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たとえ「ふざけんな」という世の中であっても


ピントが定まらない諸々について

小麦や原油ものをはじめ、止まることのない輸入品目の高騰。それに止まることのない円安が拍車をかける。輸入品を主原料とした商品たちは値上がりし、ちまたに溢れる購買物たちの価格は上がり続けるばかり。そこへ上がり続ける税金がさらに加わり、世間の人々は上がることのない賃金で生活するというよくわからない状況。

そこへ加えて、昨年から施行されたインボイス制度や、HACCP導入義務・国の許可制などグローバルな規準を意識した制度強化などさまざまなシステムの導入が国主導で進んでいる。

税金を等しく徴収する仕組み、世界基準に生産体制を整えていく仕組み、中小の事業者の成長を促す仕組み、時代へアップデートさせていく仕組みなどなど。それら自体は否定するものではないが、現状の制度そのものの意義、導入の優先順位が違うんじゃないかと日々思いながら過ごしている(だからこそ、昨今の地方のゾンビ企業云々の議論の運ばれ方には疑問が浮かんでもいる)。官僚たちはどこを見て制度をつくっているのだろう、政府・行政はどこを見て制度を運用しているのだろう、与野党問わず代議士たちはどこを見て議論しているのだろう。

地方で暮らす身として、中小・零細企業の経営者たちにインタビューすることがある身として、いち地方で小商いをする人々と接する身、まちの文化をつくっている人たちと交流する身、自分自身が個人事業主であることも含め、中央省庁と市井で暮らす人々との「日常」の乖離が甚だしいなと思ってしまうこのごろ。これは暴論だが、制度をつくる人たちはいっぺん商売をして暮らしてみたらどうか。そんな考えがふっと浮かぶことがある。

人口は減少し、国内市場は小さくなっていく。分母は小さくなり数を相手にして利益・生活の糧を得ることは困難になっている。そんななかで生き方や働き方の多様性が謳われているわりには、商売・経営・ビジネスのあり方は画一的な方向に流れるような制度設計がされているような気がしてならない。これまで通りの、規模が大きくなる意味での成長を促すような、そんな方向に。

果たしてそれで個人の自由や幸福度は満たされるのか、それで国や自治体を支える税収は生まれるのだろうかと疑問に思う。市場の競争原理が健全に働くことなく、ただ単純に力なき者は淘汰されていく。アダム・スミスや渋沢栄一が言うような「道徳感情」が働くこともない、力なき者はただただ「努力が足りなかった」「勉強不足だった」「才能がなかった」と強者から自己責任論を浴びせられるかたちで、あるいは勝ち組・強者の立場だからこそ言えるもっともな正論を吐かれ、切り捨てられ、見捨てられていく。

海外へ「脱出」する人たちもいる。ワーキングホリデーを脱出のように活用する人たちもいるという。僕も、友人たちと半ば冗談で日本脱出したいね、なんて話すことがある。だから出ていく人たち・出ていきたい人たちの気持ちもわかる。

なんて、こんなことを話したり書いたりしていると暗い気持ちにもなりかねないのだが、現事実的に日本が終わっていようがなんだろうが、僕らは今ここに立って生きているのだから、この現実を噛み締めながら生きるよりほかない。なにより、今を否定することは自分の生を否定するのに等しい。「不条理を不条理のまま生きる」と言ったアルベール・カミュよろしく、僕らは何が起ころうとこの日常を淡々と生き、前に進むしかないのだ。

しかし、自らの周辺で、自分と同世代、あるいは自分よりも若い世代が世の趨勢に抗うように新しい動きを見せていることは希望が湧く。そして、エンパワーメントされたようで勇気と元気をもらえる。こと、地方において。それがこのゴールデンウィークはじめの3連休中に二度起きたのだから。

