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〈第六回〉犬の看板探訪記|山静地方・山梨犬と静岡犬編|太田靖久|ゲスト:田中さとみ

今回は2本立て! 前半には太田靖久さんによる静岡犬と山梨犬の探訪記、後半には山梨犬編のゲストとして参加した詩人の田中さとみさんによる探訪記を掲載します。


太田靖久

 六回目の探訪は山静地方・山梨犬と静岡犬編だ。山静地方とは山梨県と静岡県の2県の総称であり、読み方は「さんせいちほう」である。前回のラストでも軽く触れたが、今回は関東から少し離れてみることにした。
 連載を重ねるごとに【フリ素系】の頻出が気になっている。これは関東に限られた現象なのだろうかと疑問になり、関東以外の地域の看板を調べることで多少は検証できるのではないかと考えた次第である。
 夏休み期間中とあって「青春18きっぷ」(※JR全線の普通列車の普通車自由席が5回/人分乗り放題でき、乗車日当日に限り有効の期間限定のきっぷ)が利用できる。今回はこの5回分を使って山梨県と静岡県を別々に日帰りで探訪することにした。

静岡犬探訪編

 まずは静岡県だ。以前に同県で足を運んだことのある地域の看板を一部紹介したい。静岡市、三島市、伊東市、浜松市である。

 【オリジナル系】もあれば【フリ素系】もある。これだけでは判断ができないため、さらに調査する必要があるだろう。

静岡犬探訪マップ(赤=今回の探訪地/黄=以前に探訪)

 静岡県の地図を広げる。静岡市と浜松市の間の地域(磐田市、袋井市、掛川市、菊川市、島田市、藤枝市、焼津市)には足を運んだことがなかったため、この7都市を目標と決めた。それぞれの市名を冠したJRの駅が存在する。まずは東京から一番遠い磐田駅に行き、そこから引き返す形で適宜途中下車することにした。
 今回の同行者はいつもの編集Sくんではない。仲良しの後輩Nくんで、僕が「犬の看板」に興味を持った最初期からこの遊びにつき合ってくれている。当時の様子を彼に尋ねたところ、後日こんな文章が届いた。
 「太田氏の犬看板への入れ込みようは凄まじかった。犬看板のワンちゃんに対して真っ当なストーリーをでっちあげ、毎度興奮して語る熱がこちらにも伝わる。犬好きが犬の絵柄を見てはしゃいでいるのだ。Googleマップなどネットから画像を拾い上げるのではなく、自分の足で稼ぐことも気に入っているようだった」とのこと。今も全然変わらないというのが自分自身の所感である。

 9月某日、早朝6時40分に新宿駅で合流し、西に向かう。僕は日傘を携帯していたり、サウナ好きのNくんと締めに温泉に入ることも見越してタオル類なども持参していたため、愛用のトードバッグがすでにいっぱいだった。これ以上荷物を増やすわけにはいかないと自戒しながら、何度か乗り継ぎをして磐田駅に到着。歩きはじめてすぐ、山田書房を見つけ、うっかり入った。手ごろな値段の古本漫画が積みあがっている。勢い七冊ほど買い求めるという愚行を犯してしまった。かなりの重さであり、肩が痛い。その時点でいつもとは調子が異なることに我ながら気づいていた。Nくんと一緒だからだろうか。彼を自然と頼る気持ちがあり、ほどよく意識がゆるんでいる。
 そんな折り、早々に出会ったのは【オリジナル系】だった。

 文言が書かれている部分は巨大な骨だろうか。あごを乗せているようにも見えるし、かじりついているようにも見える。そっと支えている右手が良い。
 こういった看板に出会えると暑さも疲れも吹き飛ぶ。この看板の価値を瞬時に理解してくれるNくんの存在もありがたい。これで充分ではないかと意見を交わす中、二枚目が見つかった。


 ずいぶんカラフルな【DOGモ】である。右下には市のイメージキャラクターが添えられている。「しっぺい」という名称であり、あとで調べたところ、メロン好きの犬という設定らしい。こちらの看板も【オリジナル系】だろう。
 幸先の良いスタートに歓喜しつつ、ショッピングモール内の「サイゼリヤ」で食事をとった。再び電車に乗り、袋井駅で下車。ここで見つかった看板の数々はどれもなじみの【フリ素系】だった。

