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日プを見て改めて考えるわたしのアイドル観

わたしのアイドル観とは?

今、日本のサバイバルオーディション番組PRODUCE101 JAPAN THE GIRLSがすごい盛り上がりを見せています。元々ハロプロのアイドルだった笠原桃奈ちゃんなど様々な背景を持った練習生が集まっていることもあり、Twitter上では様々なアイドル観を持つ人たちが様々な意見をぶつけ合っています。

これを機に、改めて自分のアイドル観およびショービジネス観を整理したいと思い、久しぶりにこのブログを書こうと思いました。

ショービジネスとしてのアイドル

まず、私はアイドルに対して数あるショービジネスの中の一形態というようなイメージを持っています。大好きなショービジネスのなかの一つのジャンルとして私はアイドルを推している。というような感じです。

そもそもショービジネスとは

この曲は『アニーよ銃をとれ』というミュージカル映画で歌われた”ショウほど素敵な商売はない”です。すごく軽薄なんだけどすごくキラキラしていて見ているだけで無条件で楽しい気持ちになれる、そんな傑作ナンバーですがこれを見るとショービジネスのイメージがグッと掴めると思います。

とにかく私はこのいかにもなザ・ショービジネス!!!みたいなものが何であれとにかく大好きなのです。

だって、いつも将来のため将来のためと、際限なく意識高く未来の自分への心配りを続けるしかない、そんな日々を私たち現代人は過ごしているわけじゃないですか。そんな私たちに、未来のことも過去のことも一切忘れてただひたすらに「今日現在を最高値で通過している」と思えるひとときを提供してくれるもの。それこそがショービジネスだと思うのです。ショービジネスは私にとってなくてはならないものなのです。

様々あるショービジネスの形態

ショービジネスを「何か光るものを持つスターが、音楽など芸を通じて気軽なかたちでたくさんの人を幸せにしてみせて、たくさんお金を稼いでみせる(ここ大事)」そんな商売のことを指すとしたとき、マジックや漫才のようなものを除いた歌って踊るタイプのものだけで考えても様々な形態があります

今回はこれらの形態をミュージカル映画のような映像主体のものと、ミュージカルのようなリアル主体のものの2つに大きく分類してみました。

なぜなら映像主体のものとリアル主体のものでは同じアイドルと呼ばれるビジネスであっても考え方や価値観がまるで別物だからです

作成したのは私。他にもいっぱいあります。サーカスとかアイスショーとか。
固有名詞も有名なものは載せてます(日劇ウエスタンカーニバルとか)

逆に言えば、同じリアル主体のものであれば、全く別物に見えたとしても考え方や価値観は似てきます。実際にKPOPとミュージカル映画は似ていますし、ミュージカルとハロプロは一見全く別物に見えますが非常に似ている部分を持っています。

リアル主体のショービジネス体験

私が初めてショービジネスに触れたのは小学生のころ親に連れられて見に行った劇団四季のウィキッドというミュージカルでした。小学生だった私はこのミュージカルを見て本当に感動し、ミュージカルが大好きになります。

私が見たウィキッドの主演は濱田めぐみさんという方でした。実はこの方、ミュージカルに少しでも興味を持ったことがある人なら名前を知らないものはいないという劇団四季の大スターです。しかし、当然ながら私は彼女の名前も顔を知りませんでした。それどころか私の席からは彼女の顔すら満足に見ることができません。それでも私は彼女の歌声とその表現力に今でも忘れられないほど深く感銘を受けたのです。

このように、リアル主体の場合では「仮にその人が何者かを知らなくても、たとえはっきりよく見えなくても、その場にいれば誰もが深く感銘を受ける歌声とパフォーマンス」がショービジネス体験の中心となります。

一方で演者のビジュアルは多くの席からはあまりよく見えないのでそこまで重要ではありませんし、衣装も洗練さよりかは遠くから見たときのわかりやすさが重視されます。これはアイドルの場合でも変わりません。

