ペットボトル飲料の値段がお店によって違うように、働く場所によって年収は変わる。

私が好きな500mlペットボトルのお茶がある。

それはその辺のコンビニだと150円で売っているが、近所のスーパーでは80円くらいで買える。

仕入れ価格の違いなのだろうか、販売コストの違いなのだろうか。

理由はどうあれ、同じ商品なのに価格が違う。

買う側は店の利益には興味がない。

同じ商品を80円で買ってくれる人もいれば150円で買ってくれる人もいる。
それだけだ。


でも、そんな当たり前のことが、労働市場でも起こっていることを、
転職をするまでは認めることができなかった。



私は理想論者だったので、良いことが評価される世の中を望んでいた。

それが仕事であれば、能力が高い人や頑張った人がアウトプットを出したことが評価されるべきだと。

私がエンジニアになったのも、優秀な人、スキルのある人ほど稼げそうと夢見てたからだ。


でも残念ながらそれは一つの側面でしか無いことを、社会は教えてきた。


年功序列だから当たり前という前提を無視したとしても

能力やスキルは同でも、
同じ仕事をして同じくらいのアウトプットをしても
給料が高い人と安い人がいる。


ちょっぴり羽振りの良い会社に転職して、それをさらに実感する。

私自身、同じ仕事をしてもお給料が上がったのは事実だし、
前職にいたスキルが高くアウトプットをたくさん出していたあの人よりも、
現職にいる人スキルもアウトプットも低く見える人の方がお給料が高かったりする。



そして気づく、自分という商品をどこに売るか。誰に買ってもらうのか。

この変数は無視できないんだなと。

自分が80円で売られているお茶だとしたら、150円で売れるようにもっと美味しいお茶になろうと努力をしていた。

でも、売る場所を変える。買ってもらう人を変える。
それだけで150円で売れるようになったりする。


市場価値とかといった言葉で片したくはないが、

同じ商品でも、やっぱり高く買ってくれる会社と安く買ってくれる会社はある。そんな当たり前の話。


でも、美味しいお茶になろうと努力することは無駄だったかと言われると、決して無駄ではなかったと信じてる。

より美味しいお茶になって、より高く買ってくれる人に売ることができれば、より高みに到達できるから。

でもやっぱり、そこに対する需要は高く無いことは知っている。












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