コウチャロウ

FI (Financial Independence) を目指すエンジニア。 ポエムを…

コウチャロウ

FI (Financial Independence) を目指すエンジニア。 ポエムを書くのが好き。 日々考えたことを適当に書いてる

最近の記事

FIREを目指すのががちょっぴり楽しくなる、少額の不労所得の楽しみ方

FIREを目指して資産形成をするとき、 目標の資産額に対して、今の資産がいくらかといったように 現状の資産額をKPIにすると思います。 でも、資産額だけを見てしまうと、 まだこれっぽっちしか資産がないとか、 目標まであと何千万も増やさないといけないとか、 長い道のりに呆然としてしまうのではないでしょうか。 そんなときは、今の資産で賄えるものをKPIにすると、 長い道のりも楽しめるようになるのかな、というお話です。 1日100円の不労所得 数年前の私は月30万円くらいの

    • 頑張るより重要な「そんなこと」

      うまく言語化ができないのだけれど 何か目標を達成したり、凄いことをするために 色々頑張ろうと思ったり、頑張ってしまうと思うのだけれど え、そんなことで?みたいな小さなことが 頑張ることよりもよっぽど大事だなと思うことがある。 例えば、私は資産3000万を目標に節約とか副業を頑張っているのだけれど、 投資をもっと早く始めていたら、今頃3000万を超えてたりする。 早く始める。たったそれだけのことが、今色々頑張ってることより重要なことだったりするのだ。 こういう具体例を

      • 資産3000万円でFIREする方法②

        以前こんな記事を書いた。 資産3000万あれば、月10万円ゆるく稼ぎながら月20万円の生活をし続けることができる。というバリスタFIRE?とかサイドFIRE的な話。 でも、誰かと協力することでFIREの敷居が更に下がることに、最近気がついた。 その記事を書いていた当時は一人で生きていくことしか考えていなかったが、別に誰かの助けを借りたっていいじゃないか。 資産3000万のパートナーを見つける パートナーを見つけることの一番のメリットは、生活費を折半できることだ。

        • 適度な物欲は人生を幸せにする

          最近、物欲が出てきた。 どれも生きていくのに必要なものではないものだど、欲しいものが増えた。 あるとちょっぴり生活が快適になったり、ちょっぴり面白い体験ができたり、ちょっぴり良い気分で生活できるようになる、そんな商品。 ミニマリストとか資産形成をしているうちに、 そんなものを買わなくても暮らせること ちょっと我慢すれば経済的に自立できることを知ってしまい 基本的に物欲というのは無くなっていた。 物欲がない時は、欲しいものを買うためにお金を稼ぐという、原始的?に近い動機

        FIREを目指すのががちょっぴり楽しくなる、少額の不労所得の楽しみ方

          ペットボトル飲料の値段がお店によって違うように、働く場所によって年収は変わる。

          私が好きな500mlペットボトルのお茶がある。 それはその辺のコンビニだと150円で売っているが、近所のスーパーでは80円くらいで買える。 仕入れ価格の違いなのだろうか、販売コストの違いなのだろうか。 理由はどうあれ、同じ商品なのに価格が違う。 買う側は店の利益には興味がない。 同じ商品を80円で買ってくれる人もいれば150円で買ってくれる人もいる。 それだけだ。 でも、そんな当たり前のことが、労働市場でも起こっていることを、 転職をするまでは認めることができなか

          ペットボトル飲料の値段がお店によって違うように、働く場所によって年収は変わる。

          会社員が若いうちにFIREするという運ゲー

          FIREを目指してインデックス投資を頑張っている人がいるが、若くしてFIREをできる人は 入金力が高い人 生活コストが低い人 相場に恵まれた運が良かった人 のどれかでしかない。 インデックス投資をしている普通の会社員が30歳くらいでSIDE FIREとかセミリタイアをするのはやっぱり運ゲーだなと感じる。 過去のチャートからわかること インデックス投資について自分なりに過去のチャートを分析してみた。 確かに株価は長期的に右肩上がりだった。 どの20年間をとっても

          会社員が若いうちにFIREするという運ゲー

          1を聞いて10を知る

          1を聞いて10を知る。 そんな頭の良い人、賢い人に憧れた時期があった。 それでも歳を取るにつれて1を聞いて2とか3を知れるようになったな と思うことがある。 より正確には、1つ教えてもらったらそれ以上学べるようになっただけかも知れない。 そういう時は好奇心がありアナロジーをしてる。 自分の経験の中から似ている事象に気づく。もしくは見つける。 あの時はこういうことがあったから、今回もそうなるかも知れない。 と仮説を立てる。 そうすると、その仮説があってるか確かめたく

          1を聞いて10を知る

          他人と年収を比べても意味がない理由?

          年収という数字の比較は一部の側面からの比較であり、本質的な比較ではない。本質的な比較をしようとすると、自分と他人の人生の比較になってしまい、それは困難かつ無意味である。 割といろんな本を読んだつもりだったけど それに気づいたのはここ数年のことかもしれない。 年収は労働市場で得た利益の比較ではない その年収を稼ぐコストが違う。 これはわりかし早い段階に気づいていたが、 例えば労働時間が違かったりする。 時給換算すると、数字の大小関係は変わるかもしれない。 年収100

          他人と年収を比べても意味がない理由?

