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【資料】琴月と冷光の時代

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本編「琴月と冷光の時代」の資料集です。
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記事一覧

【追悼】大井冷光―井上江花のルポ5編『高岡新報』1921年

大井冷光の恩師である井上江花は、形式的な文章をことのほか嫌う記者だった。かつて競合紙北陸…

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3か月前
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【資料】卜部南水「お伽噺 飛団子」1909年

お伽噺 飛団子              南水(上) 東岩瀬の町から水橋に出る道に、こん…

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6か月前

【資料】竹貫佳水「少年文學の新聲」『新文學』(1913年)

少年文學の新聲         竹貫佳水少年文學に携はらんとして、作家が第一に考慮しなけ…

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6か月前
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【資料】竹貫佳水「少年文学に就て」『お伽舟』1914年

少年文学研究会編『お伽舟』1914年巻首に世の中の多くの文學者や、教育家諸賢は、少年文學に對…

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6か月前
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【資料】明治末期の中越文士・俳人人物記事『高岡新報』『北陸タイムス』明治43年

予の想像せる中越文士           影法師 石割浩村 いつか蘆原有明が轉んで雪へ面…

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6か月前
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【資料】大井冷光「横から見た立山」「立山と画伯」1910年

山水帳「横から見た立山」◎今日は立山のお祭日、海抜九千九百尺の霧の上から神楽の洩れる日…

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4か月前
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【資料】大井冷光の『かなりや』――童謡運動に先駆け、子どもの歌ブームを演出した児童雑誌編集者

2018年7月は童謡100年で盛り上がることだろう。『赤い鳥』の創刊日(大正7年7月1日)からちょうど100年、なかでも最初に曲が付けられた《かなりや》(西條八十作詞・成田為三作曲)に注目が集まるのではないか。 童謡100年を考える材料に1か月前の今ここで、大井冷光の『かなりや』を紹介したい。 大井冷光は、時事新報社が発行していた児童雑誌『少年』『少女』の編集者で、大正7年6月16日日曜日に、あの帝劇で「少女音楽大会」を開き、2000人の聴衆を集めて成功させた人である。

【資料】大井冷光「史實お伽 飛だんご」巌谷小波「飛団子の歌」(大正4年)

飛だんご       大井冷光越中の国の真ん中から日本海にのぞんだ海辺に東岩瀬という町が…

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6か月前

【資料】大井冷光「昨年の少年読書界」_1911年の児童文学出版状況

昨年の少年読書界              大井冷光明治四十四年は広い意味の少年読書界に…

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6か月前
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【資料】蘆谷蘆村「童話研究の計画について」1921年

『童話研究』の計劃について兒童が社會に重視せらるやうになったに伴って、兒童文學に對する世…

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6か月前

【資料】冷光没後100年に寄せて_『母のお伽噺』後書き

2021年3月5日(金)は、児童雑誌編集者の大井冷光が亡くなって100年になる命日である。 冷光は1…

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6か月前

【資料】「竹貫氏と圖書館」『読売新聞』1922年

竹貫氏と圖書館         松美佐雄竹貫佳水氏が逝去せられたと云ふので、自分は驚いて…

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6か月前

【資料】蘆谷蘆村「故竹貫佳水氏の事業」『童話研究』1巻2号(1922年)

故竹貫佳水氏の事業           蘆村居主人故竹貫佳水氏の事業として擧ぐべきものは…

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6か月前

【資料】少年文学研究会「私達の望みを聽いてください」『お伽の森』1912年

巻首に世の中の多くの文学者や、教育家諸賢は、少年文学に対してどう云ふ考へを有つて居られるであらうか、それを問ふ前に私達は先づ眞面目に此の事に就て研究して見る必要があつた。少年文学が兎も角も世の中に云爲されるやうになつたのは、昨日今日の事ではない。書籍に雑誌に、其他種々なる形式の下に、頗る盛況に、発展しつゝあるのは事実である。併しながら其の盛況に對して、世の識者はどんな態度をもつて、どんな意見をもつて此の少年文学を取扱つて居るか。殊には雨後の筍も啻ならざる勢ひをもつて、世に出