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トヨタは何がすごいのか

トヨタ生産方式とは

 今、日本で一番時価総額の高い企業はトヨタです。そしてそのトヨタを支えるのが、トヨタ生産方式という工場思想なのはもはや言うまでもありません。徹底的にムダを省くことで限界まで安く自動車を作る。そうして利益を得る。そのための編み出された様々なシステムや日々の改善活動、鍛え上げられた組織力により低成長時代を迎えた今も常に高い利益を上げ続けられている。という話は製造業では常識かもしれません。

 今回は世界に誇るトヨタ生産方式が生まれるまでの「ものづくり」の歴史をざっと振り返ることで、トヨタ生産方式の価値を再発見していきたいと思います。

「科学技術」の誕生

 今の日本では科学技術は密接に結びつけられて考えられています。それは、どこかの会社に技術者として入社して製品の設計に携わるためには、理系の学問を修めなくてはいけないことからも明らかです。このように、科学の知識なしには技術的な設計は到底できないと今では信じられています。しかし、昔は違いました。

 たとえば蒸気機関を発明したワットや電球を発明したエジソンは大学で科学を学んだことなんてありませんでしたし、自動織機を発明しトヨタグループを創始した豊田佐吉さんも数学も物理学も学んだことがないと告白しています。

 では、現在のように科学と技術が協力し合って新たな発明や発見を行うようになったのはいつでしょうか。それは1930年代だと考えられています。第一次世界大戦および第二次世界大戦がきっかけだったのです。1939年に始まり結果として核兵器という人類最凶の兵器をもたらしたマンハッタン計画の大成功により、科学技術という考え方は民間も含め広く広がっていったのです。

 ここで大事なのは、科学技術誕生以前の技術者(工場で働く人々)はまぎれもなく尊敬されるべき偉大な職人であり発明家でもあり起業家でもありうる存在だったのです。今大手メーカーが注目するようなベンチャー企業を立ち上げる人の多くが、東大や京大の研究室にいる白衣の学生から誕生していることを思えばこれは大きな違いです。いつの間にかにものづくりの主導権は工場で働く職人ではなく、研究室で白衣を着た科学者になってしまったのです。

部品の「標準化」という夢

 科学と技術の融合。もっといえば「ものづくりの主導権を職人から科学者が奪い取る」という試みは決してマンハッタン計画からはじまったものではありませんでした。それは18世紀のフランスにはもうはじまっていたのです。そしてその背景にはまたもや戦争がありました。

 当時のフランスはプロイセンという強敵に苦戦していました。プロイセンの戦い方の特徴はそのフットワークの軽さ。しかし、フランスの大砲は大きくて動かしずらい。こうして、フランスはこのフットワークの軽さに対応するために大砲を軽量なものにする必要が出てきたのです。しかし、今度は大砲が壊れやすくなるという問題が発生。かといって強度を上げるのは現実ではありません。そこで軍の人たちが考えたのが「部品を交換するだけで修理できるようにして、修理の時間を短くしよう」ということだったのです。こうして部品の標準化プロジェクトがはじまったのでした。

 この発想に強く感銘を受けたのが、オレノ・ブランという人物。彼は大砲だけでなくマスケット銃でも部品の標準化ができないかと試行錯誤します。そして懸命なプレゼン活動のすえ、ついに戦争省と科学アカデミーのバックアップを得ることに成功しました。強大な権力をバックに総動員令が発令され、パリの5000人の労働者がこのプロジェクトにかりだされることになったのです。まさにそれは「18世紀のマンハッタン計画」というべきものでした。しかし計画は頓挫します。エリートの理想は労働者には理解されず、当時の技術レベルを考えると寸法が寸分も違わぬ部品を大量生産するというのは理想論でしかなかったのです。

 しかし、驚くべきことにこのプロジェクトはブランを通じ、海を越えたアメリカに伝わることになります。こうして部品の標準化という夢は、軍事上の利便性をどこよりも強く追い求めたアメリカに引き継がれることとなったのです。

 そして時は過ぎ19世紀のこと。ついに同じ寸法のものを大量生産する技術が誕生します。ブランチャードという人物によって手作業だと1時間かかった製品が1分でできるようになる工作機械が発明されたのです。

