見出し画像

【短編小説】『ネコのぼうけん』

「ねぇ、パパ。このあと、ネコさんはどうなるの?」

布団の中で、とろんとした目をこちらに向けて、息子の怜央れおがそう尋ねる。いつもは、「きっと、友だちに会えたんじゃないかな。」と答えるが、なぜかその日は「どうしたんだろうね。」としか答えられなかった。

胸の上を一定のリズムで叩かれて、それ以上尋ねることなく怜央が眠りについたのに、自分は手は止めたものの、そのまま体勢を変えられず、薄暗い光の中、息を吐く。

絵本作家を夢見ていた妻、柚葉ゆずはは、怜央を身ごもった時から、手作りで絵本を作り始めた。その出来栄えは、素人のなるからしても、立派なもので、ストーリーも全てが柚葉オリジナルのものだった。

柚葉は大きくなっていくお腹を撫でながら、「この子が産まれたら、寝る前に読み聞かせるから」と笑っていた。数にして10冊。ただ、10冊目を作成途中に、怜央が産まれてしまったので、それは落ち着いたら、続きを書くと言っていた。

題名は『ネコのぼうけん』。


むかし あるところに いっぴきのネコが いました

ネコは きづいたときには いっぴきでした

おとうさんも おかあさんも おにいちゃんも おねえちゃんも おとうとも いもうとも いません

ネコは いっぴきは さびしい とおもいました

だから ほかのネコをさがしにいこうと まちをはなれ ぼうけんにでることにしました

であう ウサギ キツネ タヌキ イノシシ シカ クマ にたずねても ほかのネコ はみつかりません

ネコは いっぴきでねるとき さびしくて いつも ないてしまいます

どうか ぼくを いっぴきに しないで 


自分も、これらの絵本を読む度に、いつも泣きそうになる。実際、隣に寝ている怜央を起こさないよう、声を殺して泣いたことは幾度も。泣きすぎると、翌日の仕事に響くことが分かってるから、気を付けているけれど。

特にこの『ネコのぼうけん』を読む時には、決まって怜央に「この後ネコはどうなったのか」と尋ねられる。この本が、怜央にとっても一番のお気に入りで、読む頻度も高い。

その度に、自分が考えられる物語を即興そっきょうで付け加えて話していたが、結局のところ正解は分からないから、その内「きっと、友だちに会えたんじゃないかな。」と答えるようになった。

怜央が産まれる前、自分もこの先どうなるか、柚葉に聞いたことがあったが、彼女は含みのある笑みを浮かべ、「それはできてからのお楽しみ」と言って、はぐらかした。無理にでも聞き出しておけばよかったかもしれないと、今になってみて思う。

もう、年単位で時は過ぎているのに、自分はまだ思いを断ち切れないし、ずるずると引きずっている。怜央の方が物心つく前に柚葉がいなくなったから、ママがいないことは当たり前と思っている様子がある。

それがいいことなのか、悪いことなのかも分からない。怜央が傷つかなくてよかったとも思うし、柚葉が忘れられた気がして辛くも思う。

絵も文章も苦手な自分が、続きを描けるとも思えない。
一応、真っ白なページが作成されていて、それは見開き1ページ分だから、きっともう最後ネコがどうなったかしか、描くつもりがなかったんだろうと思う。

柚葉のことだから、最後はハッピーエンドで終わったはず。きっとネコは、他のネコに会えただろう。それを彼女の口から語られる光景を、成はこの目で見たかった。


ある暖かい日。間もなく春がくるだろう陽気。

なるが自宅で持ち帰った仕事をしていると、怜央れおが例の絵本を持って成の隣に座る。

「パパ、おひるねのじかん。」
「もう、そんな時間か。」

成はパソコンを閉じ、怜央が持った絵本を受け取って、リビング隣の畳の上に引いてある布団のところへ移動する。怜央は大人しく布団に横になった。成は、その隣に寝転ぶと、いつもと同じように絵本を読み聞かせ始める。

既に何度も読んでいるから、怜央はその文章を覚えてしまっていて、自分の語りに合わせて、口がもごもごと動く。その様子を微笑ほほえましく思いながら、最後の文章を読み終え、ページをめくろうとして、ふといつもの問いかけがないことに気づく。

怜央を見ると、彼は自分の顔を隠すように、タオルケットを引き上げた。何かを隠しているのは分かったが、きっと大したことでもないだろうと思い直し、ページをめくった。

「・・ネコさんは、ネコのくににつきました。」

タオルケットの下から、怜央のくぐもった声が聞こえてくる。
成は、絵本の最終ページに視線を固定しながら、口元を抑えた。

「そこにはたくさんのネコがいて、みんなネコさんをみると、ちかよってきて、きてくれてありがとう、といいました。」

真っ白だったはずのページには、色とりどりのクレヨンで、猫の顔らしきものが描かれていた。ページを埋め尽くすほどにたくさん。

「ネコさんは、いっぴきじゃなくなりました。」

涙が落ちないように、絵本を自分から遠ざける。
怜央がタオルケットの中から出てくる前に、涙を止めないとならない。

「もうさびしくありません。」

成は、袖で自分の顔をざつにふき取った。一呼吸おいて、表情を調える。
怜央がタオルケットを引っ張り、クリッとした両目で成を見る。

「パパ、びっくりした?」
「・・ネコさんはみんなに会えたんだな。」

成の言葉に、怜央はニッコリと笑みを浮かべる。

「うん。おとうさんにも、おかあさんにも、おにいちゃんにも、おねえちゃんにも、おとうとにも、いもうとにも、そしてともだちにも、あえたんだよ。」
「そうか、それはよかったな。」

怜央の口から出たのは、それに応える言葉ではなく、寝息に他ならなかった。そのまま、深い眠りに落ちていく。成はタオルケットを掛けなおすと、絵本の最終ページをしげしげと眺めた。

全ての猫が笑っている。その内一番大きく描かれているのが、主人公のネコなのだろう。他の猫たちにも負けない笑顔を浮かべているようだった。どれもなんとなくとしか分からないが、カラフルなそのページを見ていれば、楽しく嬉しくなってくる。

もしかしたら、怜央は、自分が隠れて泣いているのに、気づいていたのかもしれなかった。だから、こんな終わりを描いたのかもしれない。
子どもに心配させてしまうとは、父親として情けない。

君のことは忘れない。忘れられない。
でも、君を思って泣くのは、これで最後にしよう。

成は心の中の柚葉に向かって、笑みを浮かべてみせた。


ネコは ようやく ねこのくにに つきました

そこには たくさんのネコがいて やってきたネコに むかって きてくれてありがとう と おれいをいいました

ネコがあいたいとおもった おとうさんも おかあさんも おにいちゃんも おねえちゃんも おとうとも いもうとも ほかにも たくさんの たくさんの ネコがいました

ぼくは もう いっぴき じゃない

もう さびしくない

ネコは こえをあげて なきました

たくさん たくさん なきました

そして ネコは ネコのくにで すきなネコと じぶんのこどもたちと いっしょに いつまでも しあわせに くらしました

おしまい

私の創作物を読んでくださったり、スキやコメントをくだされば嬉しいです。