〈第十二回〉犬の看板探訪記|関東犬・追憶編と参拝編|太田靖久【最終回】
追憶編
連載最後の第十二回は関東犬・追憶編と参拝編だ。そのタイトルだけを先に決めていたものの、具体的にどこに行くのかは未定だった。
正直に告白するなら、今連載のクライマックスは第七回の<福岡犬編>だったといえるだろう。探訪の原点である【プンスカ犬】との再会を無事遂行したことで、大きく描いた輪は閉じられた。ただきれいにオチがついても終わらないのが人生であり、そのはみ出した部分にこそ濃厚なおもしろさが潜む場合もある。ささやかなカタルシスに酔って少し休んだら、またどこかに出かけなければならない。そのため、福岡県遠征以降も神奈川県や千葉県や東京都や栃木県を探索しながら、最終回をどうすべきかと逡巡していた。
自ら名づけた<追憶編>の意味を考える。時間をさらに遡れば良いのではないかとひらめいた時、腹にすっきりと落ちた。「犬の看板」の魅力に気づかないまま全国各地を訪れていた過去があり、そのころは看板の存在を意識せずに通り過ぎていたはずだ。その中にはすでに撤去されていたり、雨風を受けて朽ちたものもあるだろう。そういったかつての無意識の愚行を口惜しいと思う一方、決してやり直せないという非情さこそが過ぎ去った時間の味わい深さだと感じてもいた。
旅にまつわる古い記憶を探っていくと、群馬県の八ッ場ダムに行き当たった。その地を訪れた2013年1月当時は政治の混乱期でもあり、ダムは建設途中のまま放置されていて、巨大な十字架のような建造物が地面に突き刺さっていた。その後、政権交代などを契機にして2020年にダムは完成した。
夕闇の中で目撃したあの風景の数々はダムの底に沈んでいるはずで、字義通り、絶対に戻れない場所である。あの巨大な十字架を見上げていた11年前の私の傍に「犬の看板」が静かにたたずんでいたのかもしれない。その甘美でノスタルジックなイメージが大きく膨らみ、同所を再訪したいという欲求が強く芽生えた。
2024年1月某日、青春18きっぷの使用期限の最終日かつ、残りは1回分だ。今連載では編集のSくんを筆頭に、後輩のNくん、そしてゲストの滝口悠生さん、田中さとみさん、鴻池留衣さん、わかしょ文庫さんに参加していただいた。つまりいつも誰かと一緒だったのである。でも私の普段のスタイルはひとり旅が基本で、連載前の犬の看板探訪に関してもほとんど自分だけで実行していたのだ。
八ッ場ダムのある川原湯温泉駅までの行程を調べた。都内から鈍行を乗り継いで日帰りできる距離である。ただこの連載は「犬の看板探訪記」なのだから、途中下車して看板も探すことにしようと決め、早朝に出発した。
赤羽駅から高崎線に乗り、終点の高崎駅で一度下車。駅周辺を調査した。以前紹介したのとは別の高崎市の看板があった。稚拙な絵柄ゆえのかわいさがある【DOGモ】だ。
駅に戻って吾妻線に乗る。遠目に低い山々が連なり、畑や大きな工場があった。
渋川駅で下車。ここは渋川市だ。改札を出てロータリーを抜ける。渋川市役所周辺で一枚目の【フリ素系】を見つけた。
電車は一時間に一本ほどだ。発車時刻までしばらくあったため、引き続き歩き回る。二枚目の【フリ素系】を発見、その近くにデザインがよく似た看板もあった。比較するとおもしろいので一緒に並べてみる。コリー犬はもちろん良いが、秋田犬らしき脚の長い【DOGモ】も非常に愛らしい。
渋川駅から群馬原町駅へ向かう間、ソーラーパネルが占拠している山肌が覗いた。群馬原町駅で下車。ここは東吾妻町である。線路沿いを歩くと、早々に一枚目の【フリ素系】を発見。青いスカーフがおしゃれである。
東吾妻町は2006年に東村と吾妻町が合併して誕生した。二枚目の看板にはフンを置き去りにしていく犬が描かれているが、旧地名の吾妻町の看板はフンに突進していく犬である。その絶妙に異なる様子を比較するため、横に置いてみる。こうすると犬が駆け抜けているように見えないだろうか。
