【短編小説】君が好きだと叫びたい
受験が終わり、4月から新しい環境で、新しい生活が始まる。
不安がないとなれば、嘘になる。
でも、自分で選んだことだから、頑張らなきゃ。
放課後や休みの日に、頻繁に訪れていた川べりは、今日も人がいなかった。
少し緑が多くなってきているところに、ごろりと仰向けに寝転ぶ。
髪とか服とか汚れるけど、家に帰って着替えればいいんだし、別に誰かに会う予定もないし。
この場所に来るのは、本当に久しぶりだ。
受験勉強期間は、ひたすら自分の部屋にこもってたから、こんな風にのんびりすることもなかった。
そして、4月になったら、ここに来ることもなくなるだろう。自宅と学校を繋いだ線上にある自分だけの憩いの場所。ここに来るきっかけも、その時間すら、多分自分にはない。
「はぁ・・。」
自分のしたいことを考えて選んだことなのに、なぜか口から洩れるのは深いため息。期待以上に大きいのは、新しい環境へ飛び込むことへの不安。寂しさ。もろもろ。
仲のいい友達とは、進路が違ってしまった。だから、余計に、こんな気持ちになるのだろう。まだ、始まっていないにも関わらず。
3月にしては、暖かい空気と日差しが、瞼をうつらうつらとさせる。
このまま、少し眠ったとしても、たぶん誰も気づかない。
このところよく眠れてない自分に、この状況で寝るなというのが、酷だ。
瞼の裏に光を感じつつ、自分は目を閉じた。
「早坂 菜々っ!」
「ひゃいっ!」
自分のフルネームを叫ばれて、早坂は思わず変な声を上げた。
体を起こして、口を押さえる。
夢の中で、授業中、居眠りをし、先生に自分の名を呼ばれて注意された。
まったく、嫌な夢だった。
そう思って早坂が目を瞬いていると、川辺で音がする。
顔を上げると、川辺で挙動不審な人物と、ばっちり目が合ってしまった。
相手は、早坂と目が合うと、取り繕ったように自分の脇を払った。
「星くん?」
「・・早坂、こんなとこで何してんだ。」
彼は、早坂のところまで歩いてくると、彼女の側にしゃがみこんだ。
何をしてるんだと聞きたいのは私の方だ、と早坂は思う。
「今、私の名前叫んでなかった?」
「・・気のせいだろう?」
すました表情をしている星に、視線を据えると、彼はそれに耐えられなくなったのか、目をそらす。
「せっかくの私の眠りを邪魔しないでほしいんだけど。」
「こんなとこで、迷惑考えず爆睡する方が悪い。」
早坂は不服そうに顔を歪めた後、自分の隣を軽く叩いた。
「あ?」
「そんなに言うなら、寝転んでみなよ。」
星は、考えるように空中に視線を泳がせ、軽く息を吐いて、早坂の隣に体を横たえた。いい感じで優しい風が吹いてくる。
「こうして、目を閉じたら、星くんも眠くなってくるから。」
「・・そんな簡単に寝れねえ。」
早坂は横目で星の様子を窺う。早坂の言葉に素直に従って、目を閉じているらしい。早坂はその様子に少し嬉しくなって、話を続けた。
「星くんは、何でここに来たの?」
「・・気分転換。」
「川に向かって叫ぶのが、気分転換なの?」
「だから、叫んでねぇって。」
話をしている間も、星はずっと目を閉じたままだ。
「星くんは、4月からの生活、不安にならない?」
「なんで?」
「だって、初めての場所だし、周りに友だちもいないし。」
「そんなの慣れればいいだけじゃない?」
星には不安というものは持ち合わせていないらしい。そうかもしれないと、早坂は、学校の様子を思い返す。
星は周りのことをあまり気にしない人だった。好きなことやしたいことをする。早坂からすると羨ましいくらいに。ただ、今の自分の不安を相談するのに適した相手ではなかった。
「じゃあ、どうしても辛くなったら、俺の名前を呼べばいい。」
「・・呼んだら、来てくれるとでも言いたいの?」
「いいよ。会ったら言ってやる。早坂は大丈夫だって。」
「・・星くんには分からないでしょ?」
星が閉じていた目を開いて、早坂の方に目を向けると、薄い笑みを浮かべる。
「早坂は大丈夫。いつも頑張ってるの、知ってる。」
「・・。」