私が本当に大好きで応援していたアイドルにJuice=Juiceというハロプロのアイドルがいます。彼女たちは他のハロプロのアイドルと同様にMVやTikTokなどの映像作品にはびっくりするほど力を入れていません。

が、一方で恐ろしいほどの公演を行っています。たとえばJuice=Juice LIVE MISSIONというツアーでは、1年半の間になんと全国各地で225公演も回っていました。ハロプロのアイドルはどこも似たような感じで、1年で全国のホールやライブハウスをとにかく巡ります。1日2公演、3公演行うことも珍しくありません。

ということもあって、ハロプロのアイドルにおいては公演数が積み重なれば積み重なるほど凄い(メンバーの500公演目を祝ったりします)という感覚があったりします。これはミュージカルにとってのヒットがロングランの長さで測られることと非常に近い感覚なのではないかと思うのです。このことからもハロプロがミュージカルに近いショービジネス形態であることが分かっていただけると思います。

そんな彼女たちの武器こそこの圧倒的な歌唱力。上の動画を見ていただくとわかりやすいと思いますが、本当に素晴らしい歌声をしています。ハロプロのファンはこの歌声が忘れられなくてもう一度生で聴くべく何回も何回もライブに足を運んでしまうのです。(どうしても映像では100%で伝えきれないのがこのリアル主体のショービジネスの辛いところ)

また、ハロプロのアイドルは国民的アイドルだった全盛期の頃を含めても一度もドームのような極端に大きな会場でライブをしたことがありません。これはリアル主体のショービジネス体験を最低限担保するためにあえてそうしてきたのではないでしょうか。ミュージカルをドームのような会場ではできないことを想像すればわかりやすいかもしれません。単に考え方の違いなのだと思います。(ジャニーズは演出等の工夫が世界的に見ても異次元に凄すぎるのであれは別格です)

(一方で、映像主体の大手K-POPアイドルが何百公演もライブをすることは稀で、基本はドームツアーで一気に大量のファンを詰め込みます。というのも、K-POPアイドルにおいてライブとは「映像を通じて何度も私たちに感動や元気を与えてくれた神のような存在がマジでリアルに存在している!」という体験が中心になります。案外これが馬鹿にならなくて、たったそれだけのことでも人は泣くほど感動できてしまうのです。これも単に考え方の違いなのだと思います。)

また私の印象としては、ダンスも歌唱と比べると重視はされていないなんじゃないか?と思います。たとえば音楽番組では決められた振付を見事に踊っているのに、いざコンサートになると踊るのをやめ会場を走り回ったり飛び跳ねたりするようなアイドルは結構多いですよね。

これは実際に生で見る分にはそちらの方がダンスを真面目にするよりライブ映えするからじゃないかなと思います。

下の動画は、ハロプロの”ドンデンガエシ”という楽曲で、アンジュルムの楽曲のなかでも特にライブで盛り上がる曲です。

KPOPを普段嗜んでいる人はこのダンスを見てもあまり”洗練されたダンス”であるとは感じにくいのではないかと思います。しかし、実際にコンサート会場に行って彼女たちのパフォーマンスを見てみると、その一見大味だけどダイナミックな動きとパフォーマンスから力強さをビシビシと感じて、うっかり見とれて感動してしまったりするのです。(ただし、こればっかりは映像じゃなかなか伝わらないのです……)

ここまでリアル主体のショービジネスの特徴を見てきましたが、このようなリアル主体のアイドルに重心をおいているオタクたちは、今後生まれる新しいアイドルにも「仮にその人が何者かを知らなくてもはっきりよく見えなくても、その場にいれば誰もが深く感銘を受ける歌声」をきっと求めるでしょう。それは全く不自然なことではないのです。