 こういったケースではどれだけ探しても【フリ素系】しか見つからない可能性が高い。次の市に移動しようと決めて駅に戻りかけた時、四枚目があった。

 困り顔の【DOGモ】である。奥行きのある構図が良い。全体のニュアンスから【フリ素系】とも思われるが、初見であり、現段階では判別がつかない。探訪を続けることでどこかで再会できるのかもしれない。
 隣の掛川市も【フリ素系】が並んだ。

 管轄名に記された「蓄犬愛護会」というのが気になるところだ。この会は【オリジナル系】の看板も設置しているようで公園内に四枚目があった。泣いている犬が悲しい。

 五枚目は「区」の部分を手書きで追記するタイプの看板だ。四角い顔の【DOGモ】のとぼけた様子が良い。

 今回は特に公園周りに看板がある場合が多く、シンプルに公園を目指すことにする。菊川駅近くの菊川公園は高台にあって少しひるんだが、思いきってきつい坂を登ってみた。果たして菊川市も掛川市と良く似たパターンだった。

 やはり静岡も【フリ素系】が多いようだ。島田市の一枚目も【フリ素系】ではあったが、本連載では初出である。

 犬と飼い主がハートで囲まれていてハッピーな雰囲気なのにどこかホラーじみている。スタンリー・キューブリック監督の『シャイニング』のジャケットを連想させる微笑みだ。
 二枚目はおなじみのスター犬だ。状態の良い看板であり、スターたちの笑顔も明るく見える。

 三枚目は【オリジナル系】だろう。連載二回目で登場した葛飾区の看板との類似性を比較するため、一緒に並べてみる。

 白と黒のぶちの模様が同じであり、片手をあげているポーズも酷似しているが、決定的に異なるのはその雰囲気だ。葛飾区の【DOGモ】のアクの強さがやはり際立つ。
 島田駅から二駅隣の藤枝駅で下車。こちらも最初の2枚は既出の【フリ素系】だ。

 三枚目も【フリ素系】ではあるものの、今連載では初出だ。犬も飼い主も心底楽し気なのが良い。なにげない日常の美しさがこの絵柄の中にある。

 四枚目は東大和市の看板と一緒に並べることでおもしろさが高まるだろう。

 同じ【DOGモ】でありながら目の形状だけが違う。それにより藤枝市の方は神妙に見えるし、東大和市の方は微笑んでいるように見える。
 この時点で僕の身体はサウナを求めていた。西焼津駅まで乗車。その後スーパー銭湯の「笑福の湯」を目指す中、静岡での最後の一枚が見つかった。

 【フリ素系】ではあるものの、Nくんと久しぶりの探訪を無事終えられたことに安堵した。露天風呂につかりながら感想を求めたところ、後日文章が送られてきた。
 「静岡犬編はJR東海道本線の電車の本数も多く、乗り換え時間に神経質にならずに済んだ。訪れた市町村全てで犬の看板も存在したし、今回は軽快に事が運んだ探訪になったと思う」とのことだった。

山梨犬探訪編

 静岡県探訪から数日後である。「青春18きっぷ」の残りは僕と編集のSくん、そしてゲストの詩人・田中さとみさんの3人分だ。田中さんとは漫画と犬が大好きという共通点があり、会えばそのどちらかの話題で盛り上がる。
 本連載の一回目がアップされた時、「犬の看板を見つけることは、ほんとのワンちゃんに出会うことと同じなのかも」と感想をあげてくれた。至極名言である。そんな田中さんを誘うのは当然といえる。山梨犬探訪は過酷な状況になると予想されたが、田中さんは山登りが趣味とのこともあって快諾いただけた。

山梨犬探訪マップ(赤=今回の探訪地/黄=以前に探訪)

 山梨県の地図を確認する。足を運んだことのある地域は3市だけであった。先にその看板を紹介する。甲州市、北杜市、甲府市だ。

 すべて【フリ素系】である。今回はこの3市以外の地域を目標とすることに決め、計画を立てた。

探訪のしおり

 9月某日、朝7時30分に新宿駅で田中さんと待ち合わせをして中央線に乗り込み、編集Sくんと国立駅で合流。最初の目的地の山梨県の韮崎駅まではそこから2時間30分ほどだった。

 この時点では笑顔のふたりだが、のちのち争うことになる。
改札を出て観光案内所に行き、地図をもらう。「本当にお土産とか一切見ないんですね」と田中さんに驚かれたが、すでにアスリートモードなのだ。電車の移動中ですら窓の外を見て看板を探している時があり、会話がふいに途切れてしまうことがあったらしく、「目が真剣でしたよ」と指摘されたりもした。
 まずは黒沢川沿いを攻めようと歩き出したところ、あっさり一枚目が見つかった。

