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【海外の文化を創作に取り入れる】一度は読みたい世界文学のススメ(2014年5月号特集)


翻訳もののもどかしさ

 たとえば、ここに『殿中でござる』というタイトルの小説があるとします。日本人なら、この題名を見ただけで「忠臣蔵ではないか」と思うはずです。それが現代小説だったとしても、「やってはいけない場所でやってはいけないことをしてしまった話だろう」というぐらいの察しはつくはずです。作者もそれを狙ってタイトルをつけるでしょう。

 ところが、これを英訳し、タイトルも「It´s in the castle!」とでもした場合、日本のことを知らない外国の読者はなんのことか分かりませんし、「castle」から連想する城も西洋風の城になってしまうかもしれません。

 逆も真なりで、私たちが世界文学を読むときは、「正しく日本語に翻訳されているのかもしれないが、その実、とんでもない読み違いをしているのではないだろうか」という感覚を持ちます

 実際、その国の文化や習慣、風俗などを知らないと、なんだかとんちんかんなものをイメージしている気にもなりますし、それを注釈で説明されても分からないことに関しては同じです。街並みも人々の服装も、具体的な絵としては浮かべにくかったりします。
ギャグになるとさらに分からず、

「なるほど。聖アントロワーペン職者の服は肉アントンワップル入りパンの近くにあるんだね」

(清水義範著『世界文学必勝法』より)

と言われても、ジョークらしいとは分かってもよくは分かりません。分かっても笑えません。翻訳ものには、そうしたもどかしさがあります

ヒントとしての世界文学

 しかし、それでも世界文学を読まないと、私たちが書く小説は自家中毒を起こし、行き詰ってしまうはずです。新しい風が入りませんから。
 実際、作家志望の皆さんは、いろいろ手を変え品を変え工夫したつもりでも、できあがるものは似たり寄ったりだったりはしませんか
 それだけでなく、あっという仕掛けもアイデアもなく、かといってテーマ性も深さもなく、何か新しさがないと思っていませんか。

 原因は、書く人を刺激し、そんな手があったのか、真似できないかと思うようなインプットがないことではないでしょうか。そして、そのような小説は、自分からは遠いところ、世界にあるはずです。

 そもそも日本文学はずっと世界文学を取り入れてきました。近代の西洋文学史と日本文学史が驚くほど似ているのは、西洋の小説をそのつど輸入し、あるいはいっぺんに輸入し、模倣し、応用してきたからです。私小説のように日本で独自に発展したジャンルもありますが、大まかな流れはほぼ同じです。

 近代の日本文学の本家は、すべて世界文学にあると言ってもいいです。写実主義、自然主義、ロマン主義、耽美派、教養小説……みんな輸入品です。
推理小説、SF小説、ファンタジー、ホラー、ハードボイルド、ロマン・ノワール……これらも発祥は海外です。
 かつて、日本文学はこうした世界文学を積極的に取り入れていました。取り入れなければ、自国の文学の発展はないというぐらいにどんどん模倣し、どんどんアレンジしていきました。

 ところが、自前の文学が発展すると、前述のような翻訳のもどかしさもあって、世界文学は読まれなくなりました。特にこれからプロを目指すアマチュアの方が読まなくなりました。
 似たような小説しか読んでいなければ、当然、書く小説も似たようなものになり、永遠に金太郎飴状態を続けることになってしまいます。

 ならば、創作のひとつのヒントとして、世界文学を読んでみましょう。教養を身につけるためではなく、書く意欲を醸成してくれる手段としてです。
そして、「この作家の作品は全部読みたい」という作家を探しましょう。そこまで入れ込む作家と出会えたら、あなたの小説にも相当の影響をもたらすと思うのです。

COOL JAPAN小説版は可能か:日本の小説を翻訳する壁

マンガ・アニメはJAPANならなんでもいいとばかりの勢いで翻訳されていますが、日本文学は、村上春樹など一部の作家を除き、ほとんど翻訳されていません。それはなぜでしょうか……

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※本記事は「公募ガイド2014年5月号」の記事を再掲載したものです。


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