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【再考】誰かのためになる生き方とは

なんだか、世の中に『既婚者』とか『子供いる』ポジションへの意識、目立ちませんか?
恋愛に消極的だったり結婚にネガティブな人が増えているので尚更なのかもしれませんが、よく聞くのが『パートナーのためになっている』『子供のためになっている』
つまりは『生き甲斐がある』という妬みに近い感情。
未婚者だし、それが無ければ死んでも誰も困らない?
なんだかモヤモヤするんですよね強引なネガティブ、何なんだろう。
それが何なのか改めて考えます。

私が既婚者だから、子供がいるから何を言っても説得力が無いということになるのかな。
そもそも私は誰かのためになりたくて結婚したわけでもないし子供がいるわけでもありません。
社会的ステータスがほしくて、とか、それが常識だと思っているから?
ぜんぜん違います。
『ノリ』です。
これってとても大切だと思っていて、『ノリ』って本心に素直っていうことです。
余計な外からの押し付けが無いってこと。
結果的に誰かのためになっているなら結果よかったね、とは思う。
自分で選んで納得しているし、それで誰かが少しでも喜んでいるならラッキーですよ。
そもそも自分視点ではマイナススタートではないです。
だから、それ以降に得る『甲斐』は必ずプラスになります。

分かりやすく誰かのためになりたいなら『寄付』や『ボランティア』をし続けることが近道だと思います。
誰が見てもわかりやすい。
だけどね、それよりも今現状もしくはこれまでの自分が誰かのためになっていることに気付くことが本当の意味で大切だと思うんです。
誰かのためになっている事実は、歩んだ後に『結果論』として気付くだけで十分だと思います。

結婚以外にも社会的ステータスってありますよね。
例えば『仕事をしている』
仕事をしていないと生きている価値が無いの?
親から言わせてみれば心配はあるだろうけど、親が子供を心配するなんて当たり前のことです。
それよりも、仕事をしていない子供がオンラインゲーム依存を脱却するために一歩ずつ努力している姿。勇気を出してハローワークに向かう背中。「今回もダメだった。。」と言いながら次のステップをイメージしている前向きな姿。
その時点で『誰かのため』になっていますよね。
勝手な社会的もしくは常識的視点で見たら『自分は最低だ』とか思うかもしれないけど、社会や常識って赤の他人よりも遠い、それこそどうでもいい存在ですよね。
自分を主役にしましょう。

私にとってはこれが精一杯。
私にとってはこれがとても大切。
私にとってはこれが大きな一歩。

それで良くないですか?
少なくともその活動を応援してくれる人が一人いたら幸福ではないですか?
それが一人も居ない。親ですら自身の存在を否定し知人や友人もいない場合もあるので、それに対する答えにはなりません。
その場合はただただ不快だと思うだけですのでこの文章を読む必要はありません。

確かなものに自信を持ちましょう。そして想像力を大切にしましょう。
確かなものとは例えば『親に迷惑をかけている』ではなくて『親がこんな自分のために頑張ってくれている』 頑張るってポジティブだからね。
想像力っていうのは例えばうちのような零細企業でも例えられることです。

うちで働いていて、目先の行動で言えば同じようなことを繰り返しているかもしれない。
だけれど想像してほしい。
必ず誰かが喜んでもらえる自信ある『正しい』ものづくりをして、実際に毎日『本当に良かった』『感動してもらえた』『またお願いしたい』という言葉を毎日たくさん頂いている。
社内においても自分がやらなければ誰かがやらなければならない。
そのおかげで他の誰かが別のお客様の感動を創ることができている。

だから、実感が薄いとしても間接的にたくさんの喜びを作っているんですよ。
毎日の何気ない日々がとっくに『誰かのため』になっている。
ちょっと想像すればわかることです。
だから仕事を選ぶときは職種より主義の合った会社を選ぶことが大切かもね。
想像することを諦めず、自身に自信を持って前を見てほしい。
前を見るのはそうしなければいけないというよりも、その方が絶対楽しいという自信が私にはあるからです。
生きる目的が『前を見ない』なんなら『後退したい』という主義なら私の価値観と大きく異なるので響かないですね。

記憶になくても原体験があるはずですよ。
ハイハイしていたのがヨチヨチ歩きできるようになった。
バブバブ言っていたのがカタコト喋りできるようになった。
食べさせてもらっていたのがスプーンを使えるようになった。

その時に誰かが喜んでくれたなら自信を持つべきです。
もったいない。
無償の愛情の無駄遣いになってしまいます。

綴っていて分かりました。
私は気付いてほしいからモヤモヤするんだな。
すでに持っているのに『生きる価値が無い』とか『生きていると迷惑かける』とか想像することを省いてネガティブな結論を出すことに。

私が愛情に恵まれていたから説得力無いとか言われるのかな。
いいじゃないですか親じゃなくてもSNSでもらった一件の応援コメントが生き甲斐になっても。
きっかけがあるならそれを口実に楽しく生きる素材にしてしまえばいいんですよ。
大切なのは『気付くこと』と『確かでないものを信じること』そもそも確かなものなんて全然少ないから。
余計に目立っている有名人とか大会社の社長とか神と崇められている教祖とか、みんな同じですよ?
華やかに見えたってみんな桜のように咲いては散るし、表面では見えない様々なものを抱えて生きています。
分からないことを想像してネガティブなるよりも未知を想像してポジティブになる方が楽しいよきっと。
私は誰に言っているんだろう?笑
世の一部の若い方々の風潮を見ていてモヤモヤがたまっていたので吐き出しました。

ワザワザ自ら可能性を閉ざすよりも、フワッと前向きに。楽しいか悲しいかは分からない未来は良い意味でボカシていくことも大切だと思った今日でした。
未来なんてどーせ悲しいし楽しいし。

ではまた。


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