読書感想文【迷いながら生きていく】五木寛之著
こんにちはコウカワシンです。
今回は、五木寛之(いつき・ひろゆき)さんの著書【迷いながら生きていく】から学ばせていただきます。
本書は、「幸せとは迷いの中にある」ということを説いてくれる本です。
人生百年時代になりました。
寿命が延びるということはとても喜ばしいことですが、合わせて「そんなに長く生きて幸せなのだろうか?」と不安に思うこともあるでしょう。
そうでなくても世の中の移り変わりが目まぐるしく速く、何ごとも手探り状態というのは逃れることすら難しいでしょう。
常に迷い、判断に苦しむことが予想されるということです。
一見、迷うことはとても幸せとは程遠い状態と思われますが、なぜ迷うことが幸せなのかを本書から探ってみたいと思います。
なぜ「迷い」こそが幸せなのか?
本書から抜き出した「迷い」が幸せだという理由が次のとおりです。
いつの時代も「苦」の中を懸命に生きることには変わりがないから
自分の人生は自分らしく生きることに意味があるから
自分自身が望む幸せは迷いながら見つけるものだから
人間はいつの時代も苦しんでいます。
大昔ではたとえ王様のように何でも手に入れることができた人でも現代のような便利な生活はできていませんでした。
研究も進んでいなかったことから疫病や災害が何かの祟りであるかのような迷信に操られ、戸惑う毎日を強いられました。
しかし、現代のようにいろんな研究が進み経済的にも豊かになっても人々は何かしら苦しみ、果てには自分で命を絶つ人が多くいるのです。
ですので、「苦」というのは人間が生きている間には逃れることができないということでしょう。
でも、人間は誰でも生あるうちは懸命に生きるべきだし、自分の人生を自分らしく生きることに意味があるし、それが幸せなのです。
そして自分自身が望む幸せとは迷いながら見つけるものでもあるのです。
迷いながら自分の望む幸せを探すということは、その過程も幸せです。
なぜなら、自分の望む幸せというものを目標にしそれに向かって行動するということは変わりつつある自分にも充実感があるからです。
迷いながらも幸せを感じるためには何が必要か?
迷うということは、そのつど判断したり、取捨選択を迫られる場合が予想されますが、そんなときに何が必要なのでしょうか?
その答えを本書から読み取ると次のとおりです。
執着を手放す
「しなり方」の工夫
過去を振り返る気持ちの余裕
執着を手放すとは、「あきらめる力の強化」です。
「あきらめる」とは、決して後ろ向きな意味ではなく「明らかに究める」と考え、人間が賢く生きるための能力ととらえるのです。
「あきらめる」という行動は、客観的な判断力がなければできません。自分の能力を現実的・客観的に見て明らかにし、やらないほうがいいと見極めるのです。
それには気持ち的にはやりたいけどあえてやめるという強い心がなければできません。
これは自分の意志を曲げるということではなく、「変化する自分を認める」ということでもあります。
変化する自分とともに、よくしなう「こころと体」を整えていくことも大事です。
ちょっとした体調不良や気分的になえたりすることは長い人生のうちにはよくあることでしょう。
そんなときにでも、よくしなう「こころと体」に整えてあるなら簡単に弱ったりしないものです。
そうなるためにも自分なりの「しなり方の工夫」をし、マイナスなことが起きても無理をせずすり抜ける力を手に入れたいものです。
それから人間が逃れられないものの一つに「過去」があります。
いい思い出もあれば嫌で嫌で思い出したくない思い出もあることでしょう。思い出したくない思い出はきっぱりと捨てたいと思うのが人情です。
ですが、なぜかそういったものは捨てたくても捨てられないというのが正直なところですよね。
しかし、なぜ捨てられないかを考えてみるとそれはまだ人生に必要だからかもしれません。
だったら逆転の発想で「過去を振り返って味わうことがあってもいい」と割り切るのです。
それがいかに過去を振り返る気持ちの余裕を持つかという気持ちの整理法に結びつくでしょう。
迷いながらも「こころ」や「体」をいたわり、こだわりを捨てて生きていくためにも自分なりの「しなり方」を手に入れたいものですね。
どうすれば「いい人生だった」と感じることができるか?
誰もが人生道半ばでしょうけど、どうすれば「いい人生だった」と感じることができるかを本書から探ってみました。
「生きていることすべてが人生の結果である」と納得する
変わりゆく自分を楽しむ
「自分がどう在りたいか」を大切にする
人は変わります。若いときの思想が年齢を重ねるごとに徐々に変化するということはあり得るのです。
たとえば若いときに目標や夢があった場合、誰もがそれに向かって突き進んでいくでしょう。
そしてその目標が達成したり、残念ながら挫折したとしても、その後の人生は続いていきます。
そんなとき人は何に生きる意味を問うていくのでしょう。
だとしたら「生きることすべてが人生の結論で結果でもある」と、少し自分自身の人生を俯瞰して見るのも一つの手ではないかと私は思います。
そしてもし目標からそれてしまっても、それを納得して受け入れた自分を認めることが大切です。
つまり、「変わりゆく自分を楽しむ」のです。
たとえば私などは、若いときに読んだ本を今読み返すと違った感想を持つことがあります。
若いときにはわからなかった主人公の気持ちが年を重ねた今になってわかるといった感じです。
これは新しい発見だと自分なりに面白いと思うのです。
「自分がどう在りたいか」を考えることも大切です。
というのもどの人もその人らしく生きられることが、一番いいのではないでしょうか。
だから無理して「こうしなくてはいけない」というのを捨て、「自分に心地いい」を重要視するのです。
このように「いい迷い方」をすることで、少しずつでも幸せに近づけていけたらいいし、たぶんこの過程も楽しいはずです。
一度っきりの人生ですので、自分の人生に真剣に迷い、楽しんでいきたいものですね。
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