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〈第九回〉犬の看板探訪記|千葉犬編|太田靖久

 九回目の探訪は千葉犬編だ。2023年12月現在、千葉県には37市、16町、1村の合計54市町村が存在する。この千葉犬編に関しては少し前から大まかな構想があり、電車と車の2回に分けた探訪計画を立てていた。その理由を少し過去にさかのぼって説明したい。
 10月某日に今連載の第七回にあたる<福岡犬・遠征編>の取材を終え、福岡空港から飛行機で関東に戻ってきた。成田空港の第一ターミナルを出て京成本線で東京方面に向かうまでの間、ひとつひとつの駅に注意を払うものの、僕にとってなじみのない駅名が続き、千葉県のことをほとんど何も知らないのだと痛感した。
 今まで足を運んだ地域は千葉県の北西側に偏っている。千葉県の形状を象ったマスコットキャラクター「チーバくん」の身体の部位で説明するなら鼻と口の周辺のみである。その中から6市の看板を先に紹介する。柏市、我孫子市、千葉市、習志野市、浦安市、流山市である。

 同行者の編集Sくんと事前に企画を練った。まずは下見のような形をとり、電車で一度探訪してから別日に改めて車でも訪れようと決め、初回は「北総線1日乗車券」を活用することにした。北総線は全部で15駅の比較的こじんまりとした路線であり、東京都の葛飾区と千葉県の6つの市(松戸市、市川市、鎌ヶ谷市、白井市、船橋市、印西市)を通っている。

千葉県の地図(赤=探訪箇所、緑=写真紹介箇所)

 11月某日、京成高砂駅に朝10時30分に集合とした。僕自身は初めて利用する駅だったこともあって一時間ほどはやく行き、周辺を散策。駅の北口側に立喰いそば「新角」があった。外に貼り出されているメニューの数々が魅力的に映る。朝食は済ませていてそれほど空腹ではなかったが、旅情気分もあり、のれんをくぐってカレーを注文した。
 食事を終えたあと、Sくんと駅で合流。夜に別件があるらしく、彼は大きなリュクサックを背負っていた。それを構内のコインロッカーに預けてから電車に乗り込んだ。各駅停車でも終点までの乗車時間は40分ほどである。
 印旛日本医大駅に到着。ここは印西市だ。豪奢な時計塔を有する駅舎を出て新興住宅街を練り歩くものの、看板の気配が感じられない。こういった時の判断はむずかしく、同市の別の駅に移動した方が良いのかもしれないと迷う。とりあえず地図を確認し、観光名所と思われる松虫寺を目標とした。
 寺の横に「マツムシコーヒー」と記された手書きの看板があった。林の奥にある背の低い建物から焙煎中のコーヒーの匂いが流れてくる。その強烈な誘惑に負け、「犬の看板」を一枚も見つけていないのに休憩を入れることにした。アフォガードをたしなみながら窓の外に目を向ける。普段の探訪中は意識が覚醒した状態だが、木漏れ日を眺めているうちに気持ちが凪いでしまった。このままではまずいと思うまでに少し時間がかかったが、再び気合を入れ直し、駅に戻ることを決断した。
 印旛日本医大駅からふた駅先の千葉ニュータウン中央駅で下車。ここは白井市にも近いため、市境を目指した。うまくいけば両市の看板を効率よく発見できるだろう。その狙い通りにまずは白井市の看板を発見。どちらも【フリ素系】である。

  こうなると弾みがつく。印西市の一枚目は「歩行喫煙禁止」と「ポイ捨て禁止」と「フンの放置禁止」がひとつにまとまっている看板だった。
 この【シルエット型】の【DOGモ】の元のイラストとおぼしき看板を一緒に並べてみる。こちらは東大和市のものだ。

 耳やしっぽが少し異なるが、足跡やフンの形状含め、ほぼ同じである。
 二枚目は犬が登場していないものの、ユニークなデザインだ。

 火のついたたばこと空き缶とフンだけが描かれている。不在を強調することで存在の痕跡を表現する高度なテクニックである。
 三枚目は街灯に貼られたシールである。水平になっている耳がかわいい。ビリ犬のように空を飛ぶのかもしれない。

 千葉ニュータウン中央駅から小室駅へ。改札を出て国道464号線をまたぐ歩道橋を渡る。近くにあった小室公園内に看板が設置されていた。その三種類の看板を三コマ漫画の要領で縦に配置してみる。

 躍動感のある【DOGモ】に着目してほしい。こうやって並べると犬が公園内を疾走しているように見えないだろうか。大きなアメを持った女の子の横を抜け、姿かたちがよく似た茶色い【DOGモ】とすれ違ってもいる。
 続いて新鎌ヶ谷駅へ移動。こちらは駅前の住宅街にあった。【オリジナル系】とおぼしき看板で、市のマスコットキャラクターの「かまたん」(鎌ヶ谷の畑で生まれた梨と野菜の妖精)と一緒に登場している。友人同士で語り合っているようなおだやかな表情だ。