 こうして当初は軍事的要請を背景にコスト度外視の大量の予算を投じて部品の標準化を追い求めていたのが、効率のいい工作機械の誕生することで、いつのまにかアメリカン・システムと呼ばれる経済的効率性の高い工場を実現させるための素地が整うことになったのです。

ハーパースフェリー殺人事件

 工作機械の誕生は工場における分業体制を加速させ工場の効率化を推し進めることになりました。ハーパースフェリーというウェストバージニアの工場でもそれは同様でしたが、そこでは現場の猛烈な反対にあいます。そしてついに工場長が殺害される事件が発生してしまいました。

 彼はただ成功している工場を真似し効率化を推し進めようとしていただけなのですが、それが職人の自由を奪うものと思われたのです。ひとりひとりが自分しか作れないものを作っていた職人の時代は終わった。ただの工作機械の見張り番になってしまった。こう考えた彼らは自分たちから尊厳を奪った工場長を恨み殺し、そして実際に殺害した犯人を英雄として讃えたのでした。

 しかし、この事件をきっかけに工場の規律はさらに厳しくなります。それはかつての牧歌的だった職人事態とは似ても似つかぬ軍隊へと様変わりしていったのです。

 時代はさらに進み、プレス加工技術が誕生。部品のスピード大量生産化に拍車がかかります。このスピードに対応すべく、フォードは「流れ作業」を誕生させることとなります。ベルトコンベアに流れる車に大量生産された部品を取り付けていく。完全にかつての職人は失われてしまったのです。

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(『フォード&フェラーリ』予告編https://www.youtube.com/watch?v=uOvwe25iCP4より)

テイラーによる科学的管理法

 もはやディストピアの様相を呈するようになった工場ですが、ある考え方によりさらに事態は酷いことになります。それはテイラーという人物が推し進めた経営管理手法の普及でした。いまではその考え方を「科学的管理法」であったり、「テイラー主義」と呼んだりします。この考え方とはつまるところ部品だけでなく工場で働く人間も部品のように完全に標準化していこうという発想でした。誰でも取り替え可能にしていこうということです。

 彼は机上で最も効率的な工場での動き方を科学的に明らかにし、一挙手一投足の動きや時間を作業法に落とし込みました。そしてそれを一切間違わずに実践するよう機械工に強制したのです。これまでは機械の回転速度やさまざまなやり方については機械工の経験や考えに任されていました。しかし、ついにその余地すら奪われてしまったのです。彼らが動けばその動きをストップウォッチで計測され、間違えれば効率的でないと非難される。ついにウォータータウンの兵器廠で強い反対運動が発生、大規模なストライキにまで発展するまでになってしまいました。当然です。

 こうして、工場は考えられうる最も効率的な状態に完全に管理されるようになり、効率性とトレードオフの関係として職人はどんどん尊厳を奪われていったのです。

トヨタ生産方式の誕生

 しかし、このような状況を生み出した張本人フォードは一方でこのように言っていたそうです。

産業の終着点は、人々が頭脳を必要としない、標準化され、自動化された世界ではない。その終着点は、人によって頭脳を働かす機械が豊富に存在する世界である。なぜならそこでは、人間は、もはや朝早くから夜遅くまで、生計を得るための仕事にかかりきりになるというようなことはなくなるだろう。産業の真の目的は、一つの型に人間をはめこむことではない。また働く人々を見かけ上の最高の地位にまで昇進させることでもない。産業は、働く人々をも含めて公衆に、サービスを行うために存在する。産業の真の目的は、この世の中をよくできた、しかも安価な生産物で満たして、人間の精神と肉体を、生存のための苦役から解放することにある。その生産物がどこまで標準化されるかは、国家の問題ではなく、個々の製造業者の問題である。

 この文章からは、フォードが決してひとりひとりの人間を代替可能の部品にしたかったのではなく、できるだけ仕事という苦役を減らそうとしていたということがわかります。

 この文章に触れ、フォードの本意に触れたのが、トヨタの大野耐一さんでした。彼はフォードの本意を受け継ぎつつ、豊田喜一郎氏の掲げたジャスト・イン・タイムという理想を実現させる日本独自の生産システム、トヨタ生産システムを作り上げることとなります。

