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アラフィフを迎え、残りの人生をどう過ごしていくかを真剣に考えている。

アラフィフを迎え、残りの人生をどう過ごしていくかを真剣に考えている。病気などにより、今まで生きてきた年数より、残りの年数のほうが、明らかに、少なくなってきたのだ。先週、インターネットの司法書士講座の講義を安価で購入できたのですが、授業がわかりやすいのですが、脳を疲弊させるだけの司法書士試験の勉強なんていうのも、人生をつまらなくさせるものなのではないかと思っている。ガンとかで、人生最後になって、「もっと仕事以外の人生を選択しても良かったかな」と思う人が多いという。仕事を勉強とかに変えたら、「もっと勉強以外の人生を選択しても良かったかな」とかなりかねない。もっと自然に囲まれたところで生きていくのも悪くないような気がしているが、都会には都会のよさ、自然にいっぱい囲まれた地域でも、良いところと悪いところがある。年を取るというのは仕方がないことではある。病気をしたりするのも、仕方がないことでもある。やはり学生時代の人との交流が思い出されることが多く、社会人になると、がくっとそういうのが減りました。人との交流をまた復活できないかなと思っています。しかし、毎日、ゲームや好きな読書だけをやっている人生というのも、バランスが悪いと思うのである。資格試験みたいな勉強も平行してやって、教養をつけるというのも悪くないと思うのである。司法書士試験は、受験者数も10年前からすると、半減しているし、司法書士の管轄の法務省も、受験会場を50ヶ所から、15ヶ所に減らすというのも、司法書士を将来性がない、冷遇するということの現れとも言えます。私は、修士課程の大学院に在籍していたこともあり、もう1度大学に戻って、勉強しようとは思いません。学問は、学部生や大学院時代に、すべて学部2年生レベルながら、思いっきり満喫したからです。資格も、司法試験も目指していたのですが、合格したのは、国家公務員採用1種試験(経済職)だけでした。官庁訪問をしても、中央省庁から内定はもらえませんでした。学生時代の後悔は、資格を合格できなかったことくらいで、学生時代に、司法書士も考えたのですが、過去問題を見て、これは、私は受からない試験だと思い、今に至っている(アラフィフ)という感じです。今は、わかりやすい司法書士試験のネット講座なんかも出ていて、目から鱗という感じですが、1回では、覚えきれないというのが事実です。私は、教養を得るとか趣味の一環として、司法書士のわかりやすくなったネット講座を聴いているのです。期限が切れたら、行政書士を聴いてみようと思っています。宅建士は、ある専門学校のわかりやすい講座を、すでに聴きました。単に問題演習をやったり、覚えたりしていないだけです。やはり、勉強を何もやらずに、ゲームや読書や漫画を読んでばかりしているというのは、逆に不健全だと思ったからです。司法書士試験のネット講座は、ものすごく脳を疲弊させるのは確かです。人生を楽しめなくさせるのも確かです。しかし、今まで、わからなかった条文の構造などがわかるようになるというのは、うれしいことでもあります。中央省庁に勤めていたら、民法くらい常識になっているはずです。勉強も、人生を楽しくさせることの1つだとも言えるのかもしれないし、人生の苦役とも言えるのかもしれません。司法書士試験をゲームみたいなものと考えれば、わかりやすい講義を聴いて、過去問題を解くなんていうのもゲームの1つと言えるかもしれません。脳科学者の川島隆太も、「勉強は脳のシナプスを増やすので、いくつなっても脳の健康に良いことなのです」と言っています。そんな気持ちから、70歳代の合格者なんかもいるんだろうと思ったりしています。私が大学院のとき師事した結構有名な大学教授は、入院中にドイツ語のある学者の法学の本を翻訳して過ごし、「大変充実した時間でした」とおっしゃっていました。私が、人工透析なんかで、週に3回4時間ベッドに横になっていないといけないとなったら、漫画(マンガ)を読んでいるか、ゲームをやっているか、ラジオを聴いていると思います。やっぱり、勉強や学問じゃあ、人生は楽しめない可能性があります。大学教授の身分にあれば、評価につながるから、ドイツ語の法学の本を翻訳したりもするのでしょうが、大学教授の職にもない僕がそんなことをやっても、評価にはつながりません。