 すました表情のキュートな【DOGモ】である。田中さんが重そうなリュックをおろし、大きなカメラをかまえて楽しそうに撮影をはじめた。リアルな犬と接している時と同じなのだろう。
 その後も周辺を散策。二枚目はスター犬だった。

 三枚目は【フリ素系】であるが、本連載では初出だ。先に紹介した北杜市の看板と一緒に並べてみるとさらにおもしろい。

 犬の隣に猫もいる。どちらも着ぐるみっぽいため【着ぐるみ系】とする。猫がいる方の看板は袋の中にフンもある。つまり排泄後であり、時系列的には犬単体バージョンが先で、次に犬猫バージョンの順と推察できる。
 駅の反対側に行き、「食事と喫茶 ボンシイク」でランチをとる。チキンカレーもぶどうジュースもおいしい。のんびりしていたら電車の時間が迫っていることに気付き、駅まで走ってどうにか乗車。
 甲斐市にある塩崎駅で下車。電車は一時間に一本ほどだ。効率よく探す必要があるため、ここからはゲーム性を取り入れることにした。田中さんとSくんチーム、僕は単独チームで二手にわかれ、看板を見つけ次第相手チームに画像を送信するという遊びだ。先に発見した方が勝ちというシンプルなルールである。
 塩崎駅の北口を出て僕は左手に、田中さんたちチームは右手に折れた。数分後、僕の携帯電話が震えた。田中さんが最初に発見したという報告だった。

 CGみたいな【DOGモ】である。瞳の真ん中や鼻先が光っていて力強さを感じる。一回戦は僕の敗北だ。相手チームはアイスを食べながら駅に戻ってくるという余裕っぷりであった。
 続いて笛吹市にある石和温泉駅へ。二枚とも【フリ素系】であったが、ここでは僕が勝利した。

 次は山梨市のある山梨駅だ。県名と市名が同じなのに県庁所在地ではないというのが幼い頃からの疑問である。ここでも先に僕が発見。どちらもラミネートの看板だった。

 わずかに遅れて田中さんたちチームからも送られてきた。

 こちらは【フリ素系】であり、冒頭で紹介した甲州市と同じである。耳が折れているのがかわいい。
 この時点で僕の二勝一敗で、残りは大月市と上野原市だけである。次も僕が勝てば勝利は確定だ。
 大月駅へ移動。改札を出て僕は左手を選び、田中さんたちチームはまっすぐ行った。しばらく進むと路地の奥に看板らしきものがある。そこに近づく間にもふたりから看板の画像が送られてくるのではないかとあせり、自然と早足になる。
 予想通り犬の看板だ。隣に違う種類もある。二枚とも撮影し、急いで送信した。

 どちらも味わい深い【DOGモ】でインパクトがある。
 大月駅に戻った時、Sくんから提案があった。上野原市では先に見つけた方がポイントを獲得するのはそのままで、看板の数もポイントに反映させたいという。つまり、田中さんたちチームが勝利する可能性を最後まで残すためのルール変更の懇願である。それを受け入れて再び乗車した。
 上野原駅の北口を出る。目の前は高い山のようになっている。石の階段をあがると開けた場所にベンチとテーブルがあったため、自動販売機で飲み物を買ってしばし休戦とした。誰かに与えられたものではなく、自ら考案する遊びに全力で取り組むことには格別なおもしろさがあると改めて感じ入った。
 日の入りが迫る。一息ついたあと適当な場所まで一緒に行き、また二手に分かれることにした。長い階段の終わりだった。遠くに看板らしきものが視認できたため、僕が走ろうとしたら、田中さんが僕のバッグをつかんで強く引き止めた。絶対に勝ちたいという執念を感じた。
 中央自動車道をまたぐ橋を渡ってから、僕はまっすぐ進み、ふたりは右に曲がった。看板は見つかるものの3枚すべてが山梨県の管轄のものだった。

 二枚目の看板のとぼけた犬の姿態が愉快だ。三枚目はスター犬であり、とうとう県代表に選ばれたことを知って感激する。
 勝負は市の看板である。Sくんから画像が届いた。絵柄は消えているが、犬の看板に間違いはない。追って鮮明な看板も見つけたようで新たに送られてきた。

 続いて僕が見つけた。前回の茨城犬・おかわり編で穴埋めクイズのようになっていた看板と同じであり、こちらは文言の部分がしっかり残っている。これで答え合わせができた格好だろう。