映像主体のショービジネス体験

究極の映像主体のショービジネス

私が第4世代のK-POPにハマった決定的なきっかけはIVEの"After Like"という楽曲でした。この楽曲のMVを見てると執拗なくらいにカメラの姿が強調されていることに気づきます。このことに象徴されるようにK-POPスターは、常に異常な数のカメラに追われておりそこから逃げることはできません。そして常にカメラに異常なほど気を配っています。

メンバーの一挙手一投足を追う個別のカメラ(チッケム)で全ての瞬間のアイドルの表情を動画で確認できるようになってしまったため表情管理という言葉まで生まれてしまったり、一介のファンがカメラワークに文句を言ったり映像を撮る当事者(マスター)になることもまったく珍しくないK-POP文化は本当に究極の映像主体のショービジネスと言えるでしょう。

そんな映像主体の場合、「(例えばTikTok動画をひたすらスワイプしているときなどに)その人の名前をたとえ知らなくても、ふと一瞬で全ての悩みや思考が吹き飛んで、しばらくの間時間を忘れて見とれてしまう」そんな出会いがショービジネス体験の中心となります。

この方はジーン・ケリーという古典ミュージカル映画界の大スターです。とはいえ大昔の人なので読者の多くは知らない人物なのではないかと思います。でも、食わず嫌いせずに一回見てみてください。多くの人はふーっと映像から溢れる魅力に惹きこまれて最後まで時間を忘れて見とれてしまうのではないかと思います。これが映像主体のショービジネスの正体なのです。

ビジュ重視、歌声軽視の世界

私が初めて見たミュージカル映画は名作誉れ高い『雨に唄えば』でした。何回見ても全てのダンスシーンが素晴らしいこの映画ですが、ヒロインをつとめるデビー・レイノルズという女優は映画会社が主催の美人コンテストをきっかけにデビューした女優。いわば顔で選ばれた女優だったのです。

そのためか歌声はあんまりだったのでしょう。なんとこの映画では、ヒロインの歌声は全く別の女優が吹き替えをしているのです。(問題のシーンが下の動画です)

このように古典ミュージカル映画において口パクはよく使われる手法でした。それ以上に、主演女優のビジュアルがしばしば重視されたのです。

『ギルダ』などの映画で知られ『ショーシャンクの空に』の題材にもなったミュージカル映画スターのリタ・ヘイワースも全ての映画において口パクでした。一方で、彼女は恐ろしいほどに美人でセクシーな魅力的な体型をしていました。彼女は歌こそ歌えませんでしたが、ビジュアルの魅力で男性のまなざしを捉え絶大な人気を博したのでした。

映画『ギルダ』を見ながら調達屋にリタ・ヘイワースを依頼するシーン。

実際このリタ・ヘイワースのように、ミュージカル映画の世界で大スターとなるうえでビジュアルやスタイルというのは非常に重要な要素だったのです。

ビジュアル重視になってしまうのはアイドルの世界でも変わりません。現在のK-POPアイドルはビジュアルが良いことがほとんど必須の条件となっています。

それもそのはずで映像という世界では、ビジュアルが良くてずば抜けたスター性を持ってさえすれば、懸命に全身を動かしてずば抜けたパフォーマンスをしたり、必死に大声を張り上げることなどしなくても、このウォニョンのようにたくさんの人たちを男性女性問わず釘付けにし、笑顔にすることができるのです。

もちろん歌が上手いに越したことはないんでしょうが、「見とれてしまう」という体験において歌唱力というのはそこまで重要ではないですし、ぶっちゃけた話、歌声の良さというのはなかなか映像では伝わりにくいというのが現実なのです。映像を通じてだと、歌声が良いということが「わかる」まではいくんですが、「伝わる」まではなかなかいかないんです。本当の意味で伝わった事例ってスーザン・ボイルくらいしか思いつきません。ごめんなさい。

(オーディション番組とかだと、「他の子と比べて群を抜いて上手いな……凄いな……」という感覚になることは結構あるんですけどね)

