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子供を子供扱いする

オルタナティブスクール「八ヶ岳まあるい学校」の甲陽忍者道場&錬誠館ちびっこ忍者道場のもよう。

ハチャメチャに騒ぎながらも、集合、礼などの号令には何も考えずササッと動けるようになりました。
これは自然界で弱い立場の子供が、生きぬくためには非常に大切なスキルです。

「子供の自主性」「自分で考え生き抜く力」など、如何にも耳ざわりの良い、ユメのような話ばかりがもてはやされますが、今もし大災害が起きて、または山で遭難をしたとして、先生などの大人の誘導に従わず、自主的に子供の判断で動いてしまったとしたら、どうなってしまうのか?おそらく結果は全滅だと思います。

だから私は子供たちにいつも言います。
「いいか?君らのお父さんお母さんは、例えば君たちが森のなかで家族とはぐれてしまったら、命がけで君たちを探してくれるだろう。では、君たちが忍者で、先生と君たちで忍務に当たっているとして、途中で離れ離れになってしまったらどうすると思う?」
「仲間が助けに来てくれる?」
大体のお子さんたちはそう答えます。しかし私はこう言います。
「残念だけどそれは無い。はぐれた者たちのために、他を犠牲にすることはできないし、忍務を全うするのが第一なので、見棄てるしかない………」
すると「えー、残酷」とか騒ぎ立てますが、そこで法螺貝を吹き鳴らします。

法螺貝の音の大きさ太さにびっくりして、子供たちは一瞬沈黙します。
そこで間髪入れずに「昔から、忍者や武士はこうやって合図を送り、統率の取れた動きをすることで、犠牲者が出ないようにしたんだ。さあ、いまから十分間は自由時間。十分経って法螺を鳴らしたらみんなここに帰って来て点呼するから、法螺の音が聞こえる範囲で遊べよ。」と、畳み掛けます。

すると子供たちはゲームみたいなので喜び勇んで四散しますが、決して遠くまで行かずに耳をそばだてながら遊び始めます。
こうやって徐々に「号令」に従うことが、自他の命を護ることにつながるのだと、合点して貰います。

何でも個性的に、自主的に、これは往々にして大人のエゴから出る理想論です。もしそれを子供たちに強いるなら、それは子供たちにとっては時に過酷で、残酷な結果をもたらすことがあります。

自分だって出来なかったことを、子供の為とか言ってやらせるのはいかがなものか。カエルの子はカエル。子供はちゃんと子供扱いしてあげて下さい。

それには大人が大人にならんとね。

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