 この時点で僕が1ポイント増やしてふたりを引き離した形になった。時間は18時までと決めていたため、残りわずかだ。その時Sくんから画像が来た。

 【フリ素系】ではあるが、本連載では初出の【DOGモ】だ。【着ぐるみ系】の部類である。
 ここでタイムオーバーとなった。最終スコアーはドローである。上野原駅で落ち合って国立駅で下車し、「ロジーナ茶房」で感想を述べあった。酷暑に加えてアップダウンの激しい道も多く、ハードな探訪であったが、同じ目的に勤しんだものにしか宿らないたしかな連帯感が三人にうまれていた。


田中さとみ

尻尾を振って待っている

 朝、7時30分に太田さんと中央線の新宿のホームで待ち合わせていた。一番後ろの車両に乗って降りたところで会おうと約束をしていた。この電車で本当に会えるのだろうかと心配しながら乗っていた。新宿駅に着くと、ドアの向こう側に太田さんの姿が見えた。ベージュの帽子にチノパン、白いTシャツを着ていたためか、太田さんの姿が白く眩しく見えた。地味な姿なのに、遠目でも太田さんだと分かる。安心してホームへと降りていく。これで無事に山梨の犬の看板を探しに行けるとホッとした。
 実は、前日の夜、私はなかなか眠ることができなかった。犬の看板探しは、とにかくストイックだと聞いていた。カフェに寄ったり、お喋りすることなく、ひたすらに黙々と看板を探し続ける。お昼も食べない時もある。雨が降っても雷雨でも関係なく見つかるまで続行する。看板探しが終わったら打ち上げもせずにすぐに直帰する。そんな恐ろしい噂を聞いていたので、次の日、彼らについていけるのだろうかと不安でなかなか眠ることができなかった。でも、目をつぶりながら浮かんでくることは、看板の中で尻尾を振ってふり返るきょとんとした犬の姿で、かわいいDOGモに会えるのであれば、そんなことちっとも苦ではないのかともぼんやり思う。
 当日の朝、うとうとしたまま電車に乗って、太田さんに出会い、国立駅で小鳥書房の雄一君と合流した。雄一君から旅の栞なるものを手渡される。ここから二時間弱かけて韮崎を目指していくのだという。高尾駅で一度降りて、山梨方面の電車に乗り換える。向かい合わせの座席の古い車両で、旅をしている気分になってテンションが上がる。向かい側に太田さんが座っていて、時々、窓の外を見ているなと思ったら、すでに車窓の外に犬の看板がないか探しているようだった。もうすでに、看板探しは始まっているようだ。
 11時15分に韮崎駅に着く。ようやく韮崎に到着したと観光気分で和やかな気持ちでいた。まずは、この辺りの地理を知るために駅の近くにあった観光案内所に入る。店内には、韮崎の特産品やお土産が置かれていた。太田さんも雄一くんもお土産など目に入っていないようで、真っ直ぐ受付に行くと地図をもらって案内所を出ていった。もらった地図を見ながら、太田さんは、「川の側を歩いて行って、学校があるから、そっちにまわってここに戻ってこよう」と言った。

 川を少し歩いたところだった。太田さんがなにか見つけたようだった。ずいぶん、離れた場所にあるのに、犬の看板らしきものが見えているようだ。「あっ、あれは」と指をさして近づいていった。本当にそんなところに看板があるのかと首を傾げていると、太田さんが指差すところに、少し色の掠れた犬の看板があった。確かに、その瞬間の感動は忘れられない。ダックスフンドが優雅に目をつぶりながら上品に片足を上げておしっこをしている姿の看板。

 見つけた看板の嬉しさにカメラのシャッターを切った。こんなところにいた。散歩をしているワンちゃんに出くわしたように嬉しい。その後、その周辺で数枚の看板を見つけることができた。

