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〈第三回〉犬の看板探訪記|群馬犬編|太田靖久

 三回目の探訪は群馬県だ。2023年5月現在、群馬県には35の市町村がある。「犬の看板」を探しながら半日程度ですべて回るのは当然ながら無理があるため、事前に探訪予定地域をしぼることにした。以前僕が行ったことのある地域ではなく、未だ訪れたことのない市町村の犬たちに会いたいと先ずは思った。

 ちなみに僕が今まで出会った群馬県の「犬の看板」の一部を先に紹介しておく。前橋市、高崎市、桐生市、伊勢崎市である。

 今回の探訪は編集Sくんが車を出してくれる手はずだった。群馬県の地図を眺めながら事前にルートをシミュレーションしようとした時、真っ先に太田市が目に入った。自分の苗字と同じである。十数年前に足を運んだことはあったものの、そのころは「犬の看板」に関心がなかったため、太田市の犬がどんな姿なのかは知らなかった。

 僕がそこから連想したのは、ジム・ジャームッシュ監督の映画『パターソン』だ。アメリカのニュージャージー州の都市パターソンに、パターソンという同名のバスの運転手がいて、彼が主人公である。この作品にはキュートなイングリッシュ・ブルドッグが登場しており、かなり重要な役割を果たす。その物語から今回の探訪のイメージがぼんやりとふくらんだ。

 太田が太田市に行って太田市の犬(可能ならブルドッグ)に出会う。

 特に意味のあるストーリーではないものの、導入として一本の筋が見つかった気がした。再び地図に戻る。太田市の東側に栃木県と埼玉県に挟まるような形でいくつかの市町がある。太田市を含めると、合計で7都市。今までの経験から車での探訪においては一日7都市を回れれば御の字との計算があり、目標数としても十分だと思った。県の北側や西側をまったく制覇することなく「群馬犬編」を名乗ることに後ろめたさを感じつつも、その辺りは開き直ることにして、太田市を軸にした計画をSくんと共有した。

 6月某日、天気はくもり。都内から高速道路に乗って群馬県を目指す。旅情が高まるが、浮かれてはいられない。「犬の看板」不毛の地と認識している埼玉県行田市と熊谷市を通過する際、車窓からの風景に目を凝らした。

 今後の候補には、両市を再訪するというリベンジ企画がある。車から見た限り、「犬の看板」が存在する様子がまったくない。炎天下で合計6時間も歩き回ったかつての恐怖がよみがえる。はたしてリベンジ企画は実現するのか。再訪しても見つからなかった場合「犬の看板」が一枚もアップされない回になり、はなはだ寂しいことにもなる。ここは慎重に判断しなければならない。

 そんなことを考えているうちに車は高速道路から下道に降り、太田市に入った。さっそく適当な駐車場に車を停めて探索を開始。

 前から来た白い車が横で止まり、運転席の窓が開いた。「×××にはどうやって行けばいいですか?」と尋ねられたが、当然ながら土地勘がなく、答えられない。でたらめに歩いているだけで恥ずかしながら何も知らないのだ。そんな不安な気持ちの僕たちを優しく出迎えるようにして現れたのは、例のスター犬たちだった。

 連載第一回にも登場したこの犬猫は、東京・埼玉・茨木だけでなく、群馬にも進出していたのだ。慣れ親しんだ軽やかな笑顔に出会えたことで、群馬県がぐっと身近に感じられた。その後もテンポよく次々と見つかった。こうなると太田市は【犬の看板天国】の可能性もある。同じ太田として頼もしい限りである。

 二枚目と三枚目はどちらも文字やイラストの一部が消えていた。赤色などの塗料を使用している部分のようだ。

 「犬の看板」で主に使われるのは可溶性で有機物の染料であり、水に濡れると色素が溶け出すうえに、太陽光に含まれる紫外線によって発色構造が破壊されるという。特に黄色や赤色は劣化しやすいらしい。イラストや文言の強調部分が先に消えてしまうのはどうにも困りものである。

 四枚目は【指導系】と呼んでいるジャンルであり、京都府京都市にも似た構図の看板があるので隣に並べてみる。

 京都市の方は犬が猫たちに指導している点がおもしろい。

 五枚目と六枚目は管轄名が異なっている点に注目だ。

 この【DOGモ(ドッグモデル)】はどちらの管轄にも気に入られている本物の世渡り上手だろう。ひかえめな態度に加え、てれている様子がそのかしこさを表しているともいえる。実はこの【DOGモ】は【フリ素(フリー素材)】のなかの【フリ素】と呼べるほど全国で活躍しているため、その処世術をすべての営業マンが参考にすべきかもしれない。この【てれ犬】に関しては他にも語るべき側面があるため、その機会が訪れた際に詳しく解説したい。

