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2024/05/08 ドナ…ドナ、うしの気持ち

ぼくは今きみの眼、鼻、口、からだと気持ち。
きみもいつかぼくみたいに姿が消えてなくなっていく。
それまでのあいだぼくのなかまたちも次々ときみの、
眼、鼻、口、からだと気持ちになっては消えていく。

ぼくのことをきみたちはうしと呼ぶ。
きみたちのなかにはきみたちの姿をした救い主を信じるひともいる。
ドナ…ドナ
つまりそのひとはなかまを助けるために「つみ」を背負い
いのちをなげだして
はくがいされるなかまたちを救ったという。
いのちがなくなってもたましいはすくわれると。
ぼくにはその「つみ」は何なのかわからない。
ぼくはなぜ、なかまをころしあうきみたちにたべられるのかわからない。
ぼくがいなければきみたちはいきられない。
でもぼくはきみたちがいきるためにいのちをなげだす。

あの朝をおもいだす。
いまだからつたえたい。
ぼくからいのちをうばうひとたちをきらうひともいる。
じぶんたちのなかまをいじめころしてもいきているひともいる。
まじめになかまをかぞくを愛していきているひともいる。
そういうきみたち人間をささえるためにいのちをなげだした。
それまでそだててくれたひとたちにわかれをつげて。
そのひとはぼくをまえにしてぼくがなみだをうかべていることにきづいた
ぼくもかなしかった。
そのつぎのしゅんかん「ぼく」はいなくなった。
からだはつるされちをぬかればらばらにされうられていった。

それでもぼくはみんなをうらまない。
それでもぼくはわるいことをしたばつに
いのちをうしなったとはおもわない。
ぼくの眼はきみの眼
ぼくの鼻はきみの鼻
ぼくの口はきみの口
でも
ぼくの心はきみの心?
ぼくのなかまたちはきみの心をうごかしたか?
きみがだれからもわすれさられればきみはかなしむ
ぼくもだれからもわすれさられればぼくはかなしい
おいしかったならばそれでいいけど
お店のばんごうやぼくのにくのかげには
ぼくの顔がそだててくれたひとたちがふるさとがある
それはきみたちみんなといっしょ
だからわすれてほしくない

ぼくはたべられてもおいしくてもきみのいちぶ
おなじようにきみたちもなかまのいのちも大事にしてほしい



2024/05/08 ここまで

あとがき
ある絵本の広告にインスパイアを受けました。
私たちはいろんな命、動植物を問わずその命に養われています。
彼らは人間達に育てられその人生を選ぶこともできません。
それなのに、人間達は自分達の神様を持ち上げて助け合う一方殺し合う。
その挙げ句に自分達の決まりに合わない人をいじめたり、
法律というものを作っては人を殺したりもします。
そうした人間達を等しく支えるのは理不尽にも人間が育てた動植物なのです。彼らはいま、連綿と姿を変えて私たち自身を平等に支えています。
命とはなんでしょうか。ここでは「うし」の眼を通してうたってみました。

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