には、どなたにもマガジン「群盲評象」をお薦めしております。初めての方は、どんな記事が出ているかを「群盲評象ショーケース(無料)」でご覧いただけます。こういうものを毎日読みたいという方は、1年分ずっと毎日読める「群盲評象2024」、お試しで1か月だけ読んでみようかという方は「月刊群盲評象」をどうぞ。

先述の通り、不特定多数の方への過度の露出は抑える一方、マガジンご購読の皆様には、毎日、多くのことをシェアしたいと強く願っております。

マガジンご購読の皆様には、AIを駆使して製作した七言律詩集や、自作プログラム(Webサイトでは見つかりそうもない、非常に桁数の多い整数の素因数分解など)もご提供させて頂いております。ご希望の皆様には、ライブでのトークやコミュニケーションも企画したいと思っております。

2019年12月29日から2021年7月31日までの全過去記事(582本)は、マガジン「群盲評象2020」に、2021年8月1日から2022年12月31日までの全過去記事(520本)は、マガジン「群盲評象2022」に、2023年12月31日までの全過去記事(370本)は、マガジン「群盲評象2023」に、収録されております。

■毎日noteと毎日音声配信

2021年3月23日から、Voicyのプラットフォームで、毎日音声配信を開始しました。もともと、毎日note 投稿をしておりましたので、毎日、note1投稿とVoicy1音声配信のセットを行う日々になりました。既に3周年を通過し、4年目に入っています。火曜日と木曜日のnote記事は、こうした音声配信で語った内容を下敷きにして、さらに補足、加筆、強化したものになっています。

これまでの放送のアーカイブは以下のリストに出ています。https://sakuraixlab.com/VoicyRadioTalkListKenjiSakurai.htm

必ずしも「毎日連続」にこだわっているわけではありませんし、それ自体は目的でもなんでもありません。ただ、単純でわかりやすくて、続けやすいという利点はあるかと思います。

■継続は力なり

周囲を見渡すと5年とか10年(=3650日)とか15年(=5475日)とか、毎日毎日ブログを書き続けておられる方々がおられ、いつも心から敬意を払わさせていただいています。「継続は力なり」の言葉通りです。そのような継続によって、容易には得られなかったであろう質的な高みに達しておられるように思えます。それが、私が「継続」あるいは「続ける習慣」に注目する理由です。ほんの一例ですが、三橋貴明さんは、2015年9月27日に次のようにお書きになっていました。

文中にある「すなわち、書き続けているからこそ、書けるのです」が、ずばりそうだろうと思ったので、引用させて頂きました。ほぼ同趣旨のことをおっしゃっている著者は他にも大勢おられます。

江戸初期の頃に全国に名声をとどろかせた兵法家、剣術家である宮本武蔵は「五輪書」の水之巻の1番最後に次のように記しています。

右書付くる所、一流の剣術、大形此巻に記し置く事也。兵法、太刀を取りて、人に勝つ所を覚ゆるは、先づ五つのおもてを以て五法の構をしり、太刀の道を覚えて、惣躰自由になり、心のきゝ出でて道の拍子をしり、おのれと太刀も手さえて、身も足も心の儘にほどけたる時に随ひ、一人にかち、二人にかち、兵法の善悪をしる程になり、此一書の内を、一ヶ条/\と稽古して、敵とたゝかひ、次第/\に道の利を得て、不断心に懸け、急ぐ心なくして、折々手にふれて徳を覚え、いずれの人とも打合ひ、其心をしつて、千里の道も、ひと足宛はこぶなり。緩々と思ひ、此法をおこなふ事、武士のやくなりと心得て、けふはきのふの我にかち、あすは下手にかち、後は上手に勝つとおもひ、此書物のごとくにして、少しもわきの道へ心のゆかざるやうに思ふべし。縦ひ何程の敵に打ちかちても、ならひに背く事においては、実の道にあるべからず。此利心にうかべては、一身を以って数十人にも勝つ心のわきまへあるべし。然る上は、剣術の智力にて、大分一分の兵法をも得道すべし。千日の稽古を鍛とし、万日の稽古を錬とす。能々吟味有るべきもの也。

剣術家、武蔵の人生そのものにとても心惹かれます。その武蔵が晩年に書き残した五輪書はどこを読んでも重要な発見があります。上の文中には、「急ぐ心失くして」(「急がず、時間をかけて」)、また「千里の道も、ひと足宛はこぶなり」、さらには「千日の稽古を鍛とし、万日の稽古を錬とす」と書いています。稀代の天才剣術家が、ここまで地道で継続的な努力の重要性を説いていることを重く受け止めたいです。