勇気や元気をもらってんだよ

CHILKが宮崎市にやってきた

まず一つ。宮崎県小林市の古着店・ギャラリー「CHILKチルク」が宮崎市中心部にある商業施設アミュプラザみやざきにおいて期間限定の出店をした。宮崎の中でも奥地にある人口4.4万人のまち。霧島連山の麓のまちでお店を営む20代2人組。かつては首都圏で暮らしていたけれど、コロナを経て帰郷して、自分たちに計り知れない影響を与えた古着カルチャーをそのまま小林市に持ってきた。

商売のセオリーから言えば小林市で古着屋を営むなんて無謀かもしれないが、彼らなりのポリシーがあって地元を選んでいる。彼らのセンスもあってか、地元だけではなくて遠方から、なんなら鹿児島や熊本からお客さんがやって来る。そんな彼らが満を持して宮崎県の中枢にやってきた。2人に聞けば、移動手段がなくて今までお店を訪れることのできなかった若者たちがたくさんやってきているという。

彼らがこれまで積み上げてきた商いの日々は、知らず知らずに共感や評判を得て、バズとは程遠い生の口コミによって広がっていった。自分たちのまちにやってきてくれた、そんな期待感を生み出すことにつながっている。取材して話を聞いた身、またいちお店のファンになった人間として嬉しいニュースだった。

GARAGE COFFEEが新店舗をプレオープン

もう一つ。4月29日、祝日の今日、スペシャルティコーヒーの専門店「GARAGE COFFEEガレージコーヒー」が菓子製造に特化させた新店舗をプレオープンさせた。

オーナーが1店舗目をオープンさせたのが2017年6月1日のこと。その間もないころにたまたまお店を訪れ、自分と同学年ということが判明して以来、いろいろと話すような仲となった。彼は手堅い大手企業サラリーマンを辞して、バックパッカーとなって南米を中心に旅をした。その経験がコーヒー店を営むきっかけになった。

内にこもりがちな自分としては彼の旅の話がおもしろかったし、こんなことやあんなとをやりたいんだと子どものように目を輝かせながらワクワクと話している姿を見ていて、こちらもワクワクしていた。こんな生き方もあるんだと思わせてくれたうちの一人でもある。

今でこそ人気店となったGARAGE COFFEEの1号店だが、開業から半年間なんてほとんど客が入っていなかった。閑古鳥が鳴き、彼が青ざめながら「店畳むかも」なんて不安を口にしていた姿をどれだけの人が知っているだろうか。

そんなところを見ていたからこそ、新店舗開業に至ったことを本当にリスペクトする。こんな時代のなかで。いろいろ逆風吹き荒れる要素があるなかで。新たに従業員も雇用して、既存店と新規店でチームを再編成。自分がフリーになったからこそ、人を雇うことがどれだけすごいことか身に染みる。地元に雇用を生み出したいと言っていた彼だから、これからも何か取り組んでいくのだろう。たぶん、今後も苦労が絶えないかもしれないけれど、ここをつくったことで、お店周辺に新たな文化が出来上がるはずだ。新店舗がその地域の文脈とどのように絡んでいくのか期待したいところだ。

「君は泳ぎ方を覚えるといいよ」見えない連帯の靭を感じる日々

僕の暮らしは彼らのような「小さい」事業者に支えられている。だからといって、決して彼らのあり方が最善で正義だとも思っていない。仲は良くとも、馴れ合いで商品たちを買うことはないし、ちょっと違うなと思うものははっきり言ったりもする。ひるがえって、おもねることもなく物事をはっきり言える関係を、幸運にも築くことができているともいえるかもしれない。

「大きな流れは変えることができないけれど、そのなかで泳ぐことはできるよね。君は泳ぎ方を覚えるといいよ」

30歳になったころ、東京・浅草で江戸型染め職人をしている知人にそう言われたことがある。伝統技法・文化を現代のかたちにアレンジして商いをし、サバイブしてきたからこその言葉だと思う。それ以来、未来に対して暗い気持ちになりそうになったら思い出すようにしている。

僕はまさに今ここで、この宮崎の地で生きている。ここで商いをして暮らしている人たちからパワーをもらっている。見えない連帯の靭のようなものを感じながら、明日も生きていく。





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