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親なき後、障害を持つ子はどうなるのか、という心配は永遠に消えないのか

画像は「みんなのフォトギャラリー」からお借りしました。綺麗だし美味しそうだし。内容とは関係ないけれど、ちょっと酸っぱい感じだけは似てるかな、と思ったりしています。

障害児の親ならば

自分の子どもに障害がある時、

親が死んだ後に残った子どもは

どうなるのか。

これは、

障害児がいる家庭ならば、

一度は思ったことがあること、

とわたしは思います。

昔、本のタイトルで、わたしの頭に

強烈に残っているものがあります。

「一日でも子どもより長生きしたい」

(注:若干、タイトルが違うかもです)

このタイトルには、

子どもさんが障害児で、

自分が死んだ後に

我が子がどうなるかを考えると、

子どもを残して死ねないという、

切実な親の願いが詰まっています。

障害児との関わりがあったわたしは、

なるほどと深く納得したと同時に、

なんて的確な表現だろうと感動しました。

子どもは親のものなのか

感動はしたけれど、

こんなことを言わせる社会で

いいのだろうかと思います。

障害があっても、

心配なく生きていける社会こそ、

豊かな社会なのではないかと、

理想論をぶちかましたくなります。

少子化の今


子どもが減ってたいへんだと、

あちらこちらで声が上がります。

確かに子どもは増えた方がいい。

でも、ひとつ思うことがあります。

子どもが増えると障害児も増える。

ということは、

一日でも長生きしたいと

切実に思う親が増えます。

しかしです。

今の日本の制度では、

親亡き後、ひとりになっても、

行政が放置しないだろうと思います。

社会の一部を担う障害者

話は変わりますが、わたしは、

健全な社会の一員として、

障害者こそ必要だという思想で、

生きています。

極端な言い方をすると、

世の中の大半の健常者は、

健常者クジを引いただけです。

障害者は障害者クジを引いたと。

ああ、極端だ。

でも、統計的にも、

これは事実なのではないかと、

考えています。

障害者は意外にも強い

健常者でも障害者と関わった人は、

なんとなくわかると思います。

案外、障害者は、

堂々と障害者として、

生きていけているのです。

福祉制度が充実しているから、

というのもあります。

障害者が問えば、答える社会です。

親は十分頑張っている

今ならグループホームとか、

多様な生き方があります。

だから、還暦前のわたしを、

自分で抱え込んで心配するより、

もっと社会との接点を

積極的に持たせてほしい。

直接言ったら喧嘩になりますが。


可愛い子には冒険を。

親が安心して死ねるように。


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