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〈第七回〉犬の看板探訪記|福岡犬・遠征編|太田靖久

 七回目の探訪は福岡犬・遠征編だ。前回の山静地方ですでに関東地方をはずれ、今回はさらに遠く離れた九州地方が舞台である。今企画タイトルの<関東編>という看板に偽りありという状態ではあるが、事情があるため、追って説明したい。
 その前に福岡県について簡単に紹介する。九州地方の北部に位置し、2023年10月現在、県内には29市・11郡・29町・2村がある。

福岡犬探訪マップ(赤=今回の探訪地)

 今回はレンタカーを使用した。福岡市を出て北東方向に進み、50キロほど離れた北九州市に着くまでの間、いくつかの市町村を探索。そのあと高速道路に乗って南西方向の太宰府市を目指すという大まかなルートを想定した。
 前回の山静地方への探訪は【フリ素系】看板が関東以外にもどの程度存在するのかという検証の意味も含まれていたが、静岡県も山梨県も関東と隣接しているため、少し中途半端だった面はあった。その反省を活かして海を渡り、九州地方へ向かったというのも経緯のひとつではあるものの、それとは別に、僕自身の「犬の看板」探訪のはじまりを確かめに行くという最重要のミッションが存在していたのだ。
 改めて今連載の<プロローグ>に戻り、関連する該当部分を引用する。
 
 「犬のフンを持ち帰りましょう」といった文言で美化啓発をうながす「犬の看板」は、各市区町村に掲示されており、種類も豊富なため、たくさんの犬に出会うような興奮がある。
 最初に写真を撮ったのは2016年だったはずだ。九州旅行の際、太宰府市と記載された看板を見つけ、なにげなく写真に収めた。それをきっかけにして町で見かけるたびに反応するようになり、徐々に夢中になった。
 
 この文章の公開に際し、僕が最初に撮影した太宰府市の看板の写真を添えるかどうか迷ったものの、あえてしなかった。ピントが合っていないだけでなく、少し雑に撮った代物だったからだ。
 正確な撮影日は2016年4月7日。場所は太宰府天満宮の参道だったはずだが、詳細な位置データは記録されていない。腕を組んで怒っている様子からこの【DOGモ】を【プンスカ犬】と名付ける。

 この適当な感じこそが偶然のはじまりに相応しい気もするが、撮影時に「犬の看板」写真を今後も撮り溜めていくという意志があったのなら、地面にひざをついてしっかりピントを合わせたはずなのだ。
 可能なら自分にとって初めての「犬の看板」である【プンスカ犬】を撮影し直したい。その想いが太宰府市を再訪する最大のきっかけとなった。はたして7年半経ってもあの看板は設置されているのか、そもそも同じ看板を見つけることができるのか。そんなプレッシャーを抱えつつ、10月某日、編集Sくんとともに成田空港から福岡空港へと旅立ったのである。
 
 探訪の前日は「文学フリマ福岡9」に参加していた。今連載の版元・小鳥書房も出店しており、編集Sくんを手伝う形で僕も売り子を務めた。その夜は福岡市内の「ブックバーひつじが」で『ふたりのアフタースクール』(僕と友田とんさんとの共著・双子のライオン堂出版部より2022年12月刊行)の読書会が開催され、充実した一日を過ごした。
 翌日も天気は快晴。朝8時30分に編集Sくんが運転するレンタカーに乗り込み、出発。車内ではナンバーガールが大音量でかかっている。福岡出身のバンドだからだろう。今までの探訪時にはボブ・ディランやニルヴァーナがかかっていたが、僕が彼の選曲に物を申したことは一度もない。
 まずは福岡市を出て粕屋町に行き、早々に発見。本連載では初出の【フリ素系】である。

 重たげなまぶたと目の下のたるみが印象的な【DOGモ】だ。なかなかの強面ではあるが、きちんと足をそろえて座っているため、礼儀正しく見える。
 続いて新宮町だ。二枚とも【フリ素系】である。

 福岡でもなじみの【DOGモ】に出会えると感慨深い。関東限定のローカルタレントだと勝手に思っていたが、実は全国的に活躍していることを知るのだ。
 古賀市もそんな【フリ素系】がそろっていた。 

