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文章を書く練習:間違いを認めるときは他に打算があるときだけ。それってすごくダサい。

涙を流してわびたその姿は、心からのものだったに違いないと書かれていたけれど、そういう姿を見せることで少しでも心証をよくしようという打算もあったのだろうと思ってしまう。

今日読んだ昔の天声人語はサリドマイドの話だった。

人は、自分が絶対的に間違っていて悪だったのだと指摘されない限り、なかなか謝ろうとしないものだと思う。

昔の自分を思い出しても、自分のミスを認めることもそれを踏まえて謝ることも、「やらねば」とわかっているほどに難しい。

私自身は、子どもを産み育ててからプライドが底をついたのか、謝るのに抵抗がなくなった。しかし、子どものやらかしを素直に謝罪できるようになるまでには、「なんで私が」という思いがあったことも事実。

フリーランスだったころは、素直さがクライアントに受けたものだけれど、会社員の世界では謝らないのが美徳というか、謝ったら死ぬ病という人が多い気がする。

「謝ったんだな」と思っても、「でも向こうだって」ときたり、後日「謝らせるだなんて、なんて先方は意地が悪い」と周りから伝え聞いたりすると、本当に萎える。

意図してそういう話を振りまいている人もいる。そういう人は「自分の器がどれだけ小さいか」のアピールを、そんなにしたいのだろうか。

社会人であるとはそういうものなのかもしれないけれど、「その態度、すげーダサい」と思っている人もいることを忘れないでほしい。

やり方

読んだコラム

「手を長くする薬」

思ったことを箇条書きに

怪しい成長薬の話かなー。当時はやったのかなーと思ったら、もっと重たい話だった…。

すすんで自分の非を反省し、相手にゆずるのは法廷の世界ではない。起業家の世界でもそう信じている人がいる気がする。

かっこいい中年にあってほしいもの?に「自分の非を認めてすっと頭を下げられる人」なんて話がどこかに書いてあった気がする。

少しでも相手のミスを見つけて攻撃し、自分の利益を防御するのが法律の争い。

それに倣ってかどうか知らないけれど、謝れない人も多いよね。

自分の主張を決定

間違いを認めるときは他に打算があるときだけ。それってすごくダサい。

材料を書き出す

涙を流してわびたその姿、心からのものだったに違いないと書かれていたけど、そういう姿を見せることで少しでも心証をよくしようという打算もあったんだろうと思ってしまう。

あなたが絶対的に間違っていて悪だったのだとでも指摘されない限り決して謝らない。ミスを認めない。というのは、どこの誰にでもあることなのかもしれない。

子どもを産み育ててからプライドが底をついたのか、謝るのに抵抗がなくなったけれど、子どものやらかしを素直に謝罪できるようになるまでも「なんで私が」なんて思いがあったからそういうものなのかもしれない。

フリーランスだったころは、そういう素直さもクライアントにうけたものだけど、会社員では謝らないのが美徳というか謝ったら死ぬ病という人が多い気がする。

謝ったなと思っても「でもあなただって」ときたり、後日「誤らせるだなんてなんて性格がわるい」と周りから伝え聞いたりすると本当に萎える。

自分の器がどれだけ小さいかのアピールをそんなにしたいんだろうか。

そういうものなのかもしれないけれど、「その態度、すげーだせぇ」と思っている人もいることを忘れないでほしい。

400文字程度の文章にまとめる

  • 推敲して、ロジックを整える

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やり方が掲載されている記事

文章を書く練習のやり方は、こちらの記事を参考にしました。


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