群馬原町駅から乗車。岩島駅から隣の川原湯温泉駅までは長いトンネルがある。そこを抜けると雪景色が広がっていた。降車して改札を出る。駅舎自体が建て替えられており、その位置も高台へと移動しているようだ。ダムの水面からところどころ裸の木々が伸びている。青く透き通った水の色が美しい。あの時目撃した巨大な十字架は橋脚の一部だったようで、その上を車が行きかっている。
当然ながら景色は一変している。道路も公園も何もかも真新しく、飾り気がない。ここに「犬の看板」があるとは到底思えなかった。
ダム沿いの道を進む。共同浴場「王湯」があった。以前は山の中腹に管理費100円の無人の「聖天様露天風呂」があり、熱い湯だった印象がある。
王湯ののれんをくぐる。入浴料は500円。露天風呂に入ってダムを眺めた。冷えていた手足が温まるうちに、どうにかして長野原町の「犬の看板」に出会いたいという欲が徐々に高まってきた。
風呂を急ぎ出て、長野原町に存在する駅を検索する。川原湯温泉駅以外に長野原草津口駅と群馬大津駅の2駅あって、幸いなことに両方とも吾妻線だ。どちらに看板がある確率が高いだろうかと予測する。駅周辺の雰囲気で決めようと思いながら、くだり電車の時間が迫っていたため、少し走った。
無事に乗車。川原湯温泉駅の隣の長野原草津口駅は周辺に建物が少なく、思い切って見送った。経験値に基づいた勘の要素もあるが、実際はただの運まかせである。次の群馬大津駅が頼みの綱だった。
群馬大津駅は無人駅だった。小さなホームを降りると、目の前に小学校があり、校門横に看板があった。
犬がずっと待っていてくれたように錯覚した。過去に戻ることはできないが、自分なりの方法で取り戻すことができたのだ。撮影後、タイミングよくのぼり電車が来たため、すぐに乗車。東京に着くまでの間に余裕があればどこかの駅で降りようとも思っていたが、陽が落ちるのがはやく、高崎駅に着くよりも先に車窓の向こうは真っ暗になった。
車内に人は少なく、とても静かだ。改めて長野原町の看板の写真を眺める。見慣れた【フリ素系】ではあるものの、そんなことはもはや関係なかった。この犬に出会うために遠出したのだと、じんわり感動していた。
参拝編
群馬での探訪を終えたあと、今連載の最後に犬への感謝を込めて犬の神様を詣でるという<参拝編>を構想していた。しかし具体的にどうすればいいかと迷っていた3月上旬、犬に関する気になるニュースを目にした。
国立科学博物館を訪れた中学生が「ヤマイヌの一種」と表記されたはく製が「ニホンオオカミ」ではないかと察して論文を書いたという。オオカミは犬のルーツであるといわれているくらいだから、専門家の間でも見解の相違が多々あるのだろう。
動物考古学者のパット・ショプマン氏は『イヌ 人類最初のパートナー』(青土社)の中でこう説明している。
ニホンオオカミはおよそ100年前に絶滅していると考えられているため、その行動様式はきっと不明な点も多く、犬との比較は難しいのかもしれない。
別途、動物研究者の平岩米吉氏の『犬の生態』(築地書館)にはこんな一説があり、骨格などを含めたオオカミと犬との共通点を証拠として提示してもいる。
魔除けや盗難除けとして「おいぬ様」信仰というものが存在することは耳にしたことがあった。「おいぬ様」と呼ばれる神様のお札を蔵や玄関に貼るのだ。元々は作物を荒らす害獣駆除にオオカミが役立ったことに由来しているらしく、その信仰でも名が知られている武蔵御嶽神社(東京都青梅市)では、「おいぬ様」はニホンオオカミであるとしている。
ここでもオオカミと犬の重なりが見えたことを興味深く感じた。編集Sくんと相談して、御岳山の山上に鎮座する武蔵御嶽神社を詣でることに決めた。山登りが趣味の彼は以前にも足を運んだことがあるらしく、「比較的初心者向きですよ」と軽くいうのだが、はたして本当だろうか。武蔵御嶽神社は犬同伴の参拝が認められている珍しい神社であり、犬の健康祈願も受けつけているとのこと。