          電車で割り込みされて、大人になれないことを知る。

          帰宅ラッシュの電車に久しぶりに乗った。 8人くらい座れる横長の座席、その前の席に立つ私。 しばらくすると、私の隣におじさんがやってくる。 もうしばらくすると、私の前に座っている人が降りようと立ち上がった。 降りようとする人を通そうと少し譲る私。 その瞬間、隣のおじさんがスルリと私の前の席に座った。(空いたのはおじさんの斜め前の席) そして咳払いをしてスマホをいじり出した。 いわゆる割り込みをされた私。とても嫌な気持ちになった。 似たような経験を10年前に何度もしている

          電車で割り込みされて、大人になれないことを知る。

          人それぞれツラさは違う

          高校生のころツラいことがあった。 でも、誰もそのツラさを理解してはくれなかった。 その程度我慢しろ。周囲の人たちはいった。 自分のツラさを理解してもらいたいとは思わなかった。 私こんなにツラいんです、とアピールすることに意味はないし、 そんな弱い人間になりたくなかった。 でも、理解者がいないのは味方がいないと一緒だった。 いろんな人がいろんな形で敵として現れた。 私は「事象はニュートラル」という言葉が好きだ。 学生時代、問題解決やNLPの本を読んで知ることができた。

          人それぞれツラさは違う

          資産3000万円の皮算用 (毎月の積立額を減らしても良さそう)

          資産額がある程度大きくなると、資産の増加に対する毎月の積み立ての寄与が小さくなる。 資産が3000万円を突破し、次に資産5000万円を目指すことを仮定すると 毎月の積立額が20万円の場合は、3年11ヶ月後に、 毎月の積立額が40万円の場合は、2年8ヶ月後に、 それぞれ資産5000万円に到達する。 ちなみに運用利回りは7%で仮定してる。 これは少しだけ驚きというか、 毎月20万円を今使わずに未来に投資しても、資産5000万円の到達は1年しか早くならない。 私は現在、貯

          資産3000万円の皮算用 (毎月の積立額を減らしても良さそう)

          新築マンションを買いたい誘惑

          アラサーにもなると結婚をして戸建やマンションを買う人が周りにちらほら出てくる。 そんな友人たちのお家に招待されると、家っていいなぁ自分も欲しいなぁと思ったりする。 そんな多くの人が通りそうな道半ば、自分なりにちゃんと考えてみることにした。 (現時点はまだ殴り書きなので、後日アップデートしていきたい) 結論から言うと、私は賃貸派ということになった。 少なくとも庶民にとっての住宅購入は 借金をして超高価な買い物をする 投資目的で売れる家を買う のどちらかだと思っ

          新築マンションを買いたい誘惑

          上を見るより下を見た方が幸せなのだろうか

          容姿だろうが学力だろうが収入だろうがスキルだろうが なんでも良いのだけれど、自分より上の人もいれば下の人もいる。 そして私は自分より上の人と比べることが多かった。 仮に自分が70点くらいだったとしても、それを凄いと思うことは一切なくて なんなら自分ってたいしたことないなと悲観して、努力をすることも多かった。 よく理想が高いとか向上心があるとか言われるが、 かっこいい人間になりたいという思いが自分の根幹にあったように思う。 70点でも60点とか40点とかの人の前では少

          上を見るより下を見た方が幸せなのだろうか

          できると思われたい自分 vs できると思われたくない自分

          若い頃は、自分の能力を証明したいという思いが強かった。 凄いやつ、できるやつになって、周りから褒められたい認められたいと思っていた。 それがモチベーションで勉強とか仕事とかを頑張れてたりした。 でも徐々に、楽をして生きていきたい人の、できない方が得だよね? みたいな価値観に共感するようになった。 頑張って評価されないくらいなら、最初から頑張らないほうがストレスがないとか、 期待値を上げてそれを下回ってしまうよりは、 最初から期待値が低い方が、ちょっと頑張ると評価される

          できると思われたい自分 vs できると思われたくない自分

          他人に勝つためじゃないと努力できない

          年収が850万を超えると、それ以上は幸福度は変わらない という話がよくあると思う。ちょっぴり信じ難いのだけれど 少なくとも毎月の給料を全額使い切っていない私にとっては おおむね当てはまってるような気もする。 考えてみると、お金で買える幸せというのは、そこまで残っていない気がする。 住んでる家が広くするか、毎日の食費を少し上げるとか、身に付けてるものを高価にするくらいしか、くらいしか思いつかない。 一時的にちょっぴり幸せにはなるのだろうけど、 人生の幸福度を考えるとあま

          他人に勝つためじゃないと努力できない

          短縮授業のワクワク感

          小中学生時代、たまに短縮時間割というのがあったと思う。 いつもは6限目まで授業があるのに、その日は4時限目の午前中だけで授業が終わる。そんなご褒美みたいな1日があった。 当時の私は、13時から18時くらいまで自由な時間に、とてもワクワクしていた記憶がある。 IT系の会社に勤めてる私は、このご褒美みたいな1日を自分で作ることができる。 例えば午後休をとることで、8時半から12時半まで4時間働いた後に 自由な時間を作ることができる。 MTGもない1日は、自分が気合を入れて

          短縮授業のワクワク感