大学教授という職にある人はいいなあと思ったりもしますが、私は飽きっぽいので、大学教授には向いていないと思います。「勉強や学問じゃあ、人生は楽しめない」という原則に立てば、書くのは好きなので、noteブログやアメブロを書いたり、漫画(マンガ)を読んだりするのが正解なのかもしれません。かつ、資格試験の講座を必ず1個は受講している状態にしておくのがいいかもしれません。「勉強や学問じゃあ、人生は楽しめない」という原則に立っても、現にゲームで、英検や漢検のゲームなどが発売されています。みなさんは、どう思われますか。喫茶(特にコーヒー)を楽しむなんていうのは、誰でも、いつでも、楽しむことができることですよね。iPhoneで撮った写真や保存した画像などを見ても、いつでも、誰でも、楽しむことができることですよね。ユニクロの今年の秋冬の新商品を楽しみに待つなんていうのも、ユニクロアプリがあれば、いつでも、誰でも、楽しむことができることですよね。
ラジオで言っていたのですが、ウォルト・ディズニーの「夢を実現する4C」として、「好奇心(Curiosity)」「自信(Confidence)」「勇気(Courage)」「継続(Constancy)」が上げられていましたが、ゲストが、付け足しとして、夢を諦めることも大事と言っていました。学生時代の人との交流を何としても再開すべきだ。社会人になってからの会社での人との交流では、本音では付き合うことって、難しいと思う。そのためには、現地に何回も足を運んで、交流を再開する道を模索すべきだと思いました。もしくは、新しい人との交流を新規に作るべきだ。僕が学生時代にアラフィフの人にお世話になって、いろいろ教えてもらったように・・・。そのためには、「好奇心(Curiosity)」「自信(Confidence)」「勇気(Courage)」「継続(Constancy)」をモットーとすべきだ。ただ、冷静に分析すると、学生時代の人間関係は、そのスポーツをやめちゃったり、構成員が年を取ったり、ガンで亡くなったり、クラブが無くなったりで、再開できる目途が立たないというのが現状だし、人との交流を新規に作るというのも、現状では無理そうである。冷静に、問題を1つずつ解決していくべきだ。話や気の合う人との交流が、人生の本質だと思っているのだが、現状では難しそうだ。人生を楽しまねば・・・。その頃の交流を思い出して、反芻して楽しむという道もありますよね。その頃の人も、今は、僕がそうなように、みんなも同じ境遇の人が多いと思う。「あの頃は、良かったな」と・・・。その頃の50代半ばではあろう、おじさんたちは言っていたのですが、「オレたちだって、卓球やれるようになったのつい最近だよな」とおっしゃっていました。僕も、そうなのかもしれません。また、僕が学生時代に卓球の練習をしてもらっていたサラリーマンの知り合いは、その頃、独身で35歳くらいでしたでしょうから、25年前の話ですから、今は、還暦の60歳になっているはずです。卓球なんて、やってない可能性が高いです。インターネットでその人の名前を検索しても、今の状況は、一切出てこないので(当時の状況は半導体の共同論文の執筆者として名前が出てきます)、何をやっているのかもわかりません。当時から、会社(大手メーカー)を辞めて技術書の翻訳をやって食っていこうと思っているとおっしゃってはいたんですけど・・・。会社を辞めたという同僚の情報とその人の現在の携帯電話番号を聞いたのですが、電話をかける勇気はありません。僕の学生時代なんて、noteブログなんて無かったから、アラフィフの人が言うことなんて、貴重なものでしたよね。「独身のアラフィフを迎え、残りの人生をどう過ごしていくかを真剣に考えている。」なんて検討も、聞くこともできませんでしたよね。その人も、会社勤めを辞めて、独立して、技術書の翻訳で食べていくなんて、すごく高尚な人生ですよね。僕もnoteブログで、食べれるようになれればいいんだけど、何の専門家でもないし、フォロワー数も少ないしで、勝算が立たないというのが現状です。
