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【短編小説】腹を膨らませて、頭を休めて、心を満たして

自分の腹から胸にかけて手を当てて、その場に立ち止まる。さっき学食で昼食を取ったばかりなのに、もう空腹感を感じる。

まったく、自分の体はどうなってしまったんだ。

思わず舌打ちしたくなったが、同じ空間に人がいることを考えて自重する。

「どうした?」

後頭部をはたかれた。そんなことしなくたって、聞こえてるのに。俺は、相手を見ながら、渋々と口を開く。

「・・腹減った。」
「まじで?さっき食べたばっかじゃん。」
「でも、食べたい物があるわけでもないし、どうしようかと思って。」
「そうだなぁ。」

級友の岸辺きしべは、俺の言葉に、一応考える素振りを見せた後、周りに視線を走らせた。そして、ある一点を見つめると、手をヒラヒラと動かす。相当な時間が経った後、「なんですかぁ。」と間延びした声が耳を打った。

小野田おのだ。お前、今、時間ある?」
「ありますよ~。」

自分たちの隣に、ちょこんといった形で、立ち止まったのは、頭一つ分は背の低い女の子。ちゃんと話したことはなかったが、岸辺と話しているのは何度も見かけていた。

「ちょっと、こいつに付き合ってくれない?自分、これからバイトだから。」
「勝手に決めんな。なんとかするし。」

と言いつつも、どうすればこの飢餓感きがかんがなくなるのか、分かってなかったが。少なくとも、彼女に付き合ってもらう必要はなかった。岸辺の彼女っぽいこの子には。でも、岸辺は俺たちに手を振ると、さっさとその場に背を向けた。まったく、いつも忙しい奴だ。

「まぁ、安部くん。たまには、私とも話そうよ。」
私、安部くんと仲良くなりたいと思ったんだよね。と言葉を続けて、彼女はニコニコと笑っている。女の笑顔にはめっぽう弱い。それは自覚してる。

「小野田さんは、午後の講義は?」
「休講になった。安部くんも一緒でしょ?」

先ほど、学内の掲示板にでかでかと休講の旨張り出しが出ていた。だから、安い学食を食べたら、家に帰ろうかと思っていたところだった。

「で、安部くんは、何か困りごと?」
「いや、大したことじゃ。」

彼女が、俺のことを見上げて、答えを待っている。ちゃんと答えないといけないような雰囲気を感じた。

「お腹が空いて。」
「さっき、お昼食べたんじゃない?」
「そうなんだけど、このところ何か食べても、すぐお腹が空く。でも、何かを食べたいわけでもなくて、それが・・困ってる。」
「・・もしかしたら、お腹は満たされてても、糖分が足りないのかも。」

彼女は、人差し指を立てて、頭の横で振ってみせた。
小さな手だな。と思う。彼女はどの部位も自分と比べると小さい。

「糖分。」
「脳が疲れてるのかもよ?脳に必要なのは、ブドウ糖。」

「何か、甘いものでも食べようか。」と、彼女は俺の手を引いた。距離のつめ方が早いけど、それは岸辺のせいなのかもしれない。そう思ったら、心の奥がひりっとした。


「じゃあ、近くのコンビニでいい?」
「自分はどこでもいいけど。」
「安部くんは、コンビニスイーツは食べる?」
「・・あんまり食べないかな。」
「そうなの?私は新作が出る度に、一通り試すけど。」

そう話す彼女の奥から、こちらに向かってくる3人の学生らしき男の姿を認めた。向こうは話に夢中になっているのか、こちらの存在に気づいてない。
自分は彼女の肩を引き寄せた。かなり近いところを、相手らはすり抜けていく。

ぶつからなくてよかったと胸をなでおろしていると、かなり近いところから自分の名を呼ぶ声がして、腕の中で顔を赤くしている彼女と目が合った。

「あ、ごめん。」
「大丈夫。ありがとう。」

彼女は、俺を見上げると、相好を崩した。そして、遠ざかっていく人たちに向かって、手を伸ばし、掌をキュッと自分の方に捻る。何かを掴んだような動作に見えたけど、自分には何をしたのかよく分からない。

「何してるの。小野田さん。」
「・・何でもない。早くコンビニ行こう。」

そう答えて、彼女は口元を僅かに上げた。


「前から気になってたんだよね。」

彼女が漏らした言葉に、なぜか心が跳ねた。自分のことを言ったのかと思ったが、彼女が見ていたのは、手元にある『アールグレイライチムース』だった。なんだ、新作のスイーツの話かと、自分は『スパークルサイダーゼリー』にプラスチックのスプーンを突き刺した。

