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10分でわかるネオ哲学史『一度読んだら絶対に忘れない哲学の教科書』読書案内+参考文献の補足

この記事では、ネオ高等遊民『一度読んだら絶対に忘れない哲学の教科書』SBクリエイティブの参考文献を紹介します。

と同時に、それぞれの哲学者の解説で、どんな内容が書かれているのかを、ごく簡単に紹介していますから、ざっくり内容を把握するにも適しています。

ページ数の都合により、出版物には参考文献をすべて載せることができませんでした。(本書は全256ページですが、これがキリのいい数字みたいです。たしか8ページか16ページ単位での増減となる、と聞きました。)

そのため、一次文献(むかしの哲学者の著作。たとえばハイデガーの『存在と時間』)などはすべて省略せざるを得ず、参考にした解説書等も一部しか掲載できませんでした。

したがってここに、より充実した参考文献を紹介します。
読書案内や、本書をより深く読むためのガイドとしても機能するように書きました。

目次に沿って紹介します。
まず全般的に参考にした文献を挙げ、それから個別の哲学者の執筆の際に参考にした文献を挙げます。

先にお断りをせねばならないのですが、以下の参考文献も、決して網羅的なものではありません。論文の注釈のように、参考文献や出典をすべてメモしていたわけではなかったので。漏れや抜け、忘れてしまったものもあります。あくまで「補足」としてご理解ください。
「参考文献をどのように参考にしたかを、今更ながらきちんとメモしておこう」というのが本記事執筆の動機です。


一読してそこそこ役に立ったら、ハートマークの「スキ」を押してくださるとうれしいです。

古代

まず古代の哲学者、いわゆる初期ギリシア哲学の資料は次の3冊です。

  • 廣川洋一『ソクラテス以前の哲学者』講談社学術文庫

  • 日下部吉信『初期ギリシア自然哲学者断片集』ちくま学芸文庫

  • Laks and Most (2016) "Early Greek Philosophy" (Loeb Classical Library)

Loebは最新(約60年ぶり)の初期ギリシア哲学テクストです。

逸話や一部の学説については以下の古典テクスト。

ディオゲネス・ラエルティオス『ギリシア哲学者列伝』岩波文庫


また、全体として参考になる解説書は次の3冊です。

  • 納富信留『ギリシア哲学史』筑摩書房

  • 岩田靖夫『ギリシア思想入門』東京大学出版会

  • 日下部吉信『ギリシア哲学30講』明石書店 ※以降「クサカベクレス」

納富信留『ギリシア哲学史』を書籍の参考文献には挙げられなかったのは、とりわけ残念でした。古代執筆のうえでたいへん参考にしたのですが、納富氏の著作はすでに別に2冊あげていたため、紙幅の都合上、割愛せざるを得ませんでした。この省略は、私自身も大変残念でした。


タレス

タレスは本文で引用した、プラトン『テアイテトス』『国家』やアリストテレス『政治学』の逸話を紹介してます。

「井戸に落ちたのは天体観測であった」という解釈は、納富信留『ギリシア哲学史』にも紹介されています。

「神話から哲学へ」という通説を批判する点で参考にしたのは、古東哲明『現代思想としてのギリシア哲学』ちくま学芸文庫です。水よりも神話のほうがよほど合理的だ、という指摘を参考にしました。


ピュタゴラス

ピュタゴラスの記述は、拙動画「何すごピュタゴラス」の要約です。

ピュタゴラスの哲学的意義を「理念的世界の出現」と指摘したのはクサカベクレスです。この「理念的世界の出現」を、自分自身で整理・理解した結果が拙動画および本書の記述です。

また、テトラクテュスの図版においては、「何すごピュタゴラス」でも紹介したTANTAN氏のブログを参考にしました。

以下のURL中の論文(Nikolsky, 2016)で用いられた図版も、本書およびTANTAN氏の図版とほぼ同じ構成です。古代から伝わる図なのかもしれませんが、そこまで出典はさかのぼれませんでした。いずれにせよピュタゴラス理解にたいへん有益な図です。

ピュタゴラスのテトラクテュス https://www.researchgate.net/figure/Tetraktys-the-fourness-the-geometric-representation-of-harmonicity-of-4th_fig1_299526185


ヘラクレイトス

ヘラクレイトスの記述も、拙動画「何すごヘラクレイトス」がベースです。

ピュタゴラス批判という基本的なモチーフは、クサカベクレスを参考にしています。

箴言という叙述形式に注目すること、および哲学の批判者というモチーフは、納富信留『ギリシア哲学史』はじめ各著作からヒントを得ました。納富氏は、プラトン研究においても、対話篇の形式や状況設定などを考慮した読解を重視します。そのアイデアは「何すごシリーズ」の随所でも活かされています。たとえば「何すご老子」はまさにそのアプローチの応用です。話が逸れました。


パルメニデス

本書でもっとも重要な哲学者です。これも「何すごパルメニデス」という拙動画があります。

「ある、そしてないはない」というパルメニデスの言葉を「存在のテーゼ」と表現しているのは、クサカベクレスです。

要らぬ補足をしておくと、テーゼとは一般的には「命題」を意味します。つまり、真または偽となる文のことです。
しかし、パルメニデスの「ある、そしてないはない」は、別に真偽を吟味できる命題ではありません。端的に「女神によって啓示された真理」ですからね。

したがって、厳密にはパルメニデスは「存在のテーゼ」など語っていない。パルメニデスの言葉は「テーゼ」などではない、と反論することも可能でしょう。

とはいえ、キャッチーでわかりやすい表現であることには違いないですし、パルメニデスの「ある、そしてないはない」といちいち表記するのも、限られた文字数のなかでは不都合でしたので、本書でも「存在のテーゼ」と呼ぶことにしました。もし引っかかるようでしたら、「ないはない」と表現するのが簡便かと思います。


