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「でもやっぱり人間向いてないわ」一度染み付いたら取れないんだ。

予約した歌舞伎町のラブホに行く。
そのあと飲み会帰りの彼がくる予定だ。
1人で歩く夜の歌舞伎町はラブホまでにいろんな国籍のヒトがたくさんいて、ゴミが散乱していて、道には得体の知れないモノがこびりついていて、そんなことが相まってか、ビクビクして、心細く、自然と足が速くなる。

これがだいたい1年くらい前の話である。

それが、この間地方に行くという彼について行った時もラブホまで1人歩いて行ったのだけれど、
同じぐらいの時間だったのに全く怖くなかった。
心の幅など気にしないで歩けた。
人がいないから?ゴミがないから?道が綺麗だから?足取りは軽く、ホテルに着く安堵など全く感じない。

どうしてこんな感情なのだろうと不思議に思う。
と、記憶を辿っていくと、
先に地方入りした彼を追いかけ、1人で飛行機に乗ったのだけれど、
驚くほどスムーズに、そして、淡々とおこなえた。
行き慣れない空港や飛行機の手続きを1人で以前に行ったことがあるからだ。

そうか、2回目だからだ、となった。
ものすごく単純な理由なのだけれど、表現方法を変えると、1回目、初回は行うことだけでなく、感情が動きやすい。

1回目/初回×行うこと
=行動している人の感情が動きやすい
2回目以降×行うこと
=行動している人の感情が動きづらい

と方程式が頭に浮かぶ。
これが慣れということなのかもしれない。
冒頭のラブホもそういうことであると思う。

そう考えると、私の好きな番組、はじめてのおつかいも、同じことが言える。
こどものおつかい、おとなのおつかいでは長寿番組にはならなかったと思わないか。

初回×買い物(行動)
=行動している人の感情が動きやすい

私は自分の経験とこの長寿番組の結びつきが
すごくしっくりしているのだが、
皆はついてこれているのだろうか。

はじめてのおつかいに対し、
私はホッコリした印象を持っていて

そちらに引っ張られそうだが、
今回はそういう話ではない。

私はこの麻痺が怖いのだ。
経験をある程度選別する必要があると
感じるのはこれが理由だ。

人として何か欠けたことはしない方がいいと思う。麻薬と同じだ、1回初めたら、
2回目、3回目は容易い。

それが習慣になって、人を作るのだろう。
そして、それが人生になってしまう。

また、周りに経験者がいると、
この感情が動きづらくなる。
自分は1回目なはずなのに、1.1になるのかわからないが、初めの方程式が崩れる。

だから、関わる人を考えないといけないのかと思う。

最近はそれで少し人付き合いを考えるようになった。なるべく憧れる尊敬する人のそばに行くようにしている。
そしたら、私も少しでも近づけるような気がするから。良いシミがつく気がするから。

私は彼といろんなことをした。
私の手には届かないものをいっぱいにもらって、
でも、それは彼から離れたらできなくなってしまう。

そしたら、私が私でなくなってしまうのでないかと心配だ。

シミはしっかりついているのに、
これは隠さなきゃ行けない、良いシミではない気がしている。

私は2回目を初めてとして扱うことができるだろうか。違う、しなきゃいけないんだと思う。

それでも見えないのに、自信や肝が私の中に居座っている。


ポーカーフェイスが上手いんだとまた嘘をつく。

こうやって私は私ではなくなっていく気がしている。じゃあ自分が嫌いかと言われれば、そうではない、

世界で1番自分を愛してくれるのは自分であると信じているので、

そんなシミさえも愛そうとは思う。

ただ私が風景化したシミは
他人から見れば異様なものに見えるのではなかろうか。

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