ダンスは非常に重要、最重要。

また、映像主体のショービジネスではダンスが非常に重要な要素となってきます。舞台では観客にうまく届けることができなかった細かい技巧振付のこだわりを、映像の世界ではアップにしたり適切なカメラワークを用いることでダイレクトにファンに伝えることができるのです。

古典ミュージカル映画の世界における最も偉大なスターは、フレッド・アステアという人物だとされています。異論はないと思います。それくらい彼は断トツな存在でした。全盛期は出る映画は次々とヒットし、倒産しかけだった所属映画スタジオ(RKO)を救ったとされるまさにドル箱スターでした。

出典:https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Astaire,_Fred_-_Never_Get_Rich.jpg

一方でフレッド・アステアは当時絶大な人気を博していたクラーク・ゲーブルのような典型的な色男ではありませんでした。髪は他のスターに比べて一目でわかるほどに薄く、輪郭はそら豆に似ていました。現代のフレッド・アステアファンの中には彼のことを”そら豆さん”と(親しみを込めてですよ)と呼ぶ人もいるほどです。

ビジュ偏重になりがちの映像の世界で、いーやダンスを極めればビジュとか関係なしに世界一のスターになれるんだ!ということを最初に証明したのが彼でした。

正直ビジュの好みって人それぞれ育ってきた環境によって変わるものですし、時代を通じて流行は移り変わるものです。

一方でフレッド・アステアのダンスは普遍的に愛されるものでした。誰が見ても目が奪われるまさに芸なのです。そういう意味で地域を越えて世界に愛され、時代を超えて歴史に名を遺すという観点では、ビジュよりもずっとダンスのほうが重要なのです。

フレッド・アステアのダンスは”繊細”であったり、”洗練”であったり、”技巧”というような言葉とともに評されることが多いですが、そんな彼の持ち味は映像を通じてこそダイレクトに世界中の観客に伝わることができ、時代を超えて多種多様な人々を夢み心地にすることができたのだと思います。

K-POPの世界においてもダンスはものすごく大事です。特にミュージカル映画のときよりずっと映像技術が進歩していますから、映像だからこそ伝わる”技巧”のバリエーションというのは爆発的に増えています。

K-POPアイドルが寝る間も惜しんで徹底的にダンスを揃えて、いわゆるカングルムを目指すのはそのわかりやすい例の一つだと思います。

他にも目まぐるしくフォーメーションを変えることで映像に新鮮な変化をもたらすフォーメーションダンスも映像だからこそ見せられる技巧です。

表情を目まぐるしく変えることで楽曲を表現することもそうです。表情管理だというような表現もありますが、ここまでいくともっと別の言葉が必要なんじゃないかと思うレベルです。

また、K-POPの世界ではカメラを動かしまくることでダンス表現の効果を最大限まで高めてきます。実際にaespaというKPOPアイドルはカメラワークガイドという動画まで出しているのです。実際に見てみるとわかりますが、これ本当に凄いです。ダンスも凄いですがこのカメラワーク技術に度肝を抜かされます。イマドキはカメラすら踊るのです。

このようにK-POPアイドルの楽曲は映像やTikTokで撮られることを前提として振付されることが多く、こうして振付されたダンスは計算されたカメラワークで撮られるという前提の上では見惚れてしまうほど素晴らしい作品になることが約束されています。

しかし一方で、同じ振付をそのまま東京ドームのような大きな会場でやってしまったりするとたんにすごくこじんまりとした振付だなあ……という印象になってしまうこともしばしば起きてしまう現象だったりするのです。

さて、このような映像主体のアイドルに重心をおいているオタクたちは、今後生まれる新しいアイドルにも「誰もが見惚れてしまうほどのビジュアルやスタイル」や「誰もが見惚れてしまうほどの素晴らしいダンスができる技術」みたいなものをきっと強く求めるでしょう。一方でそれ以外の要素をそこまで重視しないかもしれません。しかし、それは全く不自然なことではないのです。