デモクリトス

拙動画「何すごデモクリトス」を参考にしています。

原子論の基本的な説明は、クサカベクレスによるところが大きいです。
原子論の意義は、人間中心主義的な考えを宇宙的規模で破壊すること、などと述べているのもクサカベクレスです。
この話は、「何すごクサカベクレス」という書評でも紹介したことがあります。

また、西川亮『古代ギリシアの原子論』溪水社と田上孝一・本郷朝香編『原子論の可能性』法政大学出版局も参照しています。

ソフィスト

拙動画「何すごソフィスト」がベースにあります。これは「何すごシリーズ」の中でも最長にして最高の動画ですので、本書の古代章を読み終わった後にでも、ぜひ視聴してほしいと思います。

さて、プロタゴラスのいわゆる「人間尺度説」は、パルメニデスのパロディであるという説明は、納富信留『ソフィストとは誰か?』ちくま学芸文庫をヒントにしています。納富氏はこの本で、ゴルギアスの弁論術の本質とは「哲学のパロディ」であると洞察しています。
これは非常に説得力のある見解でして、ならばプロタゴラスの人間尺度説も、同様に哲学の、とりわけパルメニデスのパロディと理解できるのではないか、というアイデアを「何すごソフィスト」では提示しました。
念のため言っておきますと、納富氏が「人間尺度説=パルメニデスのパロディ」という理解を提示しているわけではありません。『ギリシア哲学史』での理解は「人間尺度説=パルメニデスの否定」です。

また、哲学者がソフィストの築き上げた経済生活に乗っかったという記述については、藤縄謙三「古代ギリシアにおける知識人の経済生活」での考察をほとんどそのまま是としています。

ソクラテス

前半のソクラテスの人となりは、主にプラトン『ソクラテスの弁明』の記述です。
哲学者(愛知者)とは中間者だという話は、主にプラトン『饗宴』です。

いわゆる「無知の知」を「不知の自覚」と表記すべきだという話は納富信留『哲学の誕生』ちくま学芸文庫に詳しいです。
ダイモーンについては田中龍山『ソクラテスのダイモニオンについて』晃洋書房を参考にしました。


プラトン

学校で数学を習うのはプラトンの提案(知性を涵養するため)だというのは、納富信留『プラトン哲学への旅』NHK出版新書に少し書かれています。
本書脱稿後に出版された納富信留『プラトンが語る正義と国家 不朽の名著・『ポリテイア(国家)』読解』ビジネス社には、より主題的に言及されています。

「現象を救う」というプラトンの言葉自体は、実はイデア論の文脈とは関係ありません。アカデメイアにおける天文学研究の文脈で出てくる言葉です。天文学の理論と実際の運動とのあいだにある難問を解決せよ、という命令のように「現象を救え」と言われていたはずです(記憶おぼろげ)。ただ、イデアを理解するためにも有益な言葉だと思ったので、イデアにひきつけてこの言葉を紹介しました。

イデアとは、言葉そのもの(美・大など)に注目するものだという説明は、納富信留『プラトン』NHK出版に詳しく書かれているものを参考にしました。プラトン作品では『パイドン』がもっとも詳しいです。

後半の美のイデアの説明および図版はプラトン『饗宴』『パイドロス』を下敷きにしています。


アリストテレス

アリストテレスは「哲学界のアレクサンドロス大王だ」といったコンセプトで書きました。

斎藤忍随は、本文中で言及される数少ない研究者の1人です。『知者たちの言葉』岩波新書は、別にアリストテレスが主題の本でもなく(ヘラクレイトスやエンペドクレス、デモクリトスが主題)、よそで記述を参考にしてるわけでもないのですが、この言葉が単独であまりにもおもしろかったので本文で紹介してしまいました。

アリストテレスの各概念は、四原因説や質料形相・可能態現実態・不動の動者などは、ほとんど『形而上学』をベースにしています。

アリストテレスの解説書はいろいろありますが、クサカベクレスの30講が教科書的にも参考になりました。


ゼノン(ストア派)

ゼノンに限らず、ストア派全般の説明をしました。
まず、初期ストア派の資料については、ディオゲネス・ラエルティオス『ギリシア哲学者列伝』岩波文庫が第一級です。学説も逸話も満載です。西洋古典叢書の『初期ストア派断片集』全5冊、京都大学学術出版会もありますが、本書で直接参照することはありませんでした。

「自分とは意志だけ」という有名なストア派の考えは、エピクテトス『人生談義』岩波文庫にもっともわかりやすく現れています。

また、ヘーゲル『精神現象学』の「自己意識」章で、ストア派が出てきますが、ここでのヘーゲルのストア派理解も参考にしました。
「おかれた場所と私とは何の関係もない」というのがストア派だ、などと書きましたが、これは『精神現象学』のストア派のところを読んでて思ったことでした。


エピクロス

エピクロスもストア派と同様、ディオゲネス・ラエルティオス『ギリシア哲学者列伝』岩波文庫が第一級です。
キケローのいくつかの著作も参考になります。『善と悪の究極について』などで、エピクロスの学説紹介とその批判をキケローは行っています。

また、デモクリトスでも参照した、西川亮『古代ギリシアの原子論』溪水社も参照しています。


ピュロン

やはりディオゲネス・ラエルティオス『ギリシア哲学者列伝』がもっとも参考になります。
それとセクストス・エンペイリコス『ピュロン主義の概要』西洋古典叢書も一次文献として参考になります。図版の「懐疑主義の十の方式の一例」は、本書の記述がもとです。またジュリア・アナス&ジョナサン・バーンズ『古代懐疑主義入門』岩波文庫は、セクストスの著作のよい解説にもなっています。

余談ですが、十の方式については、日本語版Wikipediaにもほぼ完ぺきな記述があります。Wikipediaとセクストスの著作およびアナス&バーンズとを、いちいち突き合わせて間違いがないことを確認しています。みなさまも安心して参考にしてください。編集さんと「Wikipediaの記述が完璧すぎるせいで、Wikipediaの丸写しだーとか言われかねませんね」などと談笑していました。