 このトヨタ生産方式でもっとも重視される目標は「コスト低減」で間違いないのですが、その主たる目標と別に副次的な三つの目標が掲げられています。

  1.量と種類の両面にわたる日次ならびに月次の需要変動に適応しうるような数量管理
  2.各工程が後工程に良品だけを供給しうるような品質保証
  3.コスト低減目標を達成するために人的資源を利用する限りは、同時に人間性の尊重が高められなければならないこと

 この3つ目の目標にトヨタ生産方式の人間的であるという特性が見て取れます。

 このことは、トヨタ生産方式では現場の知恵を非常に重視することからもわかります。トヨタ生産方式では、現場の日々の改善活動により少しずつ少しずつ作業のムダをそぎ落としていかなくてはいけないことになっています。でも現場が自分たちで考えられるようになるためには問題が見える化されていなくてはいけません。そのためにカンバン方式というものがあり生産管理板が導入され、アンドンが必要となったのです。

 このことについてトヨタ生産方式の生みの親である大野耐一さんはこのように述べています。

私どもの生産現場についていえば、自律神経とは、現場の自主判断機能ということである。今日はもうこれ以上つくらなくてもよいとか、いろいろな部品のつくる順序であるとか、あるいは今日は残業してでも一定数をつくらなければならないとかいった判断を、いちいち人間の身体でいえば脳に相当する生産管理部や工務部などに問い合わせなくとも自らの判断でできるような現場にするということである。

 このようにみれば、フォードやテイラーの発想とトヨタ生産方式には決定的な違いがあることがわかるでしょう。それは「頭の良い科学者が現場を効率的に管理する」のではなく、「現場が自分で考えられるようにする」という発想の転換だったのです。

 1970年代初めに欧米企業の幹部がトヨタを見学した際、彼らは「トヨタはものづくりがわかっていない……」と眉をひそめたというエピソードがあります。現場で改善活動に取り組む労働者を見て、「ライン・スタッフ制ができていない。現場でバラバラやっていたのでは、系統だった組織的な問題解決ができない」と言ったそうです。系統だった組織的な問題解決とは偉い人が上から押し付ける効率化のことに違いありません。このことからも発想が両者全く違うことがわかります。

職人の復権

 以上の事実より、トヨタ生産方式の最大の功績は職人の復権だったのではないかと思うのです。完全に人間としての尊厳を奪われてしまった職人たちにコスト低減活動という企業の重要な仕事をまるっと担わせることでその尊厳を回復させたという点にトヨタの人間的な側面があるように思います。

 ある工場で仕事がなくなってしまい遊休人員が出た際、日ごろから気になっていたが忙しさにかまけて放置しておいた工場内の各所での水漏れを、この際に修理してしまおうと自主的に修理したことで、その月以降の水道代を月に100万円も節約したという良い話もあります。

 しかし、トヨタ生産方式も当初現場では酷い抵抗にあったと聞きます。鈴村さんという大野耐一さんの直弟子は各工場に赴きトヨタ生産方式を伝道するという役割を担っていましたが、彼はいつも鋭い眼光で周囲を睨みつけ、すぐ怒鳴りつけてあたりかまわず周囲のものを蹴り飛ばしたそうです。ときには灰皿を投げつけたり他人の高級な花瓶を投げ割ったりすることもあり、工場によっては、鈴村さんがきたときには「本日、午後から雨になる模様です」という放送を流しみんなに知らせることで、怒鳴られないように対策したといわれています。現在のトヨタ生産方式はこのような非常に脅迫的暴力的な手法により日本全国に広まっていったという事実も忘れてはいけないでしょう。

さいごに

 トヨタ生産方式を中心に、ものづくりの歴史を見てきましたがいかがでしたでしょうか。間違いがあれば教えてください。

参考文献
・『トヨタ生産方式』 大野耐一 著
・『トヨタの元工場責任者が教える 入門 トヨタ生産方式』(中経出版) 石井正光 著
・『トヨタの現場管理』 日本能率協会編 門田安弘 増補
・『「ものづくり」の科学史 世界を変えた《標準革命》』 (講談社学術文庫)  橋本毅彦 著
・『ストーリーとしての競争戦略 Hitotsubashi Business Review Books』 楠木 建 著

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