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SNSプチ出家

InstagramとTwitterでみんなの様子をちょこちょこ見るのをやめようと思います。
深い山奥で完全に厭世するタイプの出家ではなく、そこそこ人里みがあるところでのゆるい(そんな出家があるのかは知らんけど)やつです。
DMとか自分からの発信はやろうと思ってます。

SNSを使うのが下手です。

受動的でお手軽な情報の場では、流れてくるものに触れてさえいれば、ある程度満たされます。
上手く使えばいいことがたくさんあるけれど、
自分は振り回されてるかも、他人のことに気を取られていないで、もっと自分と自分の目の前を大切にしなよ、自分の整理のためや思考を広げるための大切な余白を、広告収入に塗りつぶされてなるものか、と思いました。

毎晩寝る前に1日を振り返って日記を書く時の、「あれ、今日何もやってなくないか?もっといろんなことできたのに」の、あの悔いと、ずっと何も学ばない自分への嫌気が混じった、ヤバい虚無感とは、もうさすがにおさらばしたい。
SNSに魔法的な魅力があるわけではなく、暇というわけでもない。ただ、手持ち無沙汰な感じにちょうどいい、というだけでつい見てしまっている、よくないな〜と、頭では分かっている。
以前、このnoteを読みました。是非皆さんも読んでみてください。

ずっとどうにかしたいとは思ってきていて、SNSは1日30分以内!とか、抗ってみたこともありました。でも、一回チラ見してしまうと、そこから時間が経つのは、もうあっという間なのでした。
時間を奪う何かに抗うよりも、無理せず習慣化できる仕組みを作った上で、なにかもっと理想的な良さを目指したほうがいい感じ(あと、こうしてみんなに高らかに宣言したほうが良い感じ)だと思いました。
SNSは、使い方次第で良いものだと思うので、やり方を考えまして、俗世と少し距離を取ることにしました。

具体的な試みは以下の4つで、

▼仕組む
①知り合いの日常的な投稿は非表示
②気になる情報を転載している人の投稿のみ表示

▼心がける
③みんなに周知したいと思ったことのみ発信する
④個人へのDMのハードルを極限まで下げる

その背景も書いてみると、

それぞれこんな感じです。

>①
SNSを見ると意外にも膨大な時間が経っている。その原因は、タイムラインの中で、他の人の投稿(あまり会わない人の旅行や食事の様子を含め)を見ると、その人のことを都度、少しは考えることになり、これが積りに積もって、頭と時間を占めてしまうんだろうなあという分析。
それも大切な時間!といえばそうなのかもしれないけれど、自分としては、割り切ってみたい思い。
「自分が本当に気になる人との直接のやりとりを大事にした上で、不特定多数に向けた発信に自分が一人で時間を割く必要はあまりない、、!!」。

あとは、発信の中に偏愛を見て、その人への興味が生まれ、その機会を捕まえられるのがSNSの魅力だと思っていたけれど、実際はそんなに多くなかったかも、というのが今までの所感です。①によって、その少ない機会を逃すことになってしまいそうだけど、初対面での印象&噂で流れてくる→直接やりとりの方法でカバーしたいと思います。

>②
受動的に興味や世界を広げられる良さはSNSには確実にある。
それをうまく最大限に活用したい。
なんかおもしろいこと、自分の興味の入り口に触れ続け、深追いするエネルギーを引き出されるものとしての情報をちゃんと絞っていきたい気持ちです。
流れてくる情報の洪水に飲まれて、把握と処理に精一杯になりがちだけど、それはやめて、量を絞り、質を上げて、自分の時間を注いで、考えたり手を動かす余白を、脳のキャパ&時間的に確保したい。

>③
自分の感情の吐露による発散や、思考整理、気づきメモに発信を使わない。
自分がそうした発信を始めると、他の人の発信も気になってきちゃう気がする。
最大の動機は、個人との関係性に対してのコミットメントに昇華させたい(=自分を④へと持って行くため)ということ。

>④
以前、トルコの友達から、
「How are you?  You just came up to my mind!」
が来た。このまっすぐな表現とテンションが忘れられない。
「最近どうなのよ?」くらいは自分でも言えるので、まずはここから。

ひそかな企み

それでもやっぱり少し不安に残るのは、SNSを見る時間や習慣が当たり前に多すぎて、SNSにおける、見る&見られる、が多ければ多いほど、お互いの意識に上りやすくなるのかもしれないなあ、というところです。
自分たち世代(?)は、TwitterやInstagramと一緒に学生生活を送ってくる中で、それらを通じた人間関係の比重が、結構大きいような気がしています(このコロナ禍、直接会うことがあまりないために、より大きいような気もしている)。
また、不特定多数に向けた発信のふりをして、実は特定の誰かへのメッセージ、というコミュニケーションや、「いいね」や❤を押したり送ったりの、なんとなく見てくれているという感覚で好感度が上がる感覚、そうしたものへの勘繰りが、無意識に発達している気がする。
その世界を解脱してみたい。
こいつはまじで見ない人だ、と認識されることで、直接のやりとりと表現に集中し、自分の目の前を大切にしていきたい(小声だけどしっかりと届いてほしい)。

というわけで、とりあえず、みなさん事情に疎くなってみようと思います。
会ったときに、「あ、こいつ、もしかしてあれ見てないのか、?」
とか、いろいろと思うかもしれないし、
投稿を見ないばかりに、「いや、タイミング悪う、、、」、
みたいなこともあるかもしれないですが、
 (なんか普通に見たほうがいいような気がしてきた)
無邪気にお誘いさせてください。

SNSで繋がっていたからこそ意識し合い、会う機会まで持てた人はたくさんいて、きっかけを享受してきましたが、自分と自分の目の前に集中した先で会いたい人とのつながりをより大切にしていきたいです。
「この映画見たけど面白かった!」とか、「この本いいぞ!」とか、感動の直接の共有をし合ったり、自分で直接手を動かしたり、そういった濃いもので人生を構成したいです。
また考えは変わるかもと思いますが、今後ともよろしくお願いします。

おまけ、自分のとっておき興味の入り口

②で少し書いた、自分の興味の入り口の一つとしているものを紹介します!
そんなにたくさんあっても洪水になっちゃうと思うので、一部。
最先端の事例と社会の流れ、変わらない大事なことを分かりやすく紹介してくれる開拓者の先輩方です。
是非皆さんのも教えてください。

▼SNSでフォローしているイチオシの人
田川欣哉さん/Takram
緒方壽人さん/Takram (上でnoteを転載しました)
渡邉康太郎さん/Takram(ラジオをぜひ!→TAKRAM RADIO
糸井重里さん/ほぼ日

▼メルマガ
LOBSTERR
Takramの佐々木さんなど。
NEWPEACE Visioning Letter
NEWPEACEのHP:https://newpeace.jp/
from OUTLAND
牧野圭太さん/DE

とりあえず以上にしておきます!


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