そして最後に付け加えるようですが映像主体のショービジネスがいくら歌声軽視で成り立つとはいっても、K-POPほどの競争環境になるとそんな悠長なことは言ってられないのが現状でしょう。

というのも現在のK-POPのトップスターは十分に優れた歌唱力を持っていることが基本であるため、仮にあまり歌が上手くない人がその中で混ざってビジュだけで戦おうとしても、あまりにその歌唱力が欠点として悪目立ちしてしまいスターとしてのリアリティが保てない可能性が大きいのではないかと思います。足切り点はありそうです。

結局、私のアイドル観って

ここまでいろいろと整理してきましたが、やはり私にとっての理想のスターとは、K-POPアイドルのように映像の世界でもたくさんの人を魅了しながら、一方でリアルの世界でもジャニーズのアイドルのように完璧にその場にいる人をパフォーマンスと歌声で魅了できるアイドルというのが理想だと考えています。どこにいても何をしていても目の前にいる人間もカメラの向こう側の大衆をも魅了できる人物。そう考えると、やっぱりアイドルには全てを兼ねそろえていてほしいなと。

そういえば、このブログを書くきっかけとなった日プもオーディション番組であり、映像主体のショービジネスの形態の一つです。(だからステージ評価でスタッフのミスがあっても、映像上問題なければ平気でなかったことにしやがるんですよ。ステージに来ている国プは客じゃなくてエキストラだと思ってんだろうなって感じですよね)そのため、演者は要所要所でダンスやビジュで視聴者を見惚れさせることが人気を獲得するうえで重要になってきます。

が、実際にはそれ以上にストーリー性が重要ですよね。オーディション番組をやる意味の一つは世間の注目を集めた状態でデビューができるということ。だから日プにおいては常に世間の注目を集められるわかりやすいヒロインが編集の中心にいつもいます。

いざデビューしてしまえばそこまで重要ではないのに、日プというショービジネスを成り立たせるためにはこのストーリー性がかかせません。というのも長い動画をじっと視聴者に見させるにはストーリーがどうしても必要なんです。

古典ミュージカル映画もスターのダンスが見たいだけの人たちを映画館にじっと座らせるための陳腐なストーリーがいつも用意されています。それと同じこと。そこが日プの抱える矛盾なんだろうなって改めて思いました。

さいごに

さて、映像主体のショービジネスとリアル主体のショービジネスでは、決定的にカバー率が違います。映像であれば国境もいとも簡単に越えることが出来ますし、何十億人という人が同じ作品を見ることも可能です。しかし、リアル主体のミュージカルではなかなかそうもいきません。限界があります。

そのため、どうしても映像主体のショービジネスのほうが巻き込むファンの数は比較にならないくらい大きくなってしまうのです。

そこで問題になってくるのが、ファンの数が多いほうが偉いという考え方を持っている人たち。自分の推しているグループよりファンが少ないグループのファンを見下す人たちです。見下したあげく「何を言ってもいい」と思って酷いことを言って人を傷つける人たちです。

また、自分の推しているグループのファンの数が少ないことを過剰に恥じて、あるいは少なくなることを過剰に恐れて、多方面に攻撃的な物言いをしている人たちです。

どうしてもショービジネスというのは競争を駆り立てる世界だからこそ時に大事なことを見失ってしまうことがあります。ただし、ファンの数が多かろうが少なかろうがショービジネスがあるところには常にそこにしかない”トキメキ”があります。それを見失ってしまう人生では虚しいですし、どんなグループを推そうが安心して下を見下せるような安住の地はありません。そんなもの目指してもただただ虚しいだけです。

最初の方で述べましたが、未来のことも過去のことも一切忘れてただひたすらに「今日現在を最高値で通過している」と思えるひとときを提供してくれるもの。それこそがショービジネスだと思うのです。世の中のアイドルヲタクが閃光少女になれる日を祈ってこの文章を終えたいと思います。

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