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エッセイ『そういう人』

 趣味は新聞1面のコラムを読むことです。読売新聞『編集手帳』では川崎市の小学教諭が6日にわたりプールに水を注いだ問題を取り上げていました。川崎市教育委員会が「過失があった」として損害金190万円の半額を教諭と校長に弁償するよう求めたとのこと。
 『編集手帳』によれば、そもそもミスの始まりは蛇口をひねるような単純な操作ではなかったこと。5月に教諭が水を注ぎ始めたところ、警報が鳴り、電源を切って止めたつもりが電源喪失に陥り、スイッチが働かずに放出が続いたらしい。注ぎ口は水面の境にあり、確認しづらく、さらにプールは校舎の屋上にあったため、誰の目にも留まらなかった。
 この場合、誰が責任を取るのが正しいのかはわかりかねますが、教諭に責任を取らせるのが正しい在り方なのかは疑問です。どちらかというと私は教諭的な立場で仕事をしているから尚のこと、教諭に責任を押し付けるやり方が気に入りません。感情ではなく理屈でものを言えと自分でも思いますけど、理屈より感情が大事なときだってある。気に入らないものは気に入らないのだ。
 素朴な疑問なんですが、こういう場合、しかるべき立場の人が責任を取るほうが絶対にカッコいいのに、どうして責任を取らないのでしょう。普段からスーツをバシっと着こなし、「ビジネスとはうんぬんかんぬん」と仕事論を振り翳し、後輩や下請けなど絶対に反論をされない人間を集めては「俺という人間のカッコよさ」について語りたがる俺様大好き人間に限って、本当の危機的状況には背を向けて我関せずを決め込みます。その逃げ腰こそ、世の中の何よりも醜くて何よりも軽蔑されることなのに、あれだけ「カッコよさ」を追い求める人がどうしてそっちを選んでしまうんでしょうか。
 というのは、私の身の回りに実在する「そういう人」の話であり、川崎市の例とは関係ないのですが、川崎市にも残念ながら「そういう人」がいるに違いない。

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