 次は松飛台駅へ。松戸市にある駅はほかにもあったが、大きな霊園もあって見つけやすいのではないかと期待したものの、読みがはずれた。かなり歩いてもまったく見つからない。大幅に時間をロスして気落ちしていた時、中華料理屋「東東」が視界に入った。その店名を食のレビューサイトで目にしたことがあったため、ふらふらと店内へ。チンジャオロースの定食を完食した。
 松飛台駅を諦めて東松戸駅に着くと、すでに陽が落ちかかっている。当然ながら夜は看板探しがむずかしくなるため、あせりが生じる。東松戸中央公園に行ったが看板はなく、近隣の東松戸ゆいの花公園に足を伸ばした。閉園時間が過ぎていて中に入れなかったが、入口横に看板があった。

 振り向き方が粋な【DOGモ】だ。こういった個性的な看板に出会えると一気に気分が明るくなる。時間が遅くなってしまったために市川市に行くことを躊躇していたが、この【DOGモ】に背中を押される形で急いで駅に戻り、北国分駅へ向かった。改札を出ると真っ暗である。夜に探訪をしたのは八王子市以来かもしれない。南口を出て公園に行く。ピクトグラムの看板と【フリ素系】をまずは発見した。

 続いて三枚目だ。絵文字のような使われ方の【DOGモ】でどちらも愛嬌がある。

 いつものように最後は【オリジナル系】で締めたいという欲が芽生えるものの、なかなか見つからない。Sくんが地面を見下ろしながら「これも一種の看板では」と声を上げたため、携帯電話の明かりで確認した。

 地面に貼り付けてあるタイプは今連載では初めてで、デザインも斬新だ。フンの入った袋をつかむ手の向こうに頭の大きな【DOGモ】がいる。遠近を強調した絵柄だ。それらを囲む赤い輪が一体なにを意味するのか不明だったが、そのそばに同種の看板を見つけたことで謎が解けた。

 右下のイラストに注目だ。帽子をかぶった警備員風の人が懐中電灯を中央に向けている。人物の背後には月と星が描かれているため、夜の風景だとわかる。つまり、この輪は懐中電灯の丸い明かりというわけだ。
 僕たちの一連の行動を肯定されたように感じた。最後の看板が夜にふさわしい一品だったからである。
 北総線での探訪はなかなかイメージ通りとはならず苦労もあったが、【オリジナル系】の看板も多く、次回の車での探訪がますます楽しみになった。
 北国分駅からスタート地点だった京成高砂駅まで乗車。ホームから階段をあがる時、Sくんから「重大な過ちを犯しました」と唐突な告白があった。本連載を追ってくださっている読者の中にはSくんのおっちょこちょいぶりを楽しみにしている方も多くいるはずである。突然のハプニングは物語のスパイスであり、刺激としてはおもしろいが、僕自身はいつもハラハラする。今回は一体なにをやらかしたのだろうか。
「コインロッカーにリュックサックを仕舞ったあと、お金は入れたのですが、カギを抜くのを忘れていました」
 Sくんの巻き起こすアクシデントは常に予想の斜め上をいく。リュックサックにはラップトップなど色々と高価なものが入っているという。松戸市あたりを探訪している際にロッカーのカギをかけ忘れたことに思い至ったらしいのだが、迷惑になると思い、黙っていたようだ。
「その時点でせめて駅に電話すればよかったのに」
「たしかにそうですね」
 Sくんが力強くうなずいたが、ロッカーはもう目の前である。急いで駆け寄り、彼の記憶にある扉を開けた。はたしてリュックサックは無事であり、安堵のため息が漏れた。
 
 それからおよそ一か月後のことだ。12月某日、都内にて朝9時30分に集合。Sくんの運転する車に乗り、千葉県へ再び向かった。今回のルートはざっくりしており、福岡編で登場した成田空港のある成田市を最後にすることだけを決めていた。下道から首都高速道路に乗る。
 東京湾アクアラインを走るのは初めての体験だった。かつて川崎から木更津までフェリーがあり、1997年に運航が終了した。その前年に一度乗船したことがあった。
 天気は快晴だ。東京湾に太陽の光が反射している。四半世紀前に眺めた風景を懸命に追憶しているうちに木更津市に到着。山道が多く、こういった場所に看板はほぼないため、通過するだけになった。じきに市原市に入り、国道297号線をひたすら進む。途中で急カーブが連続する下り坂に戸惑ったりもしながら、車外に目を光らせるものの、ゴルフ場の看板くらいしか見つからない。そんな時に僕たちを出迎えてくれた看板にようやく遭遇できた。