 複数の太田市の犬たちに出会えたことによろこびながらも、肝心のブルドッグが見つからず、少し焦りが生じてきた。洋食レストラン「ビステッカBUN」でランチを取る間もSくんと今後の動きを相談した。次の市町に向かうべきだろうか。このままでは群馬県編ではなく、太田市編となってしまう。そんな風に逡巡していた時、僕たちを待っていたブルドッグにようやく出会えたのだ。

 『パターソン』の犬とはだいぶイメージが異なるため、少し戸惑った。犬小屋の表札に「ぶる」とある。【DOGモ】の名前が判明している珍しいケースだろう。手に持っているスコップが凶器のようでもあり、リードはちゃんと杭に巻かれているようには見えず、こちらに飛びかかって来そうな気配だ。ヒール役として絶賛売り出し中なのかもしれない。犬版の任侠もの映画があれば主役に抜擢されることは間違いない。

 予想とは異なる容姿ではあったが、太田市で無事にブルドッグと出会えたことにカタルシスがあった。しかし群馬犬探訪ははじまったばかりである。次の町の犬たちにも会いにいかなければならない。

 大泉町に移動後、再び駐車場に車を停めて歩き回る。太田市でも見つけた看板があった。こちらは真新しく、赤色がはっきりしている。その近くにあった看板は赤も青も消えている。物件選びと同様、日当たりによって運命が変わることもあるのだ。

 すぐ車に戻り、次の邑楽町へ。町名の読み方は「おうらまち」であると、ナビを操作しながらSくんが教えてくれた。結論からいえば、この邑楽町は【犬の看板天国】だった。

 一枚目と二枚目は似た特徴がある。

 この二匹の犬はどちらもほぼ二頭身であり、無邪気な笑顔を浮かべている。子犬の【DOGモ】だろう。「犬のおまわりさん」などの童謡を元気よく歌ったりするだけでみんなから拍手が起こるはずだ。

 三枚目は新座市にも掲示されていた【フリ素系】だ。犬と人間の顔がそっくりである。飼い主と飼い犬は自然と似てくると言われるが、この看板を見れば納得だろう。

 四枚目はポイ捨て禁止の看板と無理矢理一体化させられたことにより、犬と空き缶が同じサイズに見える。子犬の【DOGモ】のさらに下をいく生まれたての【DOGモ】だろうか。てれの仕草が堂に入っており、すでに大物の風格だ。

 五枚目はあの太田市で出会った「ぶる」だ。「条例違反は3万円」や「この看板はペットボトルから作りました」などの文言が足されている。

 六枚目の犬はただただ愛らしい。この犬のワッペンを作って無地のTシャツやトートバッグに貼り、グッズ化して販売したい。

 七枚目は瞳がキラキラした犬だ。こんな風に見つめられたらフンを放置することなどとてもできないだろう。警句の看板の右下で渋い表情をしているハチとの関係性が気になるところだ。

 それほど滞在時間が長かったわけではないのに、邑楽町ではたくさんの犬と出会えた。編集Sくんのテンションも高くなっている。「犬の看板」探訪は今までいろいろな友人と実践してきたが、僕以上に夢中になる場合も多い。遅かれ早かれ、人は犬たちの魅力に自然と気づいてしまうものなのかもしれない。

 次は千代田町だ。同名の東京都千代田区を連想する。千代田区の犬はシルエット型のスタイリッシュなたたずまいだったが、こちらはどうだろうか。

 引き続きSくんに運転を担当してもらい、僕は助手席から目を光らせる。野球漫画『ドカベン』に出てくるエピソードを思い出した。主人公の山田太郎が電車に乗った際、通過駅にある看板の駅名を正確に読み取ることで、彼の動体視力のすごさを発揮するシーンだ。

 その要領にならい、風景に集中して「犬の看板」を探す。もはや気分はアスリートだ。そのかいあってか、走行する車の中から無事に見つけた。安全な場所で車を停めてもらい、確認を急ぐ。

 よく見ると「I ♡ Chiyoda」(アイ・ラブ・チヨダ)と書かれたTシャツを着ていて、そのロゴを指さしている。芸が細かい。これも子犬の【DOGモ】だろうか。再び「犬のおまわりさん」の歌声が脳内再生される。

 そのまま明和町に向かう。最近その町名を見聞きした記憶があったため、検索をかける。2023年4月に同町にコストコが出来たというニュースに行き当たった。

 長い一本道が続く。たんぼが左右に大きく広がっていて野焼きも行われている。「犬の看板」の気配はまったくない。だからといって「コストコで息抜きしましょうか」とならないのが、この探訪の恐ろしさである。

