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Real. 2つのラジオ番組 -スナックと山笠と-

企画の時点で「やられた」と思った番組。
オンエアを聴いて「いいなぁ」と思った番組。
1週間で2つの番組に出会った。

ラジオ沖縄「スナック ラジオ沖縄」

当世の状況から客足が落ちた、沖縄のスナックを応援する2時間の生放送。それも特定の地域をフィーチャー。スマホアプリ「pring」を使った投げ銭で支援ができるシステムを導入。番組は与那原町商工会、与那原地区社交飲食業組合の完全バックアップのもと「与那原町のスナックを応援する」だけを主軸にし、かつスナックを応援するという番組だ。

※番組は7/22(水)28:59まで聴取可能。沖縄県外はradikoプレミアムの登録が必要(有料)

スタジオはラジオ沖縄「NANBUアワー」(日曜 12:10-13:00)の津波信一玉城美香コンビ。2人とも沖縄ではお馴染みのタレントだ。番組の第一声は、津波の「ママ、代行(運転)呼んで」だった。なお2時間のラストは「ママ、タクシー呼んで」だった。

与那原のスナック街に中継が出ている。しかも2時間のあいだに3軒のスナックを回っての中継。ママや利用客のインタビューを電波にのせる。レポーターはお笑いタレント・ただのあきのりと、アコーディオン奏者で、水曜夜の「元気なナツメロ(爆笑)」を担当する山原麗華。酒を飲み、インタビューをし、最後には山原がアコーディオンで「青い山脈」を歌う。これはかなりの強行軍だ。

正直私は「与那原地区」という場所を知らず、放送を聴きながら地図で場所を検索して放送を聴いた。番組サイトには「沖縄県南部」と書いてあったが、那覇市の西に位置する与那原、那覇市中心部から10kmほどだ。

スタジオには、与那原地区社交飲食業組合の組合長も入り、地域や店の情報を伝える。津波が、中継先のママやお客さんをいじり、さらにダジャレを連呼。オンエアを聴いている限りでは、スタジオにいるこの人が一番のスナックの客だ

しかし津波は番組中盤ボソッと言う。
「夜の街に来る人は、昼の街で働いてる人だから」と。

この番組の本質を聴いた。

当然のことだが、とかく「夜の街」なる曖昧模糊とした言葉が一人歩きしている中で、この番組は確実に、歓楽街がどういう場所で意味を持つのかを伝えていた。

知己のラジオ関係者は「ウチの局のエリアでも、できないかなぁ」と言う。歓楽街大小様々あれど、全国にある店をラジオが応援することはできる。実際、気兼ねなく旅行による往来ができる時世が訪れたら、与那原界隈を酔っ払って歩いてみたいのである。もちろん帰り際は私も「ママ、タクシー呼んで」と言うだろう。

福岡・KBCラジオ「走れ! 山笠2020特別編 〜4時59分 何していますか?」

「4時59分」とは、博多祇園山笠のクライマックス「追い山」が最初にスタートする時間。今年は延期になった山笠だが、そのスタート時間。7月15日の午前4時59分を迎える〝祭りのない博多の街〟を生中継で伝える番組だ。

博多祇園山笠のフィナーレを飾る追い山を、初めて特別番組としてテレビ放送したのは KBC (昭和35年)。そして櫛田神社の場内アナウンスも長年KBCのアナウンサーが務めている

そして中止になった今年だ。
その日の朝、博多の街はどうなっているか。放送上の1日の区切りは午前5時なので、radikoも前半と後半に分かれている。

昼ワイド「PAO〜N」でお馴染みの沢田幸二 エグゼクティブアナウンサーと、和田 侑也アナウンサー。2人が櫛田神社の清道旗前に立ち、喋り出す。例年なら桟敷席が設営される位置だ。冒頭「普通なら(山笠中止なんだから)中継なんかやりませんよ」と。そして、櫛田神社には山笠がなくても人が集まっていることを伝えた。祭りに熱を入れる、いわゆる「山のぼせ」の人々だろうか。些か「密」になっていないか、気になってしまうところではあるが、たとえ中止でもその時間、そこには居たい気持ちもわかる。

4時59分、昨年の山笠の櫛田スタートの音声が挿入される。その時だ。今年も櫛田神社では、集まった人々が「祝いめでた」を自然発生的に歌ったのだ。その様子に目の前にいた沢田アナ・和田アナは感動。そして「すぐ、皆さん帰りました」と。密を避けたのだ。番組中は随時、各流のスタートの音声が流れた。

そして、移動中継が始まる。
神社を背に左へ。さらに冷泉公園の交差点を左折。いつもと違う7月15日の朝を伝える。そして川端通商店街の角にある24時間営業のラーメン店の店主にインタビュー。この店もまたこの春一時営業を休んでいたという。無論、例年の7月15日なら見物客が大勢足を運ぶ店だが、この日はいつも通りの店だ。

中継はさらに中洲の中心部へ向かう。朝まで営業するしゃぶしゃぶ店に入り店主にインタビュー。スタート地点の櫛田神社から北西方向に数百メートルの移動中継だが、舁き手や観衆の声援が聞こえない「7月15日の朝」をリアルに伝える。山笠の歴史を見ると、中止は太平洋戦争の混乱期以来だ。歓声の代わりに、行き交う車の音が聞こえるいつもの朝だ。日常が非日常になってしまったこの朝。ラジオが生中継で伝える意味はあるのだ。

番組は後半から、2016年まで櫛田神社の境内アナウンスを担当していた逸見明正 元・アナウンサーが登場。番組終了の残り時間は逸見アナの声で行われた。今日しかできない1時間の生放送のクライマックスは、廻り止めである須崎町の石村萬盛堂本店前で、沢田アナによる博多手一本で締められた

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IP回線を使った肩掛けの送受信機材1台で生中継ができるようになった10年以上前。私もラジオの移動生中継を数多く担当した。レポーターの靴音に、横を通り過ぎる車、段取りだけではわからない様々なことが起きる。楽しい。とはいえ終わった後に「上手くいった!」などと思うのは皆無なのだが。でも、閉ざされたスタジオに外からの風を送り込む係、我々は放送局の出先機関だ。そんな心算で中継に出ていたのだ。いまが凝縮された生中継。この2つの番組は「やられた」であり「いいなぁ」なのである。

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