見出し画像

良い高校には行くな

「偏差値の高い学校に行きたい」とみんないうけれど。

 より良い人生を送るために、より良い学校に入りたい!! と多くの人が思ってます。だからこそ、ドラゴン桜のように修行のごとく受験勉強に励んだ経験を持つ人も多いのではないでしょうか。わたしもそうでした。

 特に私の場合、高校受験はすごかったです。一日の勉強量は10時間をゆうに超え、多い日はほぼ丸一日勉強に費やしていました。

 そして、なんとか第一志望の高校に合格しました。年に50人近く東大合格者を出している国立の共学高校です。学校の先生や周囲からそれはそれは大いに祝福を受けることになりました。「努力は報われるんだ」。この時はそう思っていたのです。

 しかし、わたしの高校生活は非常に惨めなものとなりました。周りは、スポーツ万能だったり、音楽の才能があったり、何よりもみんな頭の良さが異次元で、さすが名門校の生徒だというような素晴らしい人たちばかりでした。それに比べて私は得意なことは何もなく、何も誇れることがなかったのです。それは、3年間褒められるという権利を失ってしまったかのようでした。

 学力も著しく低下しました。気がついたときには、全国模試で偏差値40を切るようになっていました。高校受験の頃には70は超えていたわけですから、半減ということになります。もちろん、校内実力テストの偏差値は1桁台がふつうでした。5とか7とかです。

 こうして、受験勉強を頑張って良い高校に入った結果、私は完全に不幸になってしまいました。一方、「努力は報われる」と信じていた私は気絶してしまったかのようです。やっとこ目を覚ましたときには、いつしか「努力は報われない」ことが世界の常識となっていました。世界観ががらっと変わってしまったのです。

 でも、私だってポジティブに生きたい。努力が報われないなんてそんなことないはずだ。そう思ってずっと生きてきました。

衝撃的な本との出会い

 そんなこんなで社会人となった2021年、衝撃的な文章と出会うことになります。『勉強する気はなぜ起こらないのか(ちくまプリマー新書)』という外山美樹さんの書いた本です。さっそく引用してみます。

 入学した高校の偏差値が高ければ高いほど、有能感にとどまらず、さまざまな側面においてネガティブな影響が生じることが明らかになっています。   さらには、さまざまな研究によって偏差値の高い高校へ入学することによって、成績が悪くなってしまうプロセスには、有能感が媒介することが明らかになりました。ここで「媒介」という言葉を使いましたが、これは、二つのものの間にあって、両者の関係のなかだちをするものをいいます。ここでは「偏差値の高い高校に入学すること」と「成績の悪化」の間に、「否定的な有能感」があるという意味です。また、こうしたレベルの高い高校に入学することは、高校時代においてのみならず、大学時代にも影響を与えます。ある研究によれば、その影響が大学二年生の時にも及び、勉強に対するやる気や努力、授業の出席率などにおいてネガティブに働くことが明らかになっています。また、四年間追跡した調査研究でも、そのネガティブな影響は長期間継続し、時を経るごとに強まることがわかっています。(外山 2021)

注:「ある研究」が具体的にどの研究であるかについては、調べておいたのでこの記事の参考文献リストを確認していただければと思います。(Marsh 1991)

 私はこの文章を読んでびっくりしてしまいました。ここまで自分のことが書いてある文章に出会ったのは初めてだったからです。でも、これは私にとっては希望でしかありませんでした。

 というのも、私が不幸になったのは努力が報われないのがこの世界のルールだからではないことがわかったからです。なんと教育心理学によって説明できるというのです。

「井の中の蛙効果」とは?ーー学業的自己概念

 同じ成績の生徒であっても、よくできる生徒ばかりの学校あるいはクラスの中では、優秀な生徒たちとの比較のために否定的な学業的自己概念を形成し、あまりできない生徒ばかりの学校の中では、レベルの低い生徒たちとの比較のために好ましい学業的自己概念を形成しやすいという現象のことである。                         (外山 2008)

 優秀な生徒に囲まれると有能感が下がってしまう現象を教育心理学の世界では「井の中の蛙効果」と呼びます。オーストラリアの教育学の教授であるマーシュが1987年に提唱した説とのことで案外歴史は古いようです。ちなみに学業的自己概念は「学業に対する有能感」を指す専門用語だそう(鈴木、武藤 2013)。理屈を説明します。