「ただ稽古をやれ」という単純な話ではありません。「急ぐな」と戒めています。ありがちながむしゃら精神主義とは全く違っています。虚心に稽古をずっと続けていることで、自然に会得する部分があります。また五輪書の随所に書かれている種々の事項にも考えを及ぼすことで、上達できます。朝鍛夕錬の稽古三昧の日々の連続は、その上達がまた次の上達を呼び起こす論理的な内部構造を持っているのだ、と武蔵は言いたかったように私は解釈しました。先の「書き続けているからこそ、書ける」のような、継続的な行動が質の転換をもたらすのと共通点があるのではないでしょうか。

■経歴と近況(2024年5月)

私は一生の大半を理工系の研究者として過ごしました。国立の研究機関にて昭和63年(1988年)4月から令和2年(2020年)3月まで、32年間(国立大学大学院を16年間兼務)、自分の研究室を運営しました。コロナ禍だった2020年3月に定年退職後、2020年11月に私立の研究所を開業しました。

経歴や業績、プロフィールなどは公開されています。
https://researchmap.jp/kenji.sakurai.xray

2018年、2019年と続けて書籍(編著書)を出版しました。

(日本橋の丸善にて 2019年12月)

少し前に、もう1冊、英文の書籍の執筆を終えました。出版元はイギリス物理学会です。印刷準備中です。今後も書籍出版に意欲的に取り組もうと思っています。

■プログラミング40年超

気がつくと、私のサイエンス・プログラマーとしての活動は40年を超えました。研究者として過ごした全期間にわたって、必要になった実験機器制御やデータ解析のソフトウエアのほぼ全部を自作しました。2024年2月は、私の愛用する Delphi (Pascalベースのプログラミングツール)の29周年です。私は、その Delphi のユーザー歴が28年だというだけでなく、その前の Turbo Pascal も含め、もっともっと古いユーザーです。エンバカデロ (https://www.embarcadero.com/jp/products/delphi) の営業の方から電話をもらったとき、思わず、その歴史を熱く語ってしまいました。おそらく、その営業の方がお生まれになる前から、プログラムを作っています。Delphi だけでなく、いろいろな言語を使ってツール開発をしてきました。

■伊勢・鹿児島・イギリス

私は伊勢市宮町で生まれました。あの伊勢湾台風の年のことです。記録に残るような大型台風を生き延びた、生まれながらにしてというか、生まれる前から強運の持ち主です。生家は伊勢神宮の外宮のすぐ近くでした。父は毎日、私を連れて、外宮や今社という小さな神社を散歩し、国鉄の駅で蒸気機関車を見せたということでした。三重県にいたのは幼少の頃だけだったので、自分にとってゆかりの地という自覚がいまひとつでした。でも、いまは違っていて、ほぼ毎年訪れ、神宮への参拝はもちろんのこと、かつて歩いた道をなぞるように踏みしめたりしています。父は転勤で伊勢を離れた後も、何10年という長い年月にわたり、伊勢との接点を維持し続けていました。その父の習慣を引き継ぐことにしました。

研究の仕事で外国に出かけ、滞在中、プライベートに食事に誘われたりした折には、たいてい、郷里はどこだ、どこで生まれたのだと聞かれます。ですが、伊勢だと言ってわかる人はめったにいません。それ、どこにあるのか? なにかあるのか? と聞かれます。伊勢神宮の話は、何も知らない人たちには???と思うようです。神社仏閣は、京都、奈良に十分あるので(確かにありますが)、なんで伊勢に?とか思うみたいです。おそらく、おかげまいりは、もっともっと不可思議です。その昔、日本中で非常に大勢の人たちが、遠路はるばる、伊勢を目指しました。あまり明確な宗教上の意図や目的がないにもかかわらずです。ミステリアスな伊勢の地に生まれたことを、私は嬉しく思い、父母に感謝しています。このところは、伊勢神宮125社をすべてお参りすることを近い将来の目標にしています。既に83社お参りを済ませましたので、残りは42社です。

私は高校時代、親元を離れ、鹿児島県で過ごしました。高校では山岳部で活動し、屋久島、霧島、高隅、開聞岳などに出かけたのがよい思い出です。

山岳部の日頃の訓練は、ほぼ他の運動部と共通。その上、同級生を負ぶっての階段上り下りや、重いザックを背負っての屈伸運動、テントの組み立て・撤収のスピード競争、校舎の壁の懸垂下降など、珍しいメニューもあります。ほぼ毎週とはいかなくても、2~4週に一度、天候に関わりなく、霧島山系、高隅山系、あるいは近くの低い山々に出かけて、トレーニングの登山をやっていました。肉体的にはつらい部分もありますが、山の中を歩くと、季節の変化をその都度、感じ取ることができます。天候、季節、時間帯で同じ場所の風景がまったく別物になること、その時の自分のコンディション次第では、迷わないはずの道で迷い、さらに深まる危険も随所にあることなど、身をもって経験しました。年に2回ほどある大会では、屈強そうな体格のメンバーがそろっている他の高校の山岳部には、とてもかなわない感じでしたが、勝敗を別として楽しい記憶になりました。