漫画(マンガ)も夢中になって読める漫画がないというのが現状なんですよね。年齢的にも、ビッグコミックスピリッツより、ビックコミックやビッグコミックオリジナルなどの人情物・会社物が面白いと感じるようになりました。今、定期的に買って、収集している漫画(マンガ)は、「かりあげくん」くらいです。「MIX」というあだち充さんの青春漫画の第1巻を注文してみることにしました。没入できて、かつ、面白ければいいのですが・・・。
僕は、アラフィフのファミコン世代で、小学校時代は、ファミコンでよく遊んでいて、今も、ゲームが好きで、よくやっているのですが、ゲームをやって、余生を過ごすというのもいいかもしれません。勉強や学問も、やり込むと、実は、ゲームなんですけどね。だから、大学教授や大学院生(修士・博士)みたいな人も存在するんですけどね。学問や勉強の楽しみに気付いた人たちがいるところです。もちろん、学部卒業でも、そういう人たちは、ゴロゴロといました。ただ、大学教授という職にないのなら、学問では人生は楽しめないと決め付けてもいいと思いますね。貴重なアラフィフの残り時間は、遊んで暮らすというのもいいかもしれませんよね。noteブログやアメブロも、人生に彩りを加えてくれる、現代の遊びかもしれませんよね。小・中・高生では、やってもX(旧ツイッター)でしょうからね。ちょうど年齢に見合う遊びが用意されていると言えるかもしれません。
やはり、私は、人生の残り時間は、漫画(マンガ)を読んだり、人との交流や遊んで過ごしたい。勉強や学問は、学生時代(18歳から26歳)に思いっきりやったし、コンピューターやプログラムの勉強も28歳から32歳まで思いっきりやった。資格試験の勉強もインターネットで講義をしている資格専門学校なので、通学時間というものがかからないので、いつでもやれる遊びとしてやる。
早速、アマゾンで、漫画(マンガ)をビックコミックオリジナルと単行本のマンガ1冊を注文してみました。
仕事で暮らすと言っても、同じ仕事をしている同業の人はたくさんいるのであって、その人があえて、その仕事をするオリジナリティがないですよね。たとえば、司法書士なんかもそうだし、プログラマーなんかもそうですよね。しかし、プログラマーとかは、実務に携わってみないと、わからないことが多く、勉強になることが多いという特徴があります。コンピューターが好きな人は、最適な職業ではありますよね。何を仕事にするかというのも、人生を楽しめるかどうかの分岐点にはなると思ったりしますが、社会的評価も大事だけど、自分が好きなことを仕事にできるかどうかも、人生を楽しめるかどうかの分岐点になると思いますね。私は、大学時代、経済学と法学と経営学と会計学を学んでいたのですが、コンピューターの授業に大変な感銘を受けて、仕事にするならこれだと思い、コンピューター(プログラマー)の業界で働く決意をしました。アラフィフになってみると、プログラマーは、老眼とかも出てきて、きついことがわかります。教える側、つまり、若いプログラマーを育てる側に回らないと・・・。
やはり宗教なのだろうか・・・。しかし、私の人生の経験法則では、行政や出版社が作った新興宗教やってる人って、大学教授まで含めて、何か教条主義的で、視野が狭く、公平なモノの見方ができない人がほどんどのような気がしています。
人生を楽しめるものは、マンガとゲームじゃないかなという気がしている。年齢に応じた活動というものが求められるよね。資格試験(ex.司法書士・税理士)の勉強って、その人が置かれている状況にもよるけど、アラフィフの人がやる活動ではないですよね。学生時代(大学生)にやるべき活動ですよね。これからは、マンガやゲームで暮らしていくとなると、学問って、学生時代の貯金でやっていくことになりますよね。大学教授とかの職にあれば、学問も仕事の一環としてやれるけど、そこに登壇できない人が学問をやっても仕方がないところがありますよね。学術書を読んで、論評するくらいだったら、楽しそうでいいですけどね。今は、noteブログという時代のツールがあるんで、学術書の論評も、大学教授の職になくても、成立しますよね。ただ、noteブログでも、学問的な話をする人って、マイナーで、アクセス数を集めにくいですよね。フォロワーが、2千フォロワーくらいあれば、また違ってきますけど、いわゆる有名人ではない、プロではない、一般素人の人では、2千フォロワーが、限界ですよね。

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