1.有能感が高いほど能力も高くなる

 そもそも学業成績には二つの側面があります。ひとつがテストの点数であり、もうひとつが有能感です。この二つはおたがいに大きく影響しあっています(古田 2016)。つまり有能感が高ければ高いほど、テストの点数もあがっていくということです(逆もしかり)。

 これは納得しやすいです。学業に限らず自分に自信があるほうがパフォーマンスも良くなるというのは多くの自己啓発本にも書いてあることです。これは多くの人の感覚や経験にもあっているのではないでしょうか。

2.有能感は、周囲との能力差に大きく影響を受ける

 問題はこの有能感が、個人の能力それ自体の大小(前よりテストの点数が上がったとか下がったとか)よりも、周囲との差にはるかに敏感に反応してしまい大きく影響をうけてしまうということです。そのため、自分より優秀な人たちに囲まれれば、本人の能力それ自体が仮に上がっていたとしても有能感は下がってしまいます。当然有能感が下がってしまうと、能力も下がってしまいます。こうして負のスパイラルに突入してしまうのです。

 良い高校に入れば当然、以前よりも周囲が自分よりも優秀である可能性は高くなります。よって、中学生の頃と比べるとどうしても有能感が下がってしまうのです。そのことが、長期にわたってネガティブな影響を与えていく。これが「井の中の蛙効果」ということなのです。しかもなんと、マーシュの1991年の研究によれば、ネガティブな影響は学業に限らず、さまざまな努力への意欲や、自尊感情にまで及ぼすとされています(Marsh 1991)。

 私の場合、周囲との差が通常考えられるよりも劇的に感じてしまったために、大きな影響を受けてしまったということでしょう。

学術的な評価

 この「井の中の蛙効果」説ですが、学術的にはかなり有力視されているようです。1987年に提唱されて以降、さまざまな国で数多くの実験が行われ、そのほとんどで説を裏付けする結果が得られていることがそれを示しています(外山 2021)

 しかし、ここまで読んでみて「本当にそうなの?」と思う方もいるかもしれません。「良い高校」に入ることにもメリットがあるはずです。「良い高校」に入ることそれ自体が、学業にポジティブな影響を及ぼすことはないのでしょうか? たとえば優秀な教師の存在や、整った環境などがあげられるでしょう。しかしこれについても、研究結果が否定しています。そのポジティブな側面を、ネガティブな側面が大きく上回って相殺してしまうというのです。

対応策はあるのか?

 では、私はどうすればネガティブな影響を受けずに済んだのでしょうか。外山氏の論文には下記のような提案もありました。

 井の中の蛙効果”のネガティブな影響を低減・消失させるためには、自身が所属している集団への同一視を高めることが有効であるといったような提言が可能になったとも言えるだろう。          (外山 2008)

 いわゆる心理学でいうところの「栄光欲効果」を活用せよ!ということです。「栄光欲効果」とは、例えば東大生が「わたしはあの東大の学生なんだぞ!すごいだろ!!」と思うことによって有能感が上がる効果のことをさします。

 言い換えてみると、「せっかく良い高校入ったんだから、そのことを誇りに思えばいいじゃない」という提案です。これはわたしもよく言われたことですが、非常に難しいというのが正直な感想です。住む世界が違うと感じてしまっている以上、帰属意識はなかなか持てないのです。たとえるなら『花より男子』の牧野つくしをイメージしてもらえばわかるかもしれません。

 現状、対応策としては「全国模試」のようなものを積極的にうけて、校内の成績ではなく全国模試の成績を重視するというものが最も有効だと考えられます。こちらは研究でも効果があることが示唆されています(鈴木、武藤 2013)

 よく考えれば、多くの生徒が私ほど絶望的な状況になっていなかったのは、塾に通うことでより俯瞰でみた順位を知ることができたからかもしれません。というのも、私の通っていた高校は実力テストの平均点が異様に低かったのです。英語は40点台、物理は20点台のこともありました。そのためどうしても点数は低く出てしまいます。

 ごく一部の天才中の天才が80点をとれるような問題設計になっているため、実力テストで平均点どころか10点を取ることも非常に難しかったのです。正直、東大の入試のほうが難易度ははるかに簡単でした。

