人生を豊かにする中国古典の名言45
【今日の名言】
自分の心に疑いを抱いている状態で悩んでいることを決めようとすると、その決定は正しいものとはならない、という意味。
自分の心に疑いがある時点で思考が偏ってしまい、冷静な判断が下せなくなっているからです。
つまり、悩みごとに答えを出すのは、自分の心が落ち着いているときにせよ、ということですね。
荀子は、人の判断を「知覚する」「判断する」の2段階のステップに分けて考えます。
「知覚する」とは、目で見たり、耳で聞いたりすることです。
人の五感を通して入ってきた情報のことですね。
例えば、山の頂上に木が見えるとか、空を見上げると星が見えるとかは視覚からの情報で、風の音が聞こえたり、人の言葉が耳に入ったりするのは聴覚からの情報になります。
そして、これらの情報があってはじめて判断を下すのです。
例えば、「傘を持って出かける」という判断をした場合を考えてみましょう。
荀子の考えでは以下の2段階に分けることができます。
空を見ると雨雲が見えた
雨が降るかもしれないので、傘を持って行くことにした
1番が「知覚する」段階です。
雨雲という視覚情報のほかにも、もしかしたら、雨の匂いがするという嗅覚からの情報もあったかもしれません。
この情報をもとに、2番でどのように行動するか頭の中で「判断する」わけです。
「なんだか雨が降りそう」と思ったあなたは傘を持って出かけます。
これが一連の判断の流れです。
このような考えを踏まえて、荀子は言います。
物事を観察するとき、あれこれと疑って迷っていては、物事を見定めることはできない、という意味。
改めて、先ほどの例で考えてみましょう。
空を見ると雨雲が見えた(「知覚する」)
雨が降るかもしれないので、傘を持って行くことにした(「判断する」)
この場合は「雨雲が見えて雨が降りそうだったので、傘を持っていく」という判断をしました。
しかし、何か別のことを考えていたり、心が落ち込んでいたりした場合はどうでしょうか?
その場合は、もしかしたら以下のように判断してしまうかもしれません。
空を見ると雨雲が見えた(「知覚する」)
ぼーっとしていたので、そのまま出かけた(「判断する」)
先ほどは合理的な判断をしていたものの、今回は傘を忘れてしまいました。
つまり、同じ人が同じものを知覚したとしても、そのときの心の状態によって判断が変わってしまうのです。
心が冷静なときは合理的な判断ができたとしても、心が迷っていたり、心が弱っていたりするときは冷静な判断ができません。
そして、こういう状態で下した判断は合理的ではないため、大抵の場合は望ましいものにならないのです。
正しい判断が下せないと、思わしい成果が上がらずに災難に見舞われてしまう、という意味。
今回の場合でいうと、傘を持っていかなかったことで、帰り際に雨に振られてしまうかもしれません。
それは災難ですよね。
ですので、心が迷っているときに重大な判断を下すのは避けたほうが良いでしょう。
何か心配ごとがあるのであれば、まずはそちらを片付けてしまいましょう。
1日置いてみると意外と解決策が見つかったりするものですし、ネットで調べてみたり、人に聞いたりするのも良いかもしれません。
一方で、体調不良や疲労などで心が弱っている方の場合は、まずは休むことが大事です。
そのような状態で慌てて判断を下してしまうと、あとで絶対に後悔してしまいます。
どうしても判断しなければならない場合は、第三者に相談しましょう。
ご家族でも職場の同僚でも主治医の先生でも構いません。
客観的に冷静な判断を行える人のサポートがあれば、そこまでひどい判断を下す可能性は低くなると思います。
何はともあれ、大きな決断を下すときは心が落ち着いているときに行いましょう。
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