平日、午後の公園は、人が少ない。
昼過ぎだから、仕事や学校に行っている人たちはまず来れないし、子連れのママさんらしき団体も見かけない。もう少し経って、日差しが陰ってから活動し始めるのかもしれない。俺たちは公園のベンチに座って、大量に買ったコンビニスイーツを、簡単な感想を述べながら、平らげていく。

「空腹感は消えた?」
「いや、まだ。」
「私は、もうお腹いっぱい。いくら甘いものは別腹だと言っても、これは多いよ。」
「もともと、お腹が空いてるのとは違うから。」

どちらかというと、彼女と同じようにお腹は膨れて苦しい。でも、感じていた飢餓感は薄れない。普段、甘いものは食べないから、小野田さんの提案に乗ってみたものの、脳が疲れているから、飢餓感を感じたわけではないらしい。

彼女は、自分の顔をじっと見つめると、持っていたカバンの中をごそごそと漁りだした。カバンの中から出した手の中には、何かポーチのようなものがある。

「安部くん。実は私には特別な力があるんだ。」
「・・何それ。」
「人の感情を固めて、飴にすることができるの。」

そう言って、彼女はポーチの中から、透明なセロファンに包まれた、親指の爪くらいの大きさの飴玉を4つ取り出して、掌の上に載せてみせた。

「さっき、助けてくれたでしょ?ぶつかりそうになった時。」
「あぁ。」
「あの時に、3人から拝借して作ってみた。」
「・・・4つあるけど。」
「1つは、私の分。」

飴の色は、青、黄、ピンクが2つ。
信じてはいなかったが、何か考えがあるんだろうと思い、話に乗ってみる。

「色が違うのには意味があるの?」
「その人がその時強く思ってる感情が固まるから、その感情によって色が違うの。」

「お好きな物をどうぞ。」と言って、彼女は掌を突き出した。自分はその中から、青いものを取り上げた。セロファンをはがし、口に含む。
その瞬間、ぶわっと心に込み上げたものがあって、思わず咳をしてやり過ごそうとする。

「大丈夫?」
「・・めちゃくちゃ、悲しくなってきたんだけど。」
「ちょっと刺激が強すぎたね。色が濃ければ濃いほど、感情も強いの。」
「それ、先に言ってよ。」

目の前が涙でぼやける。彼女が差し出すハンカチを借りて、目元を拭った。

「さっきの人の内、誰かすっごい悲しいことがあったんだね。ちょっと心配になった。」
「そんな様子の人はいなかったような気がするけど。」

とはいえ、しっかりと相手の顔を見たわけでもないから、何とも言いきれないが。

今の気持ちを消そうと思って、次は黄色の飴玉を取り上げ、口に含む。次は高揚感がじわっと膨れ上がった。感情の起伏が激しくて、少し苦しい。
彼女は、自分の様子を見て、背中に手を当てて撫でてくれた。嬉しい反面、彼女の手の感触や温かさを感じて、顔が熱くなってきた。逆に落ち着かない。

俺は、次にピンク色の色が薄い方を取り上げて、セロファンをはがし、彼女の口元に差し出した。彼女は大人しくその飴を口に含む。
自分の指先に、彼女の唇があたったけど、彼女は気にせず、飴を口の中でゆっくりと溶かしている。

「安部くん。」
「何?」
「私、安部くんのこと、好きになっちゃったかもしれない。」
「・・それは、飴のせい?」

自分の質問に彼女は首を傾げて、フフッと笑った。そして、おもむろに口を開く。

「嘘だよ。」
「え?」
「感情を固めて飴にできるなんて嘘。そんなことできるわけないじゃん。」
「いや、実際に飴を舐めた俺は、信じるけど。」
「それは、安部くんが暗示にかかりやすいんだよ。気のせい。」

彼女は楽しそうに笑っているけど、今までの話が嘘なら、あんなにも感情を揺らされるわけがない。

「じゃあ、俺を好きになったというのも、嘘?」
「・・それは本当だよ。実は前から話す機会を狙ってたの。」
「小野田さんって、岸辺と付き合ってるんじゃないの?」
「まぁ、よく話すけど、同じ研究室ってだけ。」

彼女の言葉に、ホッとしてしまった自分は、大分もう毒されてると思う。甘い甘い、自分を侵食する毒に。

「飴一個、残っちゃった。」
「自分が食べた方がいい?」
「・・私が食べても多分影響ない。」
「何で?」
「これ、元々は私の感情ものだから。」
「・・綺麗なピンクだね。」

セロファンをはがして、日に透かして見る。
口に含むと、とろけるように甘かった。そのまま、隣で顔を赤くしている彼女に、顔を近づける。

いつの間にか、あの曖昧な飢餓感は、鳴りを潜めていた。

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