ルクレティウス

実は、ルクレティウス自身の説明はあまりしておらず、詩と哲学との関係を説明するのにルクレティウスをダシにしたというのが本書の記述です。

ルクレティウスの著作は『物の本質について』岩波文庫です。

韻文と散文の関係は、納富信留『ギリシア哲学史』の記述が優れています。


キケロ

キケロで参考にしたのは角田幸彦『キケロー 人と思想』清水書院です。私は勝手に角田老師と呼んでいます。特に「キケローなくしてヨーロッパに哲学なし」「哲学と弁論術との融合」というのも、角田老師が指摘していることです。角田老師は、ローマ哲学の独自の意義を模索している研究者です。

キケロの哲学的著作(対話篇)は、『トゥスクルム荘対談集』や『善と悪の究極について』などがあります。いずれも『キケロー選集』岩波書店に収録されています。文庫化希望。

ちなみに中世の章で登場するアウグスティヌスやペトラルカもキケロ好きでして、彼らもまた哲学と弁論術との融合を模索していた思想家と言えます。


プロティノス

プロティノスの記述は、学習院大学の小島和男教授にかなり丁寧に見ていただきました。プロティノスのテーマはずばり「父なる一者への帰還」というふうに指摘していただいたのも小島先生です。これだけでプロティノスの全体像が非常にはっきりしました。

プロティノスの著作は『エネアデス』中公クラシックスが入手容易です。

その他の文献としては、『新プラトン主義を学ぶ人のために』世界思想社、井筒俊彦『神秘哲学』岩波文庫、左近司祥子『初級者のためのギリシャ哲学の読み方・考え方』だいわ文庫、クサカベクレスを参考にしました。

ちなみに小島先生いわく、井筒俊彦のそれにはでたらめも多いから読むとき注意が必要とのことでした。具体的にどこがどうまずいのかとかは、専門家じゃないとなかなかわかりませんが、小耳にはさんでおくだけでも有益な話だと思います。個人的には井筒俊彦『神秘哲学』は刺激的な文章で面白い本だと感じています。

古代コラム

古代コラムの参考文献は本書にあるとおりです。


中世

中世の哲学者を広く取り扱う一次文献は以下です。

『中世思想原典集成 精選』平凡社ライブラリー

テクストが膨大な上に翻訳も少ない、または入手しづらいので、二次資料にずいぶん頼りました。

中世全般で参考にした解説は、以下です。

  • ルーベンスタイン『中世の覚醒』ちくま学芸文庫

  • 『哲学の歴史3』中央公論新社

  • 金子晴勇『キリスト教思想史の諸時代3』ヨベル新書

  • 『中世哲学を学ぶ人のために』世界思想社

アレクサンドリアのフィロン

創造神話への注目という発想は、『中世哲学を学ぶ人のために』世界思想社での解説と、田川建三『キリスト教思想史への招待』勁草書房の記述をヒントにしてます。田川氏の著作には「創造神話のもとでは、万物は被造物であり、平等である」というようなことが書かれています。

フィロンの狙いをユダヤ教の普遍化あるいはギリシア哲学の吟味に見るのも、なにか論文を見たのですが、メモをとるのを忘れてしまいました……検索しても今一つ見つけられません。注をつけられない文章を書くと忘れてしまうものですね。

イエス

イエスの記述は岩田靖夫『ヨーロッパ思想入門』岩波ジュニア新書を参考にしました。また、その参考文献である田川建三『イエスという男 増補版』作品社も参考にしています。

パウロ

パウロの記述も同様に岩田靖夫『ヨーロッパ思想入門』岩波ジュニア新書を参考にしています。やはり中世哲学を説明するには、イエスとパウロは必須であると思います。

信仰義認説の説明はいろんな解説がありますが、「行為義認(能動的義)」との対比での解説は、金子晴勇『近代自由思想の源流』創文社などを参照しています。

また山田晶『中世哲学講義1』知泉書館も参考にしました。

オリゲネス

オリゲネスは『諸原理について』を紹介してます。

解説は小高毅『オリゲネス 人と思想』です。

また、人間の構成要素が「霊・魂・身体」という3要素からなるという、霊と魂の区別が、しばしばオリゲネスに由来すると考えられていたようです。それは金子晴勇『キリスト教思想史の諸時代』などで指摘されています。

アウグスティヌス

中世の最重要哲学者です。

人となりを知るには出村和彦『アウグスティヌス』岩波新書が読みやすいです。

ダメ人間・自己欺瞞は、主に『告白』の回心前の葛藤の話や、自由意志論をそのように表現しました。
グレトゥイゼン『哲学的人間学』知泉学術叢書のアウグスティヌス章も刺激的な文章です。

意志についてのストア派との対比は、神崎繫『魂(アニマ)への態度』岩波書店を参考にしています。

神を求めることが正しい生き方で、地上のものは道具であるという理解は、アダム・タカハシ氏のNHKカルチャーセンターでの講義から学びました。そこでは「享受」と「使用」というキーワードで説明されていました。

アンセルムス

神の存在証明は『プロスロギオン』という著作で、『中世思想原典集成 精選』に収録されています。

神の存在証明の意義については金子晴勇『キリスト教思想史の諸時代』に示唆があります。カントは神の存在証明を批判したが、アンセルムスの存在証明に対しては的外れだと金子氏は指摘します。

その理由を自分なりにわかりやすく考えたのが本書の「存在するとしか考えられないものは、有限なものではなく、無限なものである」という理解です。その点において「無限なもの」と「有限なもの」を完全に区別したことがアンセルムスの存在証明の意義だと説明しました。

