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♯31 書く習慣1ヶ月チャレンジ|DAY5「昔はどんな子どもだったのか」



いしかわゆきさんの著書『書く習慣』より
書く習慣1ヶ月チャレンジ


5日目の今日は、
「昔はどんな子どもだったのか」



今は亡き祖母が、生まれたての私と初対面したとき
「この子はしっかりした子」と言ったそう。


父に聞くと、
「お転婆」(男勝りの活発な女の子)
実家のお向かいに消防団の詰所があり、その詰所の屋根上に上るためのはしごがあって、勝手にそこを登っていたらしい。

兄がいたので、兄のすることをなんでも真似していたんだろうな~。
私の子守り、大変だったろうなと思うが「そうでもない、手はかからんかった。」と動物占いペガサスの楽観的な父はそう話した。
なんでも上の兄が想像の上をいくやんちゃ坊主だったらしいので、私レベルはちょろいもんだったのだろう。

もうひとつよく父が語るエピソードとしては「高校受験時の集中力のすごさ」
というのも、私高校受験までまともに勉強してこなかった子どもでした。いつも成績は下の上~中の中くらい。当時の私がなぜ受験勉強に相当勉強したかというと理由は単純で「どうしても離れたい友達がいて、その友達と違う高校に行くためには成績が必要だったから」というなんとも不純な動機。
結果、自分でも人生史上一番勉強に励み結構な成績を残したわけです。

ちなみに父から見ても私は今も「しっかりした大人」らしい。

母に聞くと、
「どうやったかな~兄ちゃんらもおったけんな。」以上。
あまり思い出に更けたりしない人間のようです。兄ちゃんがいたからなんなのと言いたくなりますが。
母は本当に言語化が苦手な人です。

歳の離れた兄に聞くと、
「わがまま。フライドポテトしか食わんかったもん」
歳の離れた待望の女の子だった私に対する周囲の甘さには、兄なりの葛藤があったんだろうなと思わされる。


私自身は、自分がどんな子どもだったのかを思い返すと

結構不安定な精神状態の子どもだったと思う。(笑)

というのも、高校生以前の楽しい記憶があまり思い浮かばないし、学校も好きじゃないし友達関係も上手くいかないことばかりだったし、やりたくないことばっかり習わされたし、あんまりパッとしない人生って感じ。

小学生にあがっても指しゃぶりや夜のおねしょはしばらく続いたし、小中は友達に嫌われないように顔色伺いながらびくびくしてた。楽しかった高校生活でも、過敏性腸症候群に悩まされていたし、周りの大人に迷惑かけないように大人にならないとな~とか当たり前のように考えていたから「夢」とか嫌いだった。

こんなことばかり書いていると私の幼少期暗いな…(笑)
かといって不登校になるわけでもないし、普通の家庭環境だったし、勉強も普通だったし普通に大きな壁もなくすくすく育ちました。

多分それなりに楽しいこともたくさんあったんだろうけど、ネガティビティバイアスが働いてただ私の記憶に残っていないだけでしょう。


生まれたときに祖母が言ったように私は「しっかりした子」だったのかも。
あ、実は結構抜けているので、大人になってからは「しっかりしてるように見えてやらかすよね」と言ってくれる友人も増えました。

そういう、ドジのような弱みを隠さなくなったのは大人になったからかもしれないですね。

今後、実家に帰省したら両親や兄に「私、どんな子どもだった?」ともう一度聞いてみよう。

ありがとうございます。お勉強の息抜きコーヒーをいただこうと思います☕️