 看板を探している時の太田さんは犬の鳴き声が看板から聞こえてきているようでもあった。看板の中から尻尾を振る犬の動きが見えていて、そこに駆け寄っていくようにも感じた。犬の看板を探す視力・嗅覚・聴覚を備えているようだ。というよりも、太田さんにとって、犬の看板も生きている犬も変わらないんじゃないだろうか。犬を探すように犬の看板を探している。DOGモも生身の犬も同じもの。何も区別していないのかもしれない。
 だいぶ脱線するかもしれないけど、私の飼っていた犬の話をしようと思う。私が飼っていた犬は、ヨークシャーテリアで名前をルアといった。とても美しい犬だった。体も細く、大きな瞳をしていて、いつも自分の毛布の上に座って澄ました顔をしていた。私が「ルア」と名前を呼んでもけっして近づいてはこない。ただ、首を傾げて見つめ返す。見つめ返されると、私はルアの近くに擦り寄って、美しい毛の中に顔を埋めて、ギュッと抱きしめる。するといつも困った顔をしていた。犬よりも犬に私は甘えてばかりいた。その美しい犬が去年の夏に死んでしまった。犬が死んだ時、私も家族もひどく落ち込んで、しばらくみんな暗い顔をしていた。思い出す度に、涙が溢れてきて、忘れてしまいたかった。目をつぶっていても胸の中にぼんやりと浮かんでくる。その映像を何度も消そうと思った。しばらくして、母親がルアにそっくりな犬のぬいぐるみをフェルトで作った。身体の大きさを正確に測り、毛並みも写真を元に作ったので、そっくりな姿形をしていた。ルアそのもののような気がして、ぬいぐるみが部屋のソファに置かれているたびに、クッションで姿を見えないように隠していた。
 犬が死んでから、その話を誰にもできなかったけど、ある時、太田さんにこのことを話した。太田さんはじっと話を聞いてくれた。励ますように言ってくれたのだと思う。確かこんなことを言ってくれた。「全ての犬は一つで死んじゃったワンちゃんも、今生きているワンちゃんの中で生きている。だから、散歩をしているワンちゃんを見たら、寂しいよって心の中で呟けば、飼っていたワンちゃんが聞いてくれていて、振り向いてくれる。」半分冗談で半分本気で言ってくれていたのかもしれない。そうだったらいいのにと思った。それ以来、私は散歩をしている犬を見かけると、軽く会釈するようになった。すると、時々、振り向いてくれる犬がいたりした。

 韮崎で食事を終えた後、塩崎駅へ向かった。初回はインターンという感じで、太田さんについて探していたが、次で降りた塩崎駅では、効率的に犬の看板を探せるように、私と雄一くんチーム、太田さん単独で分かれて探すことになった。ゲーム要素も取り入れ、先に犬の看板を見つけたチームが勝ちというルール。短いインターン期間を終えて、まだどんなところに犬の看板があるのか掴めていない。ただ、最初に訪れた韮崎で川の側で犬の看板を見つけたので、川が流れているところを歩いていれば、看板を見つけることができるかもしれないと思い移動する。すると、偶然犬の看板を見つけることができた。私が初めて見つけた看板だ。

 CGのような立体感ある犬でどこか90年代のゲームに出てきそうな雰囲気がする。吊り上がった眉毛がキュートだ。太田さんからもLINEに画像が送られてきた。互いに何枚かの看板を見つけあう。塩崎駅では、まずは、一勝だった。
 続いて石和温泉駅、山梨市駅と降りていった。どちらの駅も太田さんから早々と看板を見つけたという知らせが入る。私たちのチームはなかなか見つけることができずに焦る。一勝二敗。なんとかドローに持ち込みたい。
 大月駅では、駅を降りた時に太田さんが「行きたい方向を先に決めていいですよ。」と余裕の表情を浮かべていた。私は川が流れている右手の道を選び、太田さんは左手の道を選んだ。でも、後から後悔する。単純に川があるからという理由で右の道を選んだことを。Google Mapを見ながら川の近くに行ってみる。民家もまばらになり、緑が多くなる。どんどん山に近づいているようだった。人の気配もなくなり、看板も見当たらない。慌てて道を引き返そうと思った時、携帯が震える。太田さんから早くも画像が送られてきた。ブルドッグの写真が印刷された看板だった。

 「うんちの持ち帰りはご主人様のウン(運)命です!!」というユニークなコメントとブルドッグのなんとも言えない表情に魅入られながら、ここでも負けてしまったと落ち込む。次の上野原駅でなんとか逆転したい。太田さんと相談してルールを変更してもらう。先程同様に先に犬の看板を見つけたチームがポイントを獲得するのと、見つけた看板の数もポイントに反映していくこととなった。なので、看板を多く探し出せば逆転する可能性もある。
 上野原駅に到着する。ここが最後の犬の看板探訪の地である。駅前の芝生のひらけた場所にあるベンチに腰掛けて、自販機で買った飲み物を飲んで休憩する。