アベラール

アベラールの人となりはルーベンスタイン『中世の覚醒』が非常に面白いです。

普遍論争や倫理学については『中世哲学を学ぶ人のために』を参考にし、柏木英彦『アベラール 言語と思惟』創文社も参考にしました。

グロックナー『西洋哲学史』のアベラールの項目も確か多少役に立った気がします。具体的には忘れてしまいました・・・

ベルナール

ベルナールの人となりも、ルーベンスタイン『中世の覚醒』に詳しいです。

修道院神学とスコラ哲学の対比は、ルクレール『修道院文化入門』知泉書館や近藤恒一『新版 ペトラルカ研究』知泉書館を参考にしています。

愛の思想は金子晴勇『キリスト教思想史の諸時代』に書かれています。

味覚については山内志朗『感じるスコラ哲学』慶應義塾大学出版会から示唆を得ました。ベルナールはワイン好きだというような記述があります。

イブン・ルシュド

アヴェロエスとも言われます。

アヴェロエスの宇宙の自立性と知性単一説ですが、双方をカバーするものはルーベンスタイン『中世の覚醒』です。

クサカベクレスもアリストテレスの講義に際して、イブン・ルシュドの知性単一説について触れており、「アリストテレス霊魂論の1つの必然的な帰結」すなわち個的な人格をもった魂は存続しないものとして理解しています。

また、アダム・タカハシ『哲学者たちの天球』名古屋大学出版会は、知性単一説をあえてほとんど論じないスタイルをとっていますが、イブン・ルシュドやトマス・アクィナス以降の中世哲学理解には大変有益な書籍です。

『中世思想原典集成 精選6』には、トマス・アクィナス『知性の単一性について』が収録されています。

トマス・アクィナス

トマス・アクィナスはアウグスティヌスと同じくらい重要な哲学者です。

『神学大全』に全て目を通すことは正直できていませんが、邦訳は電子版で以前全巻買っておいたのがよかったです。

それと『神学提要』知泉学術叢書という、おそらくマイナーな著作も、トマスの基本的な思想が理解できるテクストです。

いろいろと参考にしていますが、前半の神についての哲学的説明は『中世の歴史3』(赤本)のトマス章が非常に詳しく書かれています。

『神学大全』全体の構成については、とりわけ山本芳久『トマス・アクィナス』岩波新書と稲垣良典『トマス・アクィナス 人と思想』清水書院がやさしい本です。特に山本芳久氏の著作は「キリストの部」の説明に際して非常に参考になりました。

スコトゥス

スコトゥスはいわゆる「個体化の原理」について紹介しました。『中世の覚醒』、『哲学の歴史3』、クサカベクレス等を参考にしています。

スコトゥスの「このもの性」はネオ哲学史で個体化の原理として紹介しましたが、このもの性とはそれ自体では個体性のことです。これは結構重要な違いで、執筆中に読んだ文献を注釈的に紹介します。(本間裕之「ドゥンス・スコトゥスと個体の問題」)

本間さんによると、そもそも「このもの性」という言葉自体があまりスコトゥスが使ってない言葉だそうです。しかも「このもの性」という言葉は、個体が個体であること・性質を指すのであって、個体を個体たらしめる原理ではないそうです。

じゃあスコトゥスにとって個体化の原理ってなんだって話ですが、本間さんによると、いろんな可能性が否定されて、結論としては「個別的事象性」という、ものすごく曖昧な言葉。そして個別的事象性っていう言葉が何を意味するのかも、スコトゥスはほとんど語ってないそうです。

そのあたりを踏まえて、ネオ哲学史では割り切って「このもの性とは個体化の原理のことだ」と説明しました。個別的事象性っていうのはまさに個体のいろいろな条件を含めた総体的な性質であって、決して語れない。語れない何かであるという点が、このもの性の特徴であろうと理解したからです。とはいえ、正確な説明ではないとは理解しておいてください。


オッカム

オッカムは唯名論と自由意志について紹介しました。
唯名論については『哲学の歴史3』が、自由論については金子晴勇『近代自由思想の源流』が詳しいです。

エックハルト

エックハルトは「根底」といった概念について紹介しました。

基本的には上田閑照『エックハルト』講談社学術文庫の解説および翻訳を参考にしつつ、金子晴勇『キリスト教思想史の諸時代3』ヨベル新書にも詳しい解説があります。ヒルデガルトについても上記の金子氏の著作で知りました。ヒルデガルトにはあきらかに空前絶後の内容を感じたので紹介せずにはいられませんでした。独立した項目として立てられなかったのは資料不足のためです。

ペトラルカ

ペトラルカは『わが秘密』という著作や自己欺瞞の哲学について紹介しました。
ペトラルカの哲学面での参考文献は近藤恒一氏のいくつかの著作がほぼ唯一の文献です。『新版 ペトラルカ研究』知泉書館、『ペトラルカと対話体文学』創文社などが主です。

ブルーノ

ジョルダーノ・ブルーノの基本は清水純一『ジョルダーノ・ブルーノの研究』や清水純一『ルネサンス 人と思想』が参考書です。

無限宇宙については『無限、宇宙および諸世界について』岩波文庫がテクストです。「宇宙のどこにも中心も縁もない」と言われていると同時に、これらの「いずれをとってもその各々が中心」と言われています。

要するに、数学的あるいは客観的(?)には宇宙の中心はどこにもないという論理になるけど、個別的あるいは主観的(?)には各々が中心となるという二重の視点をブルーノは語っています。
ネオ哲学史では、後者について、中世より続く「個」の問題として重要視する解説を試みました。

中世コラム

書物の保存については納富信留『ギリシア哲学史』に記述があります。

ちなみにプラトン最古の写本のURLはこちらです。


近代

近代になると各哲学者のまとまった作品が増えてきて、日本では翻訳も充実しています。

二次文献として全体的に参考にしたものは次の2冊です。

  • シュヴェーグラー『西洋哲学史』上下巻、岩波文庫

  • 佐藤義之ほか『観念説と観念論 イデアの近代哲学史』ナカニシヤ出版

いずれも本書に記載してます。
シュヴェーグラーは大昔の哲学史で、ネオ高等遊民がいままで何度も紹介してきているので、本記事をお読みであればご存じの方も多いと思います。

