【短編小説】行く年来る年
耳を澄ますと、除夜の鐘が聞こえる。
この近くには、寺も神社もある。
年が明けた後の初詣先も確保済み。毎年一人だが。
まだ若い時は、除夜の鐘を現地に聞きに行ったり、徹夜して初日の出を見に行ったりもしたが、今日は雪予報。
家の炬燵に入りながら、蜜柑を食べ、だらだらとテレビを見ながら、年を越すのがちょうどいい。
「間もなく終わるね。」
ぽつりと呟かれた言葉に、視線をやると、相手もこちらを見る。
僅かに寂しそうに見えるのは、気のせいだろうか。
「そうだな。」
「今年一年は君にとってどうだった?」
「う~ん。特に何もなかったな。仕事は忙しくて、やばかったけど。」
「僕が助けてあげられればよかったんだけど。」
「いや、助けにはなったよ。」
そう答えると、相手は思ってもみないようなことを言われたとばかりに、その黒々とした目を見開いた。
「そう?」
「仕事中に涙が出てきた時にはやばいなと思ったけど、おかげで職場のメンバーにも気づかれたし、仕事内容の見直しとか、職場改善につながったわけ。その後の体調の回復には、お前の助けが不可欠だった。」
「ならいいんだけど。近くで見てた自分としては、もう少し早く声を上げられたんじゃないかって、考えちゃって。」
「無理だろう。自分でもよく分かってなかったんだから。」
そう言って、蜜柑のひと房を口の中に放り込んだ。相手の目の前の蜜柑は手つかずのままだった。
「お前が側にいてくれたから、一年大きなトラブルもなく、乗り越えてこられたんだ。お礼を言いたいのはこっちだ。」
「・・僕はいつも黙って見守っていることしかできなくて。本当は君の頭を撫でたり、抱きしめたりしてあげたいのに、それすらもできない。」
「そんなこと必要ない。」
テレビでは、各地の神社や寺の様子が映し出されてる。
年越しそばも既に食べ終わってしまったし、風呂にも入ったから、年が明けたら、たぶん早々に布団にもぐるだろう。
相手のテレビを見つめる瞳に、光が乱反射する。この姿を見るのも、今日が最後だと思うと、やはり寂しいものがこみ上げてくる。
「僕、君と一年、一緒に過ごせて、とても楽しかったよ。」
「ああ、こっちもだ。」
「新しい人とも仲良くね。」
「それは、大きなお世話だ。」
そう答えると、相手は口を弧の字にして、フフッと笑った。
「今日くらい、一人じゃなくて、誰か誘えばよかったのに。」
「誘う相手なんていない。」
「そうかな。君が好きな子も誘えば、OKしてくれたんじゃない?」
相手の言葉のせいか、食べた蜜柑の汁が喉にしみたせいか、激しく咳き込んでしまう。相手は、少し心配な様子で、「大丈夫?」と尋ねた。
「何を言って・・。」
「僕はてっきり今年中に告白すると思ってたんだ。なのに、直前で尻込みするからさ。相手は絶対待ってたと思うのに。」
「そんなこと。」
「僕の目に間違いはないよ。一番近くで君のことを見てきたって言ったでしょ?」
「でも、自信が。」
「君は頑張ってるし、いい男だよ。僕が保証する。」
「・・・。」
言葉が出なくなって、相手の顔を見ると、真剣な面持ちでこちらを見つめる姿があった。相手は両手をこぶしの状態にして、胸の前で構えてみせる。
「応援してる。」
「・・努力はしてみる。」
「本当は、僕がそれを見届けたかったけど。無理だから。」
『間もなく、新年へのカウントダウンです。』
テレビに表示された時刻が、23:59になっていた。
いつの間にか、除夜の鐘も止んでいる。
「最後に、一年、本当にありがとう。」
「こちらこそ、ありがとうございました。」
相手と視線を合わせて、深々と頭を下げた。
『10・・9・・8』
下げた頭が上げられない。
『7・・6・・5』
目に焼き付いたのは、涙で瞳が潤みながらの、とびきりの笑顔。
『4・・3・・2』
「ありがとう。**」
『1・・明けましておめでとうございます。新しい年の始まりです。』
最後に名前を呼ばれ、顔を上げた自分の視線を受け止めたのは、金色の瞳だった。隣のテレビからは、新年を迎えたことによる喜びの声が上がっている。
「明けましておめでとうございます。」
「明けましておめでとうございます。」
オウム返しのように、新年の挨拶を返すと、相手は瞳を弧の字にして、ほほ笑んだ。先ほどまでの、茶色かったフワフワとした髪が、黒々とした堅そうなものに変わっている。声もより低い。
たぶん、干支のイメージを受け継いでいるんだろう。今年は辰年だ。
「今年一年よろしくお願いいたします。」
「よろしく。今年が自分たちにとって、よい一年でありますように。」
そう答えたら、手元に置いていたスマホが通知音を鳴らす。
確認すると、件の女性から「初詣に一緒に行きませんか」と、誘いのメッセージが入っていた。
今年は、いい一年になりそうだ。
終
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