 普段の僕は旅先で温泉や古い喫茶店を見つけると迷うことなくすぐに入る。その時にしか味わえない楽しみや発見があるからだ。でも「犬の看板」を目当てにして遠征している時は、ほかのすべての欲望が見事に消えてしまうのだ。

 ようやく住宅街に入った。後続車がいないことを確認しつつ、減速して進む中、一枚目を発見。

 今までの看板と比べても格段に警告度合いが強く、インパクトがある。しかしこの迫力ある赤色も太陽の力でいずれ消えてしまうのだろう。

 再び車で移動。二枚目はちょっと不思議な看板だった。

 支柱の取り付け位置を前後で間違えている。ねじを留める時に気づかなかったのだろうか。しかしそのおかげで「犬が狭い柱の陰に隠れようとしているのに全然隠れられていないキュートな状況」にも見える。僕の中でまた軽快な音楽が流れる。子犬の【DOGモ】たちが「犬のおまわりさん」を歌い終えたあと、童謡「かわいいかくれんぼ」を熱唱しはじめる。「どんなにじょうずにかくれても かわいいしっぽがみえてるよ」と。

 次は館林市だ。あの子犬の【DOGモ】がここにも二匹そろっていた。この文章を読んでいる皆様の脳内にもそろそろ「犬のおまわりさん」が響いているのではないだろうか。

 三枚目の看板は非常にいたたまれない状況だ。せめてこの迫真の演技により、この【DOGモ】の評価が高まってほしい。

 四枚目は2度目の登場となる稀代の営業犬、【てれ犬】だ。

 館林市をあとにして最後の目的地である板倉町に到着。ここはすべて【フリ素系】であったため、続けざまに紹介する。

 一枚目と二枚目は志木市と朝霞市にいた犬だ。

 三枚目は三度目の登場となる【てれ犬】である。てれの仕草も慣れたもので、もはや名人芸の域である。

 個人的な心情としては、ラストはその自治体にしかない【オリジナル系】看板で締めたいという願望があるものの、こちらの都合でコントロールできないところが「犬の看板」探訪の魅力でもある。予想外の出来事を許容し、それを楽しめるかどうかで人生のいろどりは大きく変わるのだろう。

 すでに陽がかげりはじめていた。当初の目標だった7つの市町を回り終え、無事すべての地域の犬たちと出会えたことに安堵感があった。城沼をのぞむ「Bakery&Café Niwa」に行き、コーヒーを飲みながらSくんと一日を振り返った。彼はスマホの画像をスクロールさせ、群馬犬たちを確認している。その表情が優しい。満足している様子がうかがえた。

 「今日は【フリ素系】が多かったですね」と彼。「回を重ねるごとにどうしてもそうなりますね」と僕。「段々と探訪のおもしろさがわかってきました」と彼。

 城沼の水面が黒く輝いている。「犬の看板」を探すという目的がなければ、この風景にも出会えなかったのだ。そんな想いを巡らせるうちに群馬犬編は静かに終了した。

著者:太田靖久(おおた・やすひさ)
小説家。2010年「ののの」で第42回新潮新人賞受賞。電子書籍『サマートリップ 他二編』(集英社)、著書『ののの』(書肆汽水域)、『犬たちの状態』(金川晋吾との共著/フィルムアート社)、『ふたりのアフタースクール』(友田とんとの共著/双子のライオン堂出版部)など。そのほか、文芸ZINE『ODD ZINE』の編集、様々な書店でのイベントや企画展示、「ブックマート川太郎」の屋号でオリジナルグッズ等の制作や出店も行っている。無類の犬好き。


□初出用語集□
【指導系】
犬が指導するジャンル。犬が犬に指導する場合や犬が猫に指導する場合もある。
【てれ犬】
てれの仕草が名人芸のDOGモ。全国各地で活躍しており、稀代の営業犬として名高い。

◻︎おすすめ休憩スポット(編集S)◻︎
【キオスケ・シ ブラジル(スーパーマーケット/大泉町)】
大泉町を探訪中、ジュースを買いに立ち寄ったスーパーが「キオスケ・シ ブラジル」でした。ブラジル専門の輸入食品スーパーということで、店内にはポルトガル語の食品がズラリと並んでいます。ひときわ目立っていた「ガラナ アトランティカ」のジュース缶とともに、レジ横のホットスナック「キッビ(肉団子のフライ)」も購入。どちらもブラジルではとても人気だと、レジのお姉さんがやさしく教えてくれました。早速歩きながらガラナを飲みキッビをかじります。知らない町と知らない味。犬の看板探訪の先に、師匠の言う「ディスカバー・ジャパン」がありました。


連載について
犬を愛する小説家・太田靖久さんのライフワークである「犬の看板」探訪を全12回にわたってお届けします。
公開日時は毎月30日18時、次回の第四回は8月30日18時予定です。

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