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猫を飼っていると思ったことがない

いや、猫を飼っています。
4匹います。
ちなみに写真の二匹は親子です。

会社が工場なのでまぁまぁ広いのですが、工房猫?みたいな感じで悠々と過ごしてもらってます。
お客さまが窓越しに「かわいい!猫飼ってるんですね!」と言います。
「あ、はいそうです!」と言うのだけれど、どこか違和感。
猫と毎日を過ごしているし、猫の心配を毎日しているのだけれど「飼っている」という自覚が無い。
この感情のルーツをたどってみます。

思えば人生の半分くらい猫と過ごしています。
生まれた時に猫が居ました。
名前は「つん」でした。
亡き祖母はずっと猫を飼っていて「猫が欲しい」という人に引き渡したりしていた。
ブリーダーかな?
ただ、祖母が必ず相手に言っていたことがある。
「飼いたくなくなったら私に返してください。」
そんなこんなで、祖母の人生で100匹近く猫を飼った経験があるらしい。
「つん」は飼い主の元でいじめられた猫だったらしい。
祖母が飼った最後の猫だった。

祖母が返してもらった時には人間不信になっていた。らしい。
「らしい」というのは私には心を開いていたからである。
とても仲が良かった。
後で聞いた話だが、兄にも母にも全くなついていなかったらしい。
未だに信じられない。
冷静に考えると、私と祖母にだけ心を開いていた。という自覚がある。
だから今でも自然と猫が安心できる接し方が分かるのだと思う。

たぶん、私が5才くらいの頃、つんは死んだ。
昔は施錠がゆるく、つんは外に出てしまっていて、家の前に停められた車の下でゆっくりしていた。
幼い私は危ないと思い「つん、危ないからおいで!こっちおいで!」と言っていた。
今のスヤ太が「あぶないよ!」と猫たちに言っているのと一緒だ。
サングラスをかけた若い男とキレイな女の人がスポーツカーに乗り込んだ。
「つん!おいで!」
私や猫のことなど気付いていなかった。
発進した拍子につんの頭にコツンと車体の下部が当たった。

それからつんは動かなくてオシッコが漏れていた。
祖母を呼びに行った。
「つんが動かなくなった!」
「浜に行こうか」祖母は言った。
新潟は海が近い。
今では違法だけれど、祖母と一緒に浜のとある木の根元につんを埋めた。
悲しいというか、よくわからなかった。

それから飼いネコはいなかったのだが、近所で飼われている猫たちが私のことを好きになり、いつも私のところに来た。
私は猫に気を使って、猫が怖がらないようにしていた。
よく覚えているのが私が寝るとき近所の猫が私の足元にくる。
布団を介して私の足の隙間に安心しきった猫が丸くなる。
猫に悪いと思って足を緊張させて朝まで動かないようにして寝るのだが、朝になると猫はいない。
えー、がんばったのに。
そんなもんだ、猫さんは。
見返りなんて無い。
だけれど嬉しかった。
何時までか分からないけど怖がらずにいてくれたんだって。
なぜなら、また猫は来るから。それで分かる。
僕のこと好きなんだね。って思った。

近所の犬たちもいっぱいいた。
その子らも私のことが好きだったみたい。
しっぽフリフリ近所のおばちゃんといっしょにお散歩。
いっぱい走った。
犬の方がぜんぜん速くていつも負ける。だけれどとても嬉しかった小学生時代。

そこからしばらく動物と縁は無かった。
10年前、縁があって猫の世話をした。
近隣で猫が増えていることに気付いていた。
継いだ会社は最初から倒産寸前、明日あるかもわからない。
そんな中でも母の貯金で縁のあった猫たちを去勢した。
これ以上カワイソウな命を増やしてはいけない。
10匹ほど面倒を見た中で、間もなくに死んでしまったりどこかに消えた猫もいるが、3匹残った。
そして約一年前、孤児でうちの軒下で困っていた子猫を助けた。
もうすぐ1歳になる。
生後間もなく親が死んだろうに良く生きてたな。

最初はなつかなかったけど、今ではすり寄ってくる。
だから合計で4匹になった。
うちの従業員さんたちにも愛されている。

そう、だから私は猫を飼っているのではない。
縁のあった猫と一緒に居るだけだ。
誤解をしないように、放棄はしていない。
医療費もだいぶかかるし、個々の性格によってカナリ振り回されてエサ代もかかる。
そして相変わらず私のことが好きだから仕事が多い。
困ることもある、だけれど、猫なんてそんなものだ。

めちゃくちゃ猫と会話をする。
会話できていなくてもだ。
今いそがしいから後でね!
後で必ずあげるから待っててね!

猫にはそんなこと分からない。
なーぉ!なーぉ!
と私を待っている。
待っててくれてありがとう。
抱っことか美味しいゴハンとか、ほんとうに原始的な感謝を伝えれば信頼関係は守られる。
人も猫もだいたい一緒だから。
「あー嬉しいねぇ。」「だっこ好きなん?」
それだけでいい。

「つん」みたいなやつが今でもいる。
「私は人に頼りません!」みたいな。
でも分かる。
めっちゃ人のこと好き。
10歳を超えた最年長の彼女に「いつも美人さんだねぇ」と語りかける。
態度は冷たいが遠くへは行かない。
そして本当は優しいことを私は知っている。
亡くなった祖母のようだ。
ツンデレですね。

最後に話は変わって、私の実家の地区は今ではさびれているが、昔は新潟の中心地だ。
私の知らないヒイオバアチャンの時代は昔で言う「おこじきさん」が地域にたくさんいて、その人たちに着物を分け与えておこじきさんは減ったけど自身はジリ貧になったらしい。
そりゃ長女だった祖母は苦労するわ。

若くして母を亡くし、10人兄弟を育てた祖母の記事もいつか投稿したい。

「あぁ、血は争えないなぁ」
そう、ひいばあちゃんに言ってあげたい。

10人産んで、30代という若さで亡くなったひいばあちゃんは笑ってくれるだろうか。
想像を楽しむ。
ひ孫まだこんなことやってんで!って。

ようやく話を戻すけれど、猫は友人です。
ほら、友達ってなんとなくずっと近くにいて、気が付けばずっと側にいる。
そんなものでしょ?
だから、まぁなんというか。
「手間のかかる友人」そんな感じかな。
「もぉ、心配させんなよ!」って。

長くなってしまいましたがnoteの良さを活かしたアウトプット、後悔はありません。
この長文を最後まで読んでくれたあなた。
ほんとうにありがとうございます。
私が一番読むと思います。笑


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