 そろそろ福岡独自の【DOGモ】たちにも出会いたいと思っていたところ、短冊型の見慣れない看板があった。

 文字情報だけで犬がいない。左上にスペースがあるのだからそこに顔だけでも良いから犬がほしい。切実な要望である。
 ただ別途この地域では興味深い看板があったので披露したい。うっかりするとありふれた【フリ素系】と判断しかねないが、管轄名が古賀市ではなく、古賀町となっている点に注目だ。

 市制施行によって古賀町から古賀市に名称が変更したのは1997年10月であり、四半世紀以上も前の出来事だ。もはや歴史と呼んでいい一枚だろう。
 福津市に入ってしばらくすると、地元のスーパーマーケットとおぼしき「ゆめマート福津」を視界にとらえた。鹿児島のメーカー「イケダパン」や福岡のメーカーの「リョーユーパン」など、関東ではあまり見かけないパン類が好きなため、立ち寄って購入し、フードコートで手早く食して再び車を発進。目の前に海が広がっていて開放感がある。その風景に見入りつつも二枚の【フリ素系】を抜かりなく発見。 

 引き続き国道495号線を進む。畑のそばに掲示されていた三枚目も【フリ素系】ではあるものの、本連載では初出だ。

 帽子のつばが上を向いているのが良い。ラップでもはじめそうな【DOGモ】だ。文言の「フンの後しまつ お願いします!」は「しまつ/します」でラップのリリック調に言葉の響きをそろえているのかもしれない。
 四枚目と五枚目には消滅した旧町名が記載されていた。2005年に福間町と津屋崎町が合併して福津市になったのだ。

 それぞれの町名に思い出がある人たちも多々いるのだろう。そういった意味でも貴重な看板だ。
 隣の宗像市にも歴史が存在した。2003年に宗像市と合併した玄海町の看板を発見。こちらは名優【てれ犬】である。

 岡垣町へ移動。ここは【犬の看板天国】だった。まずは既出の【フリ素系】が五枚。 

 六枚目は上機嫌な犬がしっぽを振りながら舌を出していてかわいい。排泄を終えてすっきりしたのかもしれない。

 七枚目は黒のラブラドール・レトリバーとおぼしき【DOGモ】だ。これほど表情がクローズアップされている看板も珍しい。探偵犬のような鋭いまなざしである。

 この町の看板には「校区コミュニティ」の表記がある点もポイントだろう。岡垣町のホームページを調べたところ、小学校区を単位として設立されており、自治区の機能を補うようにして「防犯・防災」「環境」「健康・福祉」などのボランディア活動を行っているとのこと。その「校区コミュニティ」の中の海老津校区の看板が鹿児島本線の海老津駅近辺で三枚見つかった。

 どれもポップな絵柄だ。環境美化への啓蒙だけでなく、通学路が華やぐ効果もあるように思う。
 次の遠賀町では衝撃を受けた一枚があった。連載四回目の時に東京都八王子市で発見したものと同じ看板があったのだ。 

 あの時はこの絵柄が初見だったこともあり、【オリジナル系】とつい断定してしまったが、こうやってのちに【フリ素系】であったとわかることもある。不覚ではあるものの、特に関係があるとは思えない八王子市と遠賀町が唐突につながるこの瞬間には格別なおもしろさがあった。
 そのほかの看板もすべて【フリ素系】である。

 順調に犬たちと出会えていることで余裕があり、ようやく自分たちの行動に改めて意識が向いた。わざわざ福岡まで来ているのにいつも通りのストイックな探訪である。ご当地ものの菓子パンを食べた以外では一切の観光もしていない。それにつき合ってくれているSくんにさすがに申し訳ない気持ちになり、「ひとつくらいどこか寄りましょうか」と尋ねたところ、北九州市にある「八幡製鉄所 旧本事務所」を見学したいとの回答だったので、そこだけは行くと約束した。
 そんな会話を交わすうち、芦屋町でも【フリ素系】に遭遇。

 福津市からここまで海岸線沿いを通る機会が多かったためか、いつも以上に「猫の看板」も多かった。漁港と猫はセットなのかもしれない。番外編としてそちらも三枚紹介したい。

 14時前に九州の最北にある北九州市に到着。車線の数も多く、車もたくさん走っている。看板がありそうな場所が見当たらないまま流れに乗っていき、「八幡製鉄所 旧本事務所」方面に向かう。手ごろな