 スーツを着た【DOGモ】は前代未聞だ。眼鏡はツルなしである。赤いネクタイはアメリカの大統領の多くが着用する種類であり、活力や情熱や勇気などのアグレッシブな印象を与えるとされ、パワータイとも呼ばれている。一見ひかえめな様子だが、自らの役割に強い意義を感じているのかもしれない。
 初っ端から興奮する看板と出会えたことで一日が終わった気持ちですらあった。これ以降に登場する看板はほぼすべて【フリ素系】であるが、この一枚だけでも十分満足度の高い探訪となった。
 続いては大多喜城のある大多喜町だ。

 非常に状態の良い看板である。照れている【DOGモ】の顔がピンクから赤へとグラデーション状になっているのがよくわかる。
 ちなみに1959年に建設された大多喜町役場庁舎はかなりモダンな建物なのでおすすめである。その外観に見とれて思わず長居してしまったほどだ。
 そろそろ外房の海が見たい気分だった。カツオの町としても有名な勝浦市の看板はどちらも【フリ素系】だった。

 その隣の御宿町はフリー素材として知られる「いらすとや」の看板と【フリ素系】の帝王【てれ犬】だった。

 予算や手間を考えれば、今後作られる新しい看板は「いらすとや」が主流になっていくのかもしれない。そんなことを考えている間にいすみ市に入った。しばらくすると外見が派手な飲食店があった。敷地内や建物にやたらとカラフルな置物や貼り出しものがある。一度通り過ぎたものの、気になったので戻ってもらった。店名は「COCOの隠れ家」だ。看板犬のキュートなダックスフンドが出迎えてくれて感激した。
 チーズピザを食べ終えて再び出発。いすみ市の看板も【てれ犬】だった。

 その次は一宮町だ。2021年に開催された東京オリンピックのサーフィン競技の会場でもある。こちらも【フリ素系】だ。

 サーフショップが並ぶ海岸線沿いを走り、長生村に入った。ここは千葉県唯一の村である。その希少性を意識してかなり粘って探したのだが、残念ながら村名入りの看板は発見できず、千葉県と記載されたものだけを確認。ほかの場所で見つけた同種の看板も一緒に並べてみる。 

 犬は一見すると同じに見えるが、目の形状が異なっている。猫の陽気な様子もかわいい。
 このままチーバくんの背中から後頭部にかけて進んでいきたいところだったが、時間はすでに16時近くになっており、日の入りが迫っている。成田市までの最短距離を進みながら辺りを注視したものの、道中では看板を見つけることができなかった。
 成田市に着いたころには完全に夜だった。成田空港から飛行機が飛び去る姿を眺める。あの輝く飛行機に乗ってどこか遠くに行くこともできたはずなのに今の僕は「犬の看板」を夢中で探しているのだと感慨深かった。
 成田市役所の近くにあった駐車場に車を停め、周辺を探索。東成田線の高架下にある栗山公園には看板がない。JRの成田駅方面に行ってみましょうというSくんの提案に従う。高低差のある道が多く、なかなか疲れる。坂も階段も急であり、身体も徐々に冷えてきているため、なるべくはやく見つけたかった。
 JRの踏切を渡ると眼下に住宅街があった。二手に分かれて探すことに決めた。絶対に発見できるという根拠のない確信があった。辻に来るたびにそれぞれの道の先を想像し、そのうちのひとつを選ぶ。
 小さな空き地があり、フェンスに看板が取り付けられていた。

 「千葉県 成田市」と記載がある。市名の前に県名が付いているのは珍しいパターンだ。【フリ素系】ではあるものの、落胆する気持ちよりもようやく出会えたという達成感の方が強かった。
 撮影後、Sくんに画像を送信して今回の探訪の終了を伝える。駐車場で合流して発車。高速道路に乗った。途中のパーキングエリアでSくんが温かいコーヒーを買ってきてくれたため、小さく乾杯する。車内でのささやかな締めの儀式だった。


著者:太田靖久(おおた・やすひさ)
小説家。2010年「ののの」で第42回新潮新人賞受賞。電子書籍『サマートリップ 他二編』(集英社)、著書『ののの』(書肆汽水域)、『犬たちの状態』(金川晋吾との共著/フィルムアート社)、『ふたりのアフタースクール』(友田とんとの共著/双子のライオン堂出版部)など。そのほか、文芸ZINE『ODD ZINE』の編集、様々な書店でのイベントや企画展示、「ブックマート川太郎」の屋号でオリジナルグッズ等の制作や出店も行っている。無類の犬好き。


連載について
犬を愛する小説家・太田靖久さんのライフワークである「犬の看板」探訪を全12回にわたってお届けします。
公開日時は毎月30日18時です。第十回もお楽しみに!

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