『観念説と観念論』は、初学者向けの哲学史でもなければ網羅的な構成でもありませんが、その分参考になる記述が随所にありました。

ベーコン

イドラの記述は『ノヴム・オルガノム(新機関)』にあります。
翻訳は『ワイド版 世界の大思想』が電子書籍であって便利でした。

また、観察の重視という意義は、河本英夫『ダヴィンチ・システム』学芸みらい社 での記述を利用しました。慧眼だと思います。

デカルト

デカルトは『方法序説』および『省察』の「第一省察」の解説です。
高久弦太(山中哲人)氏のデカルト理解をほぼそのまま私も採用しています。

たとえばこちらがそうですね。

デカルト『省察』「第一省察」要点・解説

高久弦太『デカルトの夢』Amazonダイレクトパブリッシング

後半の機械論の意義については、これまた河本英夫『ダヴィンチ・システム』学芸みらい社 での記述を利用しました。ベーコンの解説以上の素晴らしい慧眼だと思います。

ホッブズ

ホッブズの著作は『リヴァイアサン』ですね。哲学方面に特化すれば『物体論』や『人間論』などもあります。

二次文献には、シュヴェーグラーの西洋哲学史を以前まとめたものを再構成しています。シュヴェーグラーのホッブズ解説自体は全然詳しくないのですが、彼の政治哲学と哲学(自己保存)との結びつきという点がポイントであるということは間違いないだろうと判断しました。

また、上野修『哲学者たちのワンダーランド』講談社は、デカルト、ホッブズ、スピノザ、ライプニッツを扱っており、いずれも参考になりました。

パスカル

パスカルの著作は『パンセ』です。

「不正な私」という解説は塩川徹也『パスカル『パンセ』を読む』岩波書店を参考にしています。

スピノザ

スピノザは『エチカ』の解説です。

特に「能動と受動」「作用因と目的因」という点にフォーカスしました。
能動と受動にフォーカスしている参考書籍は、本書でもあげた吉田量彦『スピノザ』講談社現代新書です。

また、スピノザ哲学の眼目を「作用因」に見るという発想は、もちろんいろいろな解説がありますが、私が目を通したのは鈴木泉「スピノザと中世スコラ哲学」や木島泰三『スピノザの自然主義プログラム』春秋社です。

ライプニッツ

ライプニッツの主著は『モナドロジー』で、本書で紹介した最初の疑問「なぜ無ではなく、何かがあるのか?」は『二十四の命題』に出てきます。

ライプニッツは新書のような気楽な入門書が比較的少ない哲学者です。
池田善昭大老の『『モナドロジー』を読む』世界思想社や、大老の弟子筋にあたる大西光弘『ライプニッツと西田幾多郎』明石書店などを参考にしました。「共可能性」についても、池田大老の書籍を参考にしました(確か)

ロック

ロックは『人間知性論』ですね。長い著作なので、第1巻の序盤も序盤である「生得観念説批判」について紹介しました。ちなみにロック公認の要約版では第1巻がまるまるカットされているそうです。

富田恭彦『ロック入門講義』ちくま学芸文庫が参考になりました。
特に「白紙 ホワイトペーパー」ですね。ふつうは「タブララサ(白板)」と表記・解説されることが多いですが、同書ではなぜタブララサではないのかという話が、やたら詳しく証拠事例を挙げつつ論証されてます。

また、観念=知識ではないとか、基本的なことも書いてあるので、参考になります。ロックの原稿を書いた後で同書を読んだとき、「観念=知識みたいな解説してる本が、ちまたにはちらほらあってかなりやばいよね、ロック読んでないことバレバレ」みたいな記述を発見したので、びくびくしながら自分の原稿を確認した思い出があります。(さすがに大丈夫でした)

バークリ

バークリの著作は『人知原理論』ですね。『ハイラスとフィロナスの対話』は比較的読みやすいと思います。

バークリと「常識」の話は、上記『観念論と観念説』の第3章、戸田剛文「バークリとリード」という論考を参考にしています。おもしろいですよね。

また、ロック・バークリ・ヒュームについては、以下の2冊も参考にしています。

  • 寺中平治ほか『イギリス哲学の基本問題』研究社

  • 稲垣良典『講義・経験主義と経験』知泉書館

ヒューム

ヒュームは『人間知性論』または『人性論』が主著です。

因果関係の否定と、自己=知覚の束説を紹介しました。

因果関係については成田正人『なぜこれまでからこれからがわかるのか』青土社
自己については、勢力尚雅ほか『英米哲学の挑戦』放送大学教材が特に参考になりました。

カント

カントは『実践理性批判』の最後の名言を軸に、『純粋理性批判』および『実践理性批判』のエッセンスを解説するという方針を取りました。

カントはきわめて論点が多い哲学者ですし、大量の解説書がありますから、彼の議論を紹介することはあえてほとんどせず、カントの意義「学問と市民社会の基礎付け」を伝えることにだけ集中しました。その結果、「自然法則と道徳法則」という対比で解説することになりました。つまり、法則による基礎付けです。

カントは特に純粋理性批判にかかわるほうの参考書籍は山ほどあるので、特にこれというものはありません。実践理性批判や道徳法則にかかわるほうでは、秋元康隆『意志の倫理学』月曜社が参考になりました。
「道徳法則に正解はない」という考えは秋元さんから学びました。

フィヒテ

本書執筆にあたって最難関だったドイツ観念論です。
ドイツ観念論の哲学的意義は、歴史への注目、哲学が歴史性を持つようになったという点だという話をしました。

フィヒテの著作は『全知識学の基礎』がもっとも取り上げられます。

「事行」という概念や意味をどのように説明するかに苦心しましたが、結果的に「行為が存在に先立つ」という考え方を導入したという点をフィヒテの意義として解説しました。

A=Aの解説にあたっては、ヤコプス『フィヒテ入門講義』ちくま学芸文庫も参考になりました。特に「木製の鉄というのも言うだけなら言えてしまう」という箇所が重要です。

また、フィヒテ・シェリング・ヘーゲルといったドイツ観念論の哲学者の解説にあたっては村岡晋一『ドイツ観念論』講談社選書メチエが参考になりました。
シュヴェーグラー『西洋哲学史』も、ドイツ観念論の解説については手厚いです。