鹿児島では、西郷隆盛(西郷どん、南洲翁)が今でも1番人気です。島津の殿様よりも、どの幕末の英雄よりも、です。西南戦争で賊軍になって敗れて亡くなってもなお、明治天皇はじめ、多くの人々から愛され、大日本帝国憲法が発布された1889年(明治22年)、名誉回復を果たしました。ここまで多くの人々の支持を得るに至ったのは、やはり、それだけのしっかりした信念と覚悟、それらを支える哲学的な理念と深い学識、人を惹きつけてやまない人間的魅力があったためと考えられます。人気者と言えば、弁舌滑らかで、耳ざわりのよいことを軽やかに語る大衆迎合的なスタイルを頭に描きがちですが、西郷どんは、まったくそうではない、その正反対の人物でした。若い頃の西郷どんのそんな素質を早くに見抜いて抜擢した島津斉彬公の慧眼は素晴らしいとしか言いようがありませんが、明治維新以後の活動を見れば、誰の目にもそれは明らかでした。

遺訓集である「西郷南洲翁遺訓」は、旧庄内藩士らが鹿児島県まで西郷どんを訪ねて来たときに教わった言葉を主に記録したものということです。なぜ地理的に遠い庄内藩が? と誰もが思うでしょう。幕末から明治の時代へ向かう混乱期に起きた江戸市中での薩摩藩邸焼き討ち事件や戊辰戦争の仕置きについて、西郷どんが寛大な対応をしたことに端を発しています。

日本人のリーダーはこうであってほしいというような人物でした。

私はイギリスに住んだ時代もあり、イギリスの話なら、いくらでもできる感じです。国家公務員を海外に派遣する人事院の在外研究員制度に応募して、イギリスの大学に研究員として滞在しました。London や Cambridge には、日本人も大勢住んでいるのですが、私の研究場所は、Warwick University という大学で、隣の Kenilworth という小さな町に住んでいました。たぶん日本人は町全体で私一人だけです。珍しい体験をいっぱいしたので、その気になれば、1~2冊程度なら本を書けるかも。でも、そういう考え方はちょっとおかしいです。noteとか、ブログとは違い、わざわざ出版される本のようなものは書き手の都合や、書きたいから書くということでは発想するものではないでしょう。読み手の存在が重要です。それは媚びるというのとはまた違う。読みたいと熱望する方々(こちらから見た想定読者)に対して、ずばり提供できるものなのかどうかです。私の書くイギリスの本を面白い、読みたいと思ってくれる方がどれくらいいるかという問題でもありますね。滞在当時は、当時のパソコン通信の掲示板で「英国田舎滞在記」という連載をやっていたことがあります。当時の雰囲気を私がまた取り戻すことができれば、とも思うところです。

■カズオ・イシグロ

カズオ・イシグロさん(2017年ノーベル文学賞)の小説を愛好しています。これまでに出版された8編の長編小説について、熱く語っています。

■ゴジラ

私は何をかくそう、ゴジラのファンです。たぶん、私ならば、誰よりも上手にゴジラを飼いならし、日本と日本国民のために役立たせられるとせると確信しています。第16作目、1984年の「ゴジラ」は昭和の最後の作品でしたが、新宿の高層ビルのなかにあるという、いかにもあやしい林田生物物理研究所が大好きです。そのほかの作品に登場する私立探偵事務所風の独立した研究所はとても好みです。

2021年7月に公開された GODZILLA: King of the Monsters についても熱く語っています。

■三体問題

中国のサイエンス・フィクション作家リウ・ツーシンさん(劉慈欣、Liu Cixin、2015年ヒューゴー賞長編小説部門賞受賞)の小説を愛好しています。「三体」の3部作に夢中です。

小説「三体」をもとに、2023年に中国テンセント版のドラマ「三体」全30話が、2024年3月21日にNetflixの映画ThreeBodyProblem「三体」Season1
全8話がそれぞれ、完全公開されました。そこで、こうしたドラマ、映像についてもVoicy音声配信で語っています。

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最後に、大木実さん(1913-1996)の詩を1つ掲示して、おしまいとします。私がいまの仕事に就くきっかけになったのは、大学院博士課程3年生のころに研究所訪問でお会いした小川恵一先生との短い会話でした。小川先生は、しばしば、この詩のことを話されましたので、私の記憶に深く残っています。

少年の日読んだ『家なき子』の物語の結びは
こういう言葉で終わっている。
「---前へ。」
僕はこの言葉が好きだ。
物語は終わっても、僕らの人生は終わらない。
僕らの人生の不幸は終わらない。
希望を失わず、つねに前へ進んでいく、
物語のなかの少年ルミよ。
僕はあの健気なルミが好きだ。
辛(つら)いこと、厭(いや)なこと、
哀(かな)しいことに、出会うたび、
僕は弱い自分を励(はげ)ます。
「---前へ。」

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