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「町とともにある出版社」と店主の問い

思えばずっと旅をしていたようなものだった。日常という過酷な旅。幼稚園を泣きながら登園拒否したことを皮切りに、とにかく学校が嫌いで、中学高校では女子校の制服のスカートをたくし上げて塀を乗り越え脱走し、大学では授業に行かずアルバイトと写真を撮ることに明け暮れた。家庭も穏やかではなかった私は、「生きるって狭いなぁ」と葛藤していた。でも、学校と家以外にも世界は続いていて、人の暮らしの営みがある。そのことを知ったときから、だれと生きたいか、どこで暮らしたいか、なにを仕事にしたいかを自分なりに考えるようになった。

生き方を形づくる3つの問い

なんとか滑り込みセーフで大学を卒業し、童話作家を目指して22歳で上京したあとも、最初の2年でずいぶん住む場所を変えた。花小金井、新高円寺、高円寺、飯田橋、中野、三鷹、国分寺…。それでも自然と中央線沿いを選んでいたのは、駅ごとに抜群の個性の詰まった町がある点に惹かれていたからだろうか。地元名古屋の地下鉄東山線沿いの雰囲気に似ていたからかもしれない。賃貸アパートを借りたり、恋人の家に住みついたり、シェアハウスを転々としたりして、気づけば7回分の引っ越しノウハウと、50人以上と暮らす経験と、空っぽになった財布を手にしていた。その間、専門学校を中退し、職業訓練校に通ったりアルバイトしたりしつつ就職活動に心血を注いでもいた。ひたすら模索した。それでも、「だれと生きたいか、どこで暮らしたいか、なにを仕事にしたいか」の答えをどうしても見つけられなかった。

国立(くにたち)駅にはじめて降りて外に出たとき、「空が広い!」と思わず声が出た。駅前に高い建物はなく、ロータリーが広がり、遥か遠くまで長い長い桜並木が続いている。視界を遮るものはなく、突き抜ける青空がどこまでも広がっている。

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その国立駅から桜並木を25分ほど歩いて南に辿ると、谷保(やほ)という駅があった。周辺に大きなビルはなく、至るところに農地が確保されている。大型の団地があり、スーパーマーケットはあるけれど個人商店も多く、場所によっては富士山が見える。子どもたちは谷保天満宮の裏の川でザリガニを釣り、蛙の声を聞き、土に触れて育つ。土のにおい、商店主と客の会話、人々の暮らし。谷保では東京にいながらあたりまえにそれらを感じられる。時の流れがこの町だけ不思議と緩やかで、都市で生まれ育った私にとって、ファンタジーの世界に迷い込んだのかと思ったほど。「ここで暮らしていくのかも」とはじめて直感的に感じる町との出会いだった。

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ときが経ち、26歳のころ、谷保駅から徒歩4分ほど北に位置するダイヤ街商店街に、家の一部を地域に開いた子どもとおとなが学びあうシェアハウス「コトナハウス」を仲間たちとつくった。ダイヤ街は55年ほどの歴史をもち、70年代のレトロな雰囲気を残すアーケード商店街。店々の営みと、そこに暮らす人たちのたしかな息づかいがある。

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コトナハウスの住人たちや地域の仲間たち、そして商店街の店主たち。その人たちと交わす「おはよう」「おやすみ」「元気?」といったなにげない言葉が、ずっと旅をしていたような私の人生に「ここにいてもいいんだよ」と寄り添ってくれたような気がした。だから、コトナハウスやダイヤ街の周りで出会った人たちを「だれと生きたいか」の答えに決めた。その気持ちを表すかのように、コトナハウスの住人だった人と28歳で結婚することになる。

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ある朝、勤めていた都心の出版社に向かおうといつものようにコトナハウスの玄関扉を開け、商店街を見たとき、ふいに途方もなく愛おしく感じた。すこし仕事に疲れていたのかもしれない。「家」という場所で安らいだことの少ない人生のなかで、はじめて「ここは自分の家なんだ」と、地元を超える安心感を覚えた瞬間だった。そうして、谷保の町とダイヤ街が「どこで暮らしたいか」の答えになった。

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日常という旅の傍らにある商店街

コトナハウスに住みながら、私は谷保への恩返しのつもりで、27歳のときに「小鳥書房」というひとり出版社を立ち上げた。そして、この町で生きていたいという前のめりな気持ちに任せて、勤めていた出版社を辞めた。その後、谷保の町から本屋がなくなったことをきっかけに、31歳の誕生日の日、ダイヤ街に本屋を開店した。場所をダイヤ街に決めたのは、「谷保で本屋をやるのが夢なんです」と語った私に、ダイヤ街の老舗カメラ店・ルビーカメラのご主人が「おれはダイヤ街でやってほしい!」と声をかけてくれたことが大きい。いまでも思い出しては、頬が勝手にゆるんでしまう。ルビーさんのその言葉は、ダイヤ街への私の思いをより色濃いものにし、この先ずっと根を張りたいなぁと心から思わせた。

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そうして、「なにを仕事にしたいか」の答えは、必然的に「谷保の出版社・本屋として本を届ける。編集する。そしてダイヤ街で暮らす人たちを支える」ことになった。

住みはじめて7年。ここが自分が生きていく町だと早々と決めてしまった。この感じを例えるなら、漂流した末にやっと流れ着いた離小島、とでも言おうか。落ち着きがなく脱走癖のある私がすっかり居着いてしまうほどに、この町にはほかにない包容力がある。

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2か月前に離婚をしたことで、私はこれから自分の今後を考えなおしながら、いくつかのライフイベントを越えていくことになる。旅はまだ続きそうだ。その旅には、おそらくずっとこの町が傍らにある。いつか生活の拠点が移る日がきたとしても、体の軸はここにあるだろう。3年前には母と兄と愛犬も、名古屋から移住してきた。母なりの生き方を考えたうえでの判断だ。谷保親善大使のような声量で私が谷保愛を熱弁しまくったせいかもしれない。70歳の母はしばらく仕事のため名古屋と谷保を夜行バスで行き来していたけれど、いまでは谷保を拠点にして生業をつくりなおした。

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そういえば、尊敬する元上司から数年前、「落合さんがやっているのは時代に逆行するような仕事の仕方だね」と言われたことがあり、そのときは「たしかにそうかも」と笑っていた。でもいま広い視野で見渡せば、違う返答が湧いてくる。数年前とは状況が変わり、ひとりひとりが生き方を選ぶべき時代になった。そうなったいま、私のこれまでを振り返ると、「正しく流されてきた」ように感じるのだ。世界一楽しい働き方をしているなぁ、と本気で自負してもいる。

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地域で暮らすということは、本音で関われる人たちと、力を抜いて生きること。心を許せる仲間たちと、この商店街で過ごせることがほんとうに嬉しい。答えを見つけようと探してしているときには見つからないのに、目の前の人を大事にしようと思ったときに、ふと現れるのかもしれない。

個性的に生きることも素敵だけど、私は平凡でいいから好きな人たちの近くで楽しくのんびり過ごしていたい。お金は最小限あればいいし、住まいは狭くていい。出版社・本屋・シェアハウスをこの町のこの商店街で営むということが、たぶん未来に続く私の生き方の答えである。


*小鳥書房の本屋は4/29(木・祝)にリニューアルオープン。同日、お隣には新たに「書肆 海と夕焼」の実店舗が開店します!

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