シェリング

シェリングは『人間的自由の本質』を取り上げました。

前半ではフィヒテ批判を通じて、シェリングの自然哲学、自然の歴史性を解説しています。ここは村岡晋一の前掲書が参考になりました。

後半では、『人間的自由の本質』の内容解説です。
シュヴェーグラーを参考にしつつ、神の実存の分析という点を本著の独自性として紹介しました。

ヘーゲル

ヘーゲルは「弁証法」とはなにかを説明するために、『精神現象学』の最初の部分、感覚的確信の箇所をとりあげました。
弁証法とは、隠れた前提(普遍・媒介)を発見する思考のプロセスだというような理解です。

感覚的確信の箇所は、弁証法の説明としてもっともわかりやすいという面がありますが、他方で『精神現象学』のなかでも特別な章でもあります。

というのも、感覚的確信とは、ヘーゲルにとって哲学あるいは知がそこから出発するスタート地点だからです。
ドイツ観念論の意義を、哲学に歴史性を与えたことと理解する本書では、哲学の始まりとはどこかということが当然問われます。
そこで本書では、あえて図式的にいえば、フィヒテの出発点は「私」ですし、シェリングの出発点は「神」と整理しました。両者に対してヘーゲルは「もっとも素朴な知を出発点にする」ということを自覚的に設定・遂行しました。その素朴な知が、感覚的確信なわけですね。つまり、目の前にものがあるということを知っており、それが実際にそうである(真理)ことをも知っているということです。

感覚的確信についてのさらなる理解を促してくれるのは以下の論文です。
小原優吉「二重の端緒としての感覚的確信」『倫理学紀要』第31輯、東京大学大学院倫理学研究室所収

コント

コントは哲学の歴史の文脈で紹介されることが少なめですが、あえてとりあげました。近代において、ドイツ観念論とは違う形での哲学とのかかわり方を知っておくのは重要だと考えました。

コントの哲学は、実証主義という思想に集約されます。『実証的精神論』『実証哲学講義』が哲学方面での主著です。

実証主義は形而上学への批判であるという定番の解説とともに、その意義をベーコンのイドラ説になぞらえました。また、人類教というコント独自の謎の宗教を、実証主義的精神と深いつながりを持つ倫理的帰結として理解しようとしています。

基本的な参考文献は清水幾太郎『オーギュスト・コント』ちくま学芸文庫です。人と思想という感じの構成です。

またタイトルからはわからないのですが米山優『つながりの哲学的思考』ちくま新書は、コントの哲学のエッセンスがわかりやすく語られており、非常に有用でした。特にコントの実証主義が、個人主義の批判・否定という側面を有するという洞察は慧眼かと思います。

米山優先生と言えばアランの著作講義の大著がありますが、どうもアランがコントを非常に良く読んでいて、いたるところでコント哲学を語っているそうです。これは非常に興味深いフランス思想の一側面だと思います。

コントの著作の翻訳自体は、きわめて古いものしかなく、最新でも『世界の名著』シリーズです。白水社にも翻訳コレクションがありますが、これは主著の翻訳ではありません。

スペンサー

スペンサーも明治期には最も重要な哲学者という扱いだったようですが、いまではほとんどまったく顧みられていないといっても過言ではありません。翻訳も初版は戦前に出たものしかありません。最近ちくま学芸文庫にて『スペンサーコレクション』という翻訳が出ましたが、基本的には政治哲学のほうの著作の翻訳で、『総合哲学』の翻訳はありません。

スペンサーは進化を原理とした、美しい哲学体系を構想した哲学者であり、それが総合哲学と呼ばれます。この構想の枠組みの描写については、以下の論文が大変参考になりました。スペンサーはこの論文を見つけたから書けたようなものですので、本書の参考書籍にも掲載しています。

寺嶋雅彦「「総合哲学体系」の哲学的基礎── スペンサー『第一原理』に基づいて ──」WASEDA RILAS JOURNAL (9) 137-147

また、『哲学の歴史 第8巻』中公赤本も、コントとスペンサーの概説がなされており、参照しています。

スペンサーは現在では、ほぼまったく顧みられていない哲学者ですが、決して価値を失った哲学者とは思いませんので、本書にて紹介しました。

近代コラム

近代コラムは、かなり気楽な雑談めいた内容になっています。ヘーゲル『哲学史講義』を話題にして、いわゆる進歩史観の話をしています。

現代

現代は、哲学の歴史の流れというものがないというか、さまざまな潮流が生まれ続けている、いわば群雄割拠の時代です。

その中で共通する特徴をあえてとらえるなら、過去の全哲学の批判と新たな語りの創造ということになると考えました。

現代で全体的に参考にしたのは次の2冊です。双方とも個々の記述はコンパクトなので、まずはここで重要な点をおさえるということができました。

  • 『新しく学ぶ西洋哲学史』ミネルヴァ書房

  • 『フランス哲学入門』ミネルヴァ書房

ちなみに前者については、古代・中世・近代は私の関心にはあまりそぐわず、やや平板な叙述に終始している印象でした。特に古代はギリシア科学について基本的な記述の誤りがあります。そんな最新で斬新な解説があるわけではありません。『世界哲学史』ちくま新書のほうが、まだそういう特徴があります。
こういうネガティブな話は特に指摘したいわけでもないのですが、言わないのもどうかと思いますので、大っぴらではない形で書き記しておきます。
いっぽう、現代の章は、分析哲学と大陸哲学に分担執筆されており、どちらも非常に参考になりました。一読をおすすめいたします。

