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石崎光瑤の槍ヶ岳登山

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日本画家、石崎光瑤が明治43年(1910年)夏に挑んだ槍ヶ岳登山を読み解き、その深層に迫ります。剱岳第2登についても、光瑤撮影の写真を詳細に分析し、深読みをしました。
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記事一覧

光瑤の「剱岳八ッ峰」写真が判明

明治43年の新聞に掲載された石崎光瑤撮影の写真「針ノ木嶺の一部」が、実は明治42年夏に剱岳登…

おことわり 著作権に関する著者の考え

本記事はオリジナルです。先行研究の成果をもとに、おもに登山史に焦点を当てて調査をすすめた…

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附章 光瑤の剱岳を解析する

石崎光瑤の槍ヶ岳について調べるうちに、光瑤の剱岳登山をあらためて検証する機会があった。 …

第5章 日程推定と写真分析

光瑤の「日本中央アルプス跋渉」は、『高岡新報』明治43年8月5日から9月11日まで連載された。…

kotoyo_sakiyama
2週間前
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石崎光瑤の槍ヶ岳登山 目次

序章 概説はじめに ―「掉尾を飾る」山旅 4つの先行研究 『山の写真と写真家たち』(1985…

kotoyo_sakiyama
2週間前

第4章 変わる山旅

水墨画は何を物語る2024年春、福光美術館で展示された《信州槍岳之図》をあらためて見る。山…

kotoyo_sakiyama
2週間前
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第3章 上高地無情

絶賛一転 濃霧に石崎光瑤の槍ヶ岳への旅はいよいよ後半である。大町から明科まで馬車で行き、そこから汽車で松本に出た。再び馬車に乗り、島々村の宿舎、清水屋に着いたのは午後4時半であった。 富山を出て6日目、朝7時に島々[標高730m]を出発し、上高地[1500m]を目指す。「僅か六里(約24キロ)」だが、途中徳本峠[2135m]を越えなければならなかった。荷担ぎは一人である。 徳本峠越えは、現代では古の道ともクラシックルートとも呼ばれて見直されているが、光瑤が通った明治43年

序章 概説

はじめに ―「掉尾を飾る」山旅 日本画家の石崎光瑤といえば登山家として知られた人だ。明…

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2週間前
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第1章 謎多き5年間

明治39年6月から明治44年6月まで、文献上明らかになっている光瑤の主な山行は約10件ある。槍…

kotoyo_sakiyama
2週間前
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第2章 針ノ木越え再び

俗人を近づけぬ憧れの山石崎光瑤の『日本中央アルプス跋渉』は、『高岡新報』の明治43年8月5…

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2週間前