 そのような状況を思えば、学内テストほど私たちを「※学習性無気力」に駆り立てるものはなかったように思います。「全国模試」重視はそれを避けるためにも非常に有効な手立てかもしれません。

※学習性無気力とは
行動しても結果に伴わないことが続くことにより「どうせ無理である」ということを学習して、モチベーションを失い無気力になってしまうこと。

実体験から思うこと

 先ほどちらっと学習性無気力についてもふれたように、「井の中の蛙効果」以外にもさまざな原因があるかもしれません。

 私はある運動部に所属していました。その部は都内でも中堅といっていいレベルには強い部だったのですが、試合の日、レギュラーメンバーを応援していると、一緒に応援していた同級生が相手チームについてこう呟いたのです。

 あの人たちは、高校も頭が良いわけではないし、スポーツでも僕たちに負けてるし、いったい何ができるんだろう。

 これは純朴な疑問だったのだと思います。彼に悪意はなかったのでしょう。しかし、私の胸にはしっかり突き刺さりました。勉強もできず、さらには部活でもレギュラーメンバーに入れない私はいったいなんなのでしょうか。

 わたしはときどき思うのです。もう一度、あの頃に戻ったなら、他の生徒たちと対等だと感じることができたでしょうか。下等生物としてではない高校生活はありえたのでしょうか?

 今の私ならきっとこうするでしょう。全国模試を定期的に受けることで自尊心に決定的なダメージを受けることを避けながら、学業じゃない他の面で自分の良さを伸ばすため部活動にただひたむきに努力していくのです。もちろん勉強もしつつ(今ならYouTubeもスタディサプリもありますし、図書館の活用法も知ってます。ちくまプリマー新書岩波ジュニア新書なら高校生でも読めることも知ってます。)。なんだか、もっとうまくやれそうです。

さいごに

 ここまで偏差値の高い学校に入るデメリットを述べてきましたが、私は自分にすごい自信があり、実力でも追いつくことができるというのであれば、全く問題ないように思います。人一倍自信がある人が多少下がる分には問題は少ないように思えますし、実力がすでに相応にあれば私ほど大きな問題にはならないはずです。

 それに高い目標を掲げそれに向かって努力すること。これはとても尊いことですし、実力を上げる最も有効な方法でもあります。そのうえ、高校では想像を絶するすごく優秀な人たちと出会えます。そのなかには全く知らなかった世界を教えてくれるひともいるでしょう。それ自体とっても価値のあるものだと思います。

 そしてもっとも重要なのは、努力は決して無駄じゃないということです。そのことと「井の中の蛙効果」は全く矛盾しません。その確信が得られたことが一番大きな収穫でした。

 最後の最後に、私の大好きな映画『響け!ユーフォニアム~誓いのフィナーレ~』のセリフをちょっとだけ引用して締めたいと思います。

いつだって頭をよぎるよ
やってもダメかもって 叶わないかもって
こんなに練習して結果が出なかったらどうしようって
でも、私は頑張れば何かがあるって信じてる
それはぜったい無駄じゃない

良い映画です。おすすめです。

参考文献リスト

関連する文献
・外山美樹『勉強する気はなぜ起こらないのか(ちくまプリマー新書)』(2021)

こちらは、「井の中の蛙効果」の話だけでなく、どうすれば勉強をするやる気が出るのかについて平易な文章で書かれた名著です。受験生に非常におすすめできます。

・外山美樹、(2008)「教室場面における学業的自己概念ーー井の中の蛙効果についてーー」『教育心理学研究』56、p560ー574
・鈴木雅之、武藤世良、(2013)「平均的な学業水準との比較による学業的自己概念の形成ーー学業水準の高い高校に所属する生徒に焦点を当てて」『パーソナリティ研究』21、p291-302
・古田和久、(2016)「学業的自己概念の形成におけるジェンダーと学校環境の影響」『教育学研究』83、p13-25
・Marsh, H. W. (1991). The failure of high-ability high schools to deliver academic benfits : The importance of academic self-concept and educational aspirations. American Educational Research Journal, 28, p445-480
 ⇒これが注で取り上げた「ある研究」。

関連WEBサイト



この記事が参加している募集

#最近の学び

181,025件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?