ショーペンハウアー

ショーペンハウアーや次のキルケゴールは近代か現代か微妙なラインですが、15人ずつという構成のために本書では現代の章で取り上げました。

ショーペンハウアーの主著は『意志と表象としての世界』ですが、本書ではその前提となる「根拠律論文」を取り上げました。

というのも根拠律論文は、主著の前提であるだけでなく、ショーペンハウアーを哲学の歴史の流れの中で位置づける上でも重要な作品であると考えたからです。

ドイツ観念論以後の哲学の流れは、キルケゴールもそうですが、ドイツ観念論の吸収と批判という側面が大いにあります。充足根拠律の研究によって、ドイツ観念論の哲学をカント的な立場から批判するのがショーペンハウアーです。

根拠律論文の翻訳は『ショーペンハウアー哲学の再構築』に初版が全文所収されており、解説も充実しています。また、『哲学の歴史』中公赤本のショーペンハウアー解説も参考になりました。

キルケゴール

キルケゴールはさまざまな著作がありますが、特定の著作の紹介というよりは、ヘーゲル批判の内実を紹介することにつとめました。

そこでキルケゴール独自の弁証法に注目しました。これは参考文献にも記載した小松優也「キェルケゴールにおける弁証法の三形態」に大いに学びました。この論文は『哲学的断片』を参照しながらキェルケゴールの弁証法の特徴が対話性にあると論じています。

この論文のおかげで、入門書にありがちな説明、たとえば「死に至る病とは絶望であり、実存には三段階ある」などというお決まりの話とは全く趣向を異にする、しかも哲学の歴史という観点から見ても興味深いキルケゴール解説ができたのではないかと思います。

ちなみに実存の三段階の説明は『哲学的断片のあとがき』という作品でしか出てこないそうで、『死に至る病』とはまったく関係ありません。


マルクス

マルクスは主著は『資本論』、哲学方面では『経済学・哲学草稿』が重要著作です。
疎外論を中心に、マルクスの共産主義がなぜ歴史的必然として語られたかを紹介しました。

疎外論については、田上孝一『99%のためのマルクス入門』と『マルクスの名言力』いずれも晶文社を参考にしています。

また、疎外論と関わりの深い「類的本質」および自己実現といった話は、『経済学・哲学草稿』における記述を念頭に置いています。

歴史的必然という点に注目したのは、今村仁司『近代性の構造』講談社選書メチエがきっかけになりました。今村はマルクスを近代思想のエッセンスなどと紹介しており、本書でも述べた資本家は、未来志向の典型的近代人だというのも今村の洞察を参考にしています。

ニーチェ

ニーチェもさまざまな著作があり、さまざまな切り口から紹介される哲学者です。
本書では3つの重要概念を紹介し、それらのつながりを示しました。3つとは「力への意志」「ニヒリズム」「永劫回帰」です。

ニーチェの著作では『ツァラトゥストラ』や『道徳の系譜学』の記述を主に参考にしています。

参考文献も山ほどありますが、とりあえずそれぞれの概念については『ニーチェ事典』弘文堂の記述項目をまず参照しました。入門書で言えば永井均『これがニーチェだ』講談社現代新書は読み応えがある一冊です。

ベルクソン

ベルクソンは主著が4つあると言われ、最初は全て取り上げようと思ったのですが、字数的にも時間的にも無理だったので、『時間と自由』および『創造的進化』の解説となりました。

というのも現代哲学では意識と生命の問題がきわめて重要であると個人的に考えているからです。たとえば動物倫理学という分野では、まさに動物および人間の意識や生命をいかに基礎づけるか、そもそも基礎づけが可能なのか、そして適切なのかというところが核心中の核心になるでしょう。
そして、ベルクソンは意識や生命について、ユニークな思想を展開した哲学者ですから、今後いっそう重要な哲学者として評価されるのではないでしょうか。

参考文献は、本書にもあげた『ベルクソン思想の現在』をまず参考にしました。これは5人のベルクソン研究者たちの対談イベントの書籍化であり、彼らの研究内容をわかりやすく紹介しつつ、ベルクソンを語るという、きわめて有意義な構成をとった本です。

フッサール

フッサールの項目では現象学とは何をやっているのか、いかめしい用語たちは何を意味するのか、それを一連の流れとして示せるように解説しました。

フッサールの著作はどれも難しいし、そもそも高価だったり入手困難だったりするのですが、講義録『現象学の理念』が比較的わかりやすい著作で、入手も難しくありません。

参考文献は新田義弘『現象学とは何か』講談社学術文庫を理解の出発点として、『現象学事典』弘文堂や、新田義弘・河本英夫編著『自己意識の現象学』世界思想社などを適宜参照しました。

ハイデガー

ハイデガーは『存在と時間』の内容解説という、定番の切り口を採用しました。「存在」は本書全体を貫く最も大きなテーマなので、『存在と時間』の解説が適切だろうと判断しました。

ハイデガー解説書も山ほどありますが、とりわけ参考にしたのは轟孝夫『ハイデガー『存在と時間』入門』講談社現代新書です。また相楽勉「ハイデガー」『哲学を享受する』東洋大学哲学科編、知泉書館所収も『存在と時間』の流れを理解する上できわめて有益でした。また『ハイデガー事典』や前掲の『現象学事典』も適宜参照しました。

『存在と時間』以降のハイデガーについては、本書では一言触れる程度になりましたが、轟孝夫『ハイデガーの哲学』講談社現代新書が参考になるでしょう。またナチズム問題との関連でもやはり轟孝夫『ハイデガーの超政治』明石書店が非常に面白いです。

ハイデガーと初期ギリシア哲学についてはクサカベクレス『ギリシア哲学30講』明石書店がたいへん面白いです。また『続・ハイデガー読本』法政大学出版局はハイデガーによる西洋哲学史がまとめて読めるような貴重な1冊になっています。

サルトル

サルトルは「無」を考えた稀有な哲学者という切り口で紹介しました。著作は『存在と無』ちくま学芸文庫です。人間あるいは意識の由来は無であるというサルトルの哲学は、「存在」とは別の仕方を模索するという現代哲学の特徴を早い段階から示しています。つまり「無がある」などという言い方はできないということです。

