見出し画像

【短編小説】音声の玉手箱

「一人って、静かなんだなぁ。」

呟いた声は、加瀬優里亜かせゆりあ以外には、誰もいない部屋に響く。

普段は、同居人でもある彼氏の大前浩成おおまえこうせいがいるが、昨日の夜、大喧嘩おおげんかをして、家から追い出した。

喧嘩の内容は、連絡もせず続けて朝帰りをしたという、大した事のないものだったが、その間、眠れもせず心配して待っている優里亜の身になって、大いに反省してほしいものである。

浩成本人は、後輩の仕事の悩みを聞いていたと言い張っているが、それが本当かどうか優里亜には確かめるすべがない。ひょっとしたら、浮気かもしれないとも思ってるし、そんなこと浩成にはできっこないとも思ってる。

どちらにせよ、遅くなるのなら、連絡をすべきだ。

それを何度言っても聞かないのだから、優里亜は何泊かしても問題なさそうな荷物を持たせ、反省するまで帰ってくるなと、啖呵たんかを切った。

流石にやばいと思ったのか、浩成は、優里亜をなだめる言葉や、いろいろと言い訳を並びたてていたが、その後帰ってきてないのだから、きっと近くの実家に戻ったか、どこかホテルでも借りたのだろう。

心穏やかに一人の夜を過ごすのは、何ヶ月ぶりだろう。

でも、あまりに静かだと、一人だと実感してしまって、ほんのりと不安がつのる。
このまま、浩成は戻ってこないのではないか、やっぱり自分と別れたいのではないか、という不安だ。

優里亜はそんな不安を振り払うかのように、頭を振った。

いくら考えたって、相手がここにいないのだから、何も答えは出ない。

いつもの夜は、寝る前に物を食べることはひかえているが、今日はどうせ寝ようとしても、すぐには寝付かれないことが分かっていたから、コーヒーとフレンチトーストを準備する。朝食にはぴったりの内容だが、夜食には向かない。

合わせて、実家から持ち帰ってきた段ボール箱を引っ張り出し、その中から、ラジカセとテープを取り出す。この間、実家で見つけて、懐かしくなって持ち帰った品だ。

「多分、今どきの子どもは、ラジカセなんて知らないんだろうな。」と、優里亜は、確かめようもないことを考える。
自分が中学生の時は、音楽を聴く機械など、ラジカセくらいしかなく、それでテープを聞き、テープに録音もできた。

取り出したテープのラベルには、『10年後の私たちへ』と書かれている。このテープには、中学卒業時に、友だちと取った、10年後の自分たちに向けたメッセージが入っている。

結構大変だった。人数分テープを用意し、それぞれに向かったメッセージを、ラジカセに向けて吹き込む。つまりは、友だちの数、メッセージを考えて、吹き込まなくてはならなかった。

お互いが話したことは聞くまで内緒。
音声の玉手箱、タイムカプセルのようなものだと思えばいい。
10年後に皆で集まって聞こうと話していたけれど、すっかり忘れてしまっていた。

これを流せば、静かな状態から解放されるだろう。
一人でいることの変な不安に駆られることもない。
聞くのも、自分しかいないから、ちょうどいい。

テープを流すと、懐かしく、まだまだ子どもらしい声が聞こえてくる。音質は荒かったが、誰が自分に向かって、どのようなことを吹き込んでくれているのか、新たな発見があって面白い。

自分でなんとメッセージを吹き込んだか、まったく覚えていない優里亜は、「今頃、みんなどうしてるかな。」と思いながら、自分の番を待った。

『10年後の私へ』

テープに吹き込まれた自分の声には、大きな違和感がある。たいていの人が、自分の声は好きではないと感じるだろう、と思う。

優里亜は、フレンチトーストにフォークを突き刺した。
口の中に広がるほのかな甘みは、自分をほんのりと癒していく。

『私は中学校を卒業しました。貴方は元気ですか?』

「とりあえず元気かな。」

『もう働いていますよね。結婚はしてますか?』

「結婚は・・まだしてません。」

『貴方は、今、幸せですか?』

「・・・。」

たぶん、あの頃の自分から見たら、就職し、好きな人と一緒に過ごしている今の状態は、幸せなのかもしれない。自分では、幸せと実感はできないけど。

『もし、幸せならそのままで。幸せでないのなら、自分の好きなこと、好きなものを、紙に書き出してみてください。』

「?」

『そして、好きなことをしてみて、好きなものを見て触れてみてください。』

優里亜は、自分の手を持ち上げ、空中を撫でるような仕草をしてみせた。自分でも意図せず、唇が弧を描く。

『そしたら、ほんのり心が温かくなって、・・・それが幸せです。』

「なんか、幼稚ようち。」

そう言いつつも、自分の心のどこかに温かさを覚えるのだから、たとえ10年前とはいえ、自分のことを分かってるのは、自分なのかもしれない。

フフッと笑うと同時に、玄関の鍵が開く音がする。
優里亜は、立ち上がって、帰ってきた人を出迎えた。

「早かったね。」
「本当に、悪かった。」

玄関では、スーツ姿の大きな荷物を持った浩成が、優里亜に向かって手を合わせている。玄関横の棚には、ケーキが入っているらしき白い箱が置いてあった。どうやら、お詫びの品らしい。

結局、1日くらいしかもたなかったわけだ。
ちゃんと、反省してくれていればいいのだけれど。

「えっと、誰か来てる?」
「来てないよ。なんで?」

浩成が靴を脱ぎながら、首を傾げる。

「人の声がしたから・・でも、靴はないな。」
「・・それは、テープ聞いてたから。」

「テープ?」といぶかしげに、優里亜の言葉を復唱した浩成は、流れてくる声に耳をすませると、それを確かめるかのように、足早にリビングに入っていく。
そのまま、ラジカセの停止ボタンを押そうとしたので、優里亜は慌てて、それを止めた。

「やめてよ。せっかく聞いてるのに。」
「いや、でも。」

浩成の顔が、かぁっと赤くなる。
珍しいと思って、優里亜がその様子を見ていると、ラジカセからは、10年前の優里亜の声ではなく、男の子の声が聞こえてきた。

『・・僕は、言ってないけど、加瀬さんのことが好きだから。』

「聞くな!」

『10年後の加瀬さんの隣にいたいと思います。』

浩成がラジカセの前にへたり込む。優里亜はその隣にしゃがむと、浩成の顔をのぞき込んだ。

「浩成は、そんなに前から私のこと好きだったの?」

「・・そうだよ。」

「よく、好きでい続けられたね?」

「正直、優里亜一筋ってわけでもなかったんだけど、再会したら、やっぱり好きだって思った。」

「それ言っちゃうんだ。」

「嘘ついても仕方ないし。」

はぁ~と深い息を吐きながら、浩成はその場に膝をつく。そして、隣にいる優里亜を見て、口を開いた。

「俺は、優里亜のことが好きだし、ずっと隣にいたい。」

「もう心配させるようなことはしないでね。」

優里亜はそう答えて、浩成の手に自分のを重ねて撫でると、目を細めて笑った。

サポートしてくださると、創作を続けるモチベーションとなります。また、他の創作物を読んでくださったり、スキやコメントをくだされば嬉しいです。