「心配しなくてもすぐに慣れる。そして、不安なんかすべて忘れる。」
「そうは思えないから、悩んでるんだけど。」
星は早坂の気持ちを分かっているのかいないのか、笑いだす。
「人は慣れる生き物だから。」
「・・なんか、難しいこと言いだした。」
「別にうまくいかなかったら、逃げだせばいいし。」
「それは無責任だと思う。」
星は「真面目だな。」と言って、体を起こした。早坂が星の連絡先を知らないことに気づいたのは、「じゃあ、またな。」と別れを交わした後のことだった。
そんなことがあってから、4月に新しい環境での新しい生活を迎え、日々の忙しさに紛れて、あっという間に時は過ぎ、最初の緊張や不安はどこへやら、早坂は早々にその生活に慣れた。
時折、ホームシックのようなものに襲われることもあったが、その時は、寝る前に『星 弘明』と彼の名を呼ぶ。すると、その後見る夢の中で、星が「早坂は大丈夫だ。」と元気づけてくれるのだった。
実家に帰った時に、星に会えないかと、あの川べりに足を運んでも見たが、彼に会うことはなかった。もちろん、彼の名を口の中で呟いてみたところで、彼が姿を現すこともない。
もう、星くんに会うことはないかもしれない。
一人で川べりに寝転ぶ度、早坂はそう思って、目を閉じる。
「早坂 菜々。」
目を開くと、いつもは空が見えるだけなのに、早坂を見下ろす星の姿があった。夢でも見ているのかと思って、早坂は自分の目を擦る。その指先が徐々に濡れていくのを、視界が霞んでいくのを、星は黙って見つめている。
「星くん?」
「・・久しぶり。」
「星くんだぁ。」
「いい加減、寝転ぶの止めた方がいい。お互い、いい歳なんだから。」
星が早坂に話しかけるのに、馬鹿の一つ覚えのように、星の名を呼び続ける。星も流石に見ていて辛くなったのか、早坂の手を取って、自分の手で包み込んだ。
「そんなに辛いなら、呼べばよかったのに。」
「・・だって、連絡先知らない。」
「いくらでも調べられただろうに。自宅に連絡するとかさ。」
「そんなこと言われても。」
早坂の言葉に、星は軽く息を吐くと、早坂と手をつないだまま、彼女の隣に寝転んだ。
「新しい環境には慣れた?」
「慣れた。時々寂しくなるけど、その時は星くんの名前呼んだから、大丈夫。」
「・・・。」
「名前を呼んでから寝ると、結構な確率で星くんが夢の中で励ましてくれたから。」
星からの返事がなくなった。流石に引かれたかなと思って、早坂が星の方を向くと、星はその視線を黙って受け止めた。
「星くんは元気だった?」
「・・・。」
「星くん?」
「・・思ったより、大丈夫じゃなかった。」
星が吐いた弱音に、早坂の表情が曇る。
「自分の言葉や行動がことごとく裏目に出た。正直何度逃げようと思ったかしれない。でも、自分が決めたことだったし、少しずつでいいからやろうと気持ちを切り替えた。」
「星くんも大変だったんだね。」
「自分で逃げてもいいって、言っといて、矛盾してるけど。」
「・・人は矛盾する生き物でしょ?」
そう返したら、星はハハッと乾いた笑いをする。
「俺もよく早坂の名前を呼んでた、一人の時に。」
「・・なにか、力になった?」
「分からないけど、たぶんなった。」
「そう、なら良かった。」
早坂の笑みを見て、星が軽く唇を噛み締めた。何かを呟くように口を動かしたが、言葉として外には出なかった。
星は体を起こすと、早坂の手を引く。
「早坂はこの後何か予定ある?」
「何もない。」
「どこか行かない?話したいこともいっぱいあるし。」
「いいけど、一回自宅に帰って、着替えないと。」
お互い立ち上がると、服や髪についた草や葉を払い落とす。
「そう言えば、何で最初にここで会った時、私の名前叫んでたの?」
「・・何の話?」
「叫んでたよね?私、そのせいで起こされたのに。」
「・・気のせいだろう。」
不可解といった様子で首を捻る早坂を見ながら、星は相手に分からないよう、自分の唇の端に人差し指を添えた。
終
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