参考文献としては、熊野純彦『極限の思想 サルトル』講談社選書メチエを挙げました。パルメニデスとの対比が冒頭で語られていることが、本書の関心とマッチしています。

バタイユ

バタイユは、エロティシズムによるプラトニズムとの対決という切り口を取りました。取り上げた著作は『エロティシズム』ちくま学芸文庫です。

本書ではエロティシズムとプラトニズムの対比を中心に解説しましたが、単に精神に対する肉体の重視とか、人間性に対する動物性の賛美とか、そういう話にはなっていません。

そもそも『エロティシズム』を読めばそんなことは言っていませんし、参考文献としてもたとえば横田祐美子『脱ぎ去りの思考: バタイユにおける思考のエロティシズム』人文書院では、そのようなエロティシズムの作家・思想家としてのバタイユ像は一新されなければならないといったことが指摘されています。ちなみに『脱ぎ去りの思考』は、バタイユの哲学をプラトン的な知への愛という営みに位置づけるという試みが論じられています。

それにしても、どうしてバタイユはプラトンを論じなかったんでしょうね。不思議です。

ウィトゲンシュタイン

ネオが個人的に、ドイツ観念論の次に書くのが難しそうだなと思ったのが、英米圏の現代哲学でした。分析哲学・言語哲学といった思潮ですね。本書ではもっとも有名なウィトゲンシュタインと、分析哲学の巨頭クワインを扱いました。

単に彼らの議論を詳しく紹介しても出版社の想定する読者はついていけないですし、本書のコンセプトからも外れてしまいます。なので、定番の解説をしたのちに、分析哲学の哲学的意義を示すという点を目標に解説を試みました。これはカントからヘーゲルまでで試みた目標とほぼ同じです。

それで、ウィトゲンシュタインの場合は、明晰な言語による開かれた哲学という点と、倫理は示されるという点。

ウィトゲンシュタインは当初は、いわゆる後期ウィトゲンシュタインの言語ゲームについて紹介しようと思ったのですが、あまり面白いものが書けず、前期の『論理哲学論考』の紹介に切り替えたという経緯があります。

参考文献は本書にも掲載した大谷弘『入門講義ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』シリーズ世界の思想』筑摩選書です。治療および明確化というモチーフは、大谷氏の前掲書および後期ウィトゲンシュタインの解説書である『明確化の哲学』青土社から学びました。また、古田徹也『ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』』角川選書も参照しています。

クワイン

クワインの哲学的意義は、哲学者のドグマ・思い込みを明らかにしたという点、自然主義という哲学主義の形成という点にあるという見立てを紹介しました。

「経験主義の2つのドグマ」の議論は複雑なので、参考文献にも挙げた丹治元春『クワイン』平凡社ライブラリーは、大筋を理解するのに大変助かりました。またより簡便な解説としては『哲学の歴史 第11巻』中公赤本、一ノ瀬正樹『英米哲学史』ちくま学芸文庫があり(この2冊はウィトゲンシュタイン執筆でも参考にしました)、また自然主義については植原亮『自然主義入門』勁草書房が参考になります。

ドゥルーズ

ドゥルーズは『差異と反復』における同一と差異概念の説明をしました。

『哲学の歴史』第12巻における鈴木泉氏による解説、また『新しく学ぶ西洋哲学史』の解説と、『現代フランス哲学入門』所収の小泉義之氏による解説が参考になりました。

またアンリを除くフランスの哲学者(ドゥルーズ、デリダ、レヴィナス)については、千葉雅也『現代思想入門』講談社現代新書も参考になります。

デリダ

デリダは脱構築と音声中心主義批判の説明をしました。念頭においた著作は『声と現象』です。

参考文献としては、竹田青嗣『言語的思考へ』講談社学術文庫は、デリダの音声中心主義批判、『声と現象』について詳しい解説があります。
高橋哲哉『デリダ』講談社学術文庫におけるデリダの『パイドロス』読解解説は参考になりました。千葉雅也『現代思想入門』でも、デリダの「読む」技術の恐るべき高さについて触れています。

アンリ

アンリは受動という概念に新たな意味や重要性を見出した哲学者です。

ざっくり言えばフッサールがすでに注目していた受動性という側面を(たとえば「受動的総合」といった概念)、さらにフォーカスしていったのがアンリやレヴィナスなどのフランス現象学だと言えるかと思います。

念頭に置いている著作は『現出の本質』で、『ミシェル・アンリ読本』法政大学出版局が参考になりました。また彼の出発点が、後期のキリスト教の現象学といいますか、キリストの言葉と人間の言葉を峻別する『キリストの言葉』白水社のような著作群へと繋がるような説明を試みました。

レヴィナス

本書最後のレヴィナスは、パルメニデスとの自覚的対決を試みた哲学者として、古代から現代までを存在の原理の探究としての哲学という一貫した視点のもとで語る本書のコンセプトから見て、最後に相応しい哲学者です。

パルメニデスの名を出しているのは、『全体性と無限』および『存在するとは別の仕方で』です。

レヴィナスの基本的な説明は岩田靖夫『神の痕跡』、『倫理の復権』ともに岩波書店を参考にしています。岩田靖夫の関心とネオの関心が近いように思ったからです。

また千葉雅也『現代思想入門』でもレヴィナスについて簡単に触れられていますが、その中でも『存在するとは別の仕方で』というタイトルの意味について解説しているところはレヴィナス理解の基本としてきわめて重要だと思います。「別の仕方で」と、無理やり止めなければならないことの必然性についての優れた洞察があります。

現代コラム

現代コラムも、雑談めいた気楽な話です。にしてはちょっと放言めいてるかもしれませんが。
カルナップとハイデガーの論争については荒畑靖宏「カルナップ、ウィトゲンシュタイン──形而上学的なものをめぐる誤解と理解」『続・ハイデガー読本』法政大学出版局所収による紹介を参考にしました。また、ウィトゲンシュタインの後半部分の叙述もこれを参考にしています。

以上が参考文献の補足です。
本書を読む上で、あるいはさらに本書を離れて哲学を学習する上での参考になれば幸いです。

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 ネオ高等遊民

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