桜の開花予想の発表から数日後の4月某日、JR国立駅に着いた。約束の時間は朝8時20分で、それより少しはやい。駅構内のラックに置かれた旅行案内のパンフレットのいくつかを手に取りつつ、Sくんを待った。
群馬、山梨、福岡、日光などの地名が見出しに並んでいる。そのすべての地域をここ一年以内に訪れたのに、これらに載っているどの観光地や名所にも足を運ばなかったという事実がちょっと可笑しい。いつだって旅の目的は「犬の看板」で、我ながらそのブレのなさに呆れつつ、少し誇らしい気持ちになった。
無事にSくんと合流。国立駅から青梅駅まで乗車し、奥多摩行きの青梅線に乗り換えて御嶽駅で下車。そこからバスで10分ほど揺られ、御岳山登山鉄道の滝本駅に到着。そこから御岳山駅まで急斜面をケーブルカーで登る。乗車時間はおよそ6分。両駅の周辺には広義の「犬の看板」といえるポップがいくつかあったので一部を紹介する。
車内にはペット連れの観光に際しての9つのルールが掲示されている。ここでも【DOGモ】たちが大活躍である。
御岳山駅はすでに頂上のような雰囲気もあって見晴らしがとてもよい。自動販売機の横にあった掲示板には、なじみの【型抜き系】が貼られていた。青梅市名義の一枚目の看板である。
武蔵御嶽神社までは歩いて30分ほどとのこと。最初はほぼ平坦だが、最後は階段が続くらしい。「歓迎 武蔵御嶽神社参道 御岳山へようこそ」と記された2本の太い門柱のような案内の傍らに二枚目の看板があった。以前の<東京犬・都下編>で紹介した図柄である。
空を仰ぐ犬の仕草が良い。その近くに【フリ素系】の【DOGモ】を活用した三枚目の看板もあった。
道中、江戸時代の高札を模した案内板もあった。こちらのシンボルはニホンオオカミである。
階段の両脇には参詣者の講碑が所せましと配置されている。相当なにぎわいがあったことを想像させるが、今はどうなのだろうか。ようやく階段を登り終えると、まずは拝殿前の青銅の狛犬の凛々しい姿に見惚れた。
参道や境内には英語なども併記された看板があった。こちらの二枚はどちらもシルエット型の【DOGモ】である。
参拝をしたあと、社務所で心願成就のご祈祷をお願いし、拝殿内に案内いただく。こちらでは木彫りの「おいぬ様」が出迎えてくれた。ご祈祷後に権禰宜の方のご厚意により、少し話をうかがうことができた。
「犬の看板」を求めて旅をしている旨をお伝えし、「連載の最後に犬の神様にご挨拶しにきました」と告げると、「犬の神様ではないんです」と即答された。
質問を繰り返すうちに様々な事情があることを知ったが、写真家の青柳健二氏が『オオカミは大神 狼像をめぐる旅』(天夢人)で記していることがその経緯を端的に表していると感じられたため、私たちの会話の内容は割愛して、以下の引用に託す。
この文章の「新しい物語が生まれる」という部分には、「犬の看板」探訪の活動とも大いに通じるものがある。「すでにそこにあるもの」に改めて着目し、新たなエピソードや背景を創造して物語を豊かにしていくこと。
「犬が好き」という単純な気持ちからはじまった「犬の看板」探訪はこれでいったん終了とするが、関東地方だけでも足を運べていない市町村はまだまだあるのだし、それ以外の地域のことも当然ながら気になっているため、今後もどこかへ出かけていきたいと思っている。
「犬の看板」に着目するようになってから、どこに行っても安心感を覚えるようになった。そこに「犬の看板」があるだけで親しみを感じられるし、犬に見守ってもらっているような気持ちになるからだ。そういった意味においても「犬の看板」探訪とは、私なりの「おいぬ様」信仰なのかもしれない。
というわけで、最後は本連載の版元・小鳥書房の実店舗がある国立市の「犬の看板」で締めたい。すがすがしい表情を浮かべて遠くを見つめている犬の様子が良い。
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