 遠くに山の稜線が見える。山の間に陽が落ちかかっている。日没間近だ。いろいろ語り合いながらも、休憩を終えて再びチームに分かれて探すことになる。太田さんに勝ちたい。私も雄一君も早足になって歩いていた。犬の看板がある場所は特定するのが難しいのかもしれない。単純に川の側にあるとは限らないし、公共の施設や公園の近くでも見つからないこともある。太田さんのように犬を想う勘だけが頼りなのかもしれない。雄一くんが道路沿いの塀に看板らしきものがあることに気づく。近づいてみると、イラストは消えかかっているが犬の看板である。太田さんからもすでにLINEに写真が送られてきていた。こちらも慌てて写真を送る。上野原では、民家や駐車場や草の茂みなど、犬が喜びそうな小道もあり、数枚看板を見つけることができた。気づくと陽が沈んで、辺りが真っ暗になっていた。駅で太田さんと合流した。犬の看板探しの勝負は、結果はドローであった。こんな遊びもたまには楽しい。
 国立駅に戻り、ロージナ茶房で今日の出来事をいろいろ語り合った。その後、雄一君とも別れ、帰りの電車の中で、太田さんの『犬たちの状態』(フィルムアート社)について話していた。小説の中には様々な犬種のワンちゃんや映画にまつわる話が出てくる。ジャック•ラッセル•テリアやジャーマン•シェパード、フレンチブルドッグなど、犬の姿が的確に描写されていて、その姿を想像しながら読んでいると楽しかった。いくつか好きな文章がある。「生まれたことは不幸だ、生きることは地獄だ、希望はない、絶望だけがある、でも暗い表情を浮かべたくない。トイ・プードルはいつでもあざやかに跳ねている。あの犬を抱いた時の軽さは驚愕に値する。まるで空気だ。重力という呪縛から解き放たれた天使のような犬種だ。」トイプーは天使。その通りだ。実は、今年になって、両親は再び犬を飼い始めた。それがトイプーであった。明るくて、空気のように軽い、常に飛び跳ねていた。「言葉だ。的確な言葉で犬の状態を冷静にスケッチすれば良いのだ。」特に好きな言葉。この小説は、犬の状態をスケッチするために書かれているんじゃないか。同様に、犬の看板探訪も犬たちを冷静にスケッチするための一つの行為なのかもしれないと感じた。看板に描かれた犬の表情や仕草を思い出してみる。生き生きとポーズを決めている犬たち。いつでも彼らは尻尾を振って待っている。愛らしい存在である。現実の犬も看板の中の犬も変わらない。太田さんは彼らの姿をスケッチしているのかもしれない。そんなことを思いながら帰途につく。


著者:太田靖久(おおた・やすひさ)
小説家。2010年「ののの」で第42回新潮新人賞受賞。電子書籍『サマートリップ 他二編』(集英社)、著書『ののの』(書肆汽水域)、『犬たちの状態』(金川晋吾との共著/フィルムアート社)、『ふたりのアフタースクール』(友田とんとの共著/双子のライオン堂出版部)など。そのほか、文芸ZINE『ODD ZINE』の編集、様々な書店でのイベントや企画展示、「ブックマート川太郎」の屋号でオリジナルグッズ等の制作や出店も行っている。無類の犬好き。

著者:田中さとみ (たなか・さとみ)
詩人。詩集に『ひとりごとの翁』(思潮社)、『ノトーリアス グリン ピース』(思潮社)。2022年には個人誌『Hector』を刊行。普段は、神保町にある古書店で働いており、本が好きな人と語らうことを楽しみにしている。no dog no life. 犬がいる生活は楽しい。


初出用語集
【着ぐるみ系】
まるで着ぐるみを着ているかのようなDOGモ。実際に着ぐるみなのかは不明。

◻︎おすすめ休憩スポット(編集S)◻︎
【食事と喫茶 ボンシイク/山梨県・韮崎駅】
駅から徒歩数分、屋上に大きな文字看板を掲げる「アメリカヤ」ビルは1967年の建築当初から韮崎のランドマークだったとか。一時閉業ののち、最近若い人たちがリノベーションして復活したそうです。ビル1階の「食事と喫茶 ボンシイク」に入店、店内はコンクリート剥き出しの壁とウッド調のインテリアでゆったりとした雰囲気。フルーティーな甘さとスパイスの加減がちょうど良いチキンカレーをいただきました。居心地が良すぎてまるで3人で地方のカフェ巡りをしにきたような錯覚に。


連載について
犬を愛する小説家・太田靖久さんのライフワークである「犬の看板」探訪を全12回にわたってお届けします。
公開日時は毎月30日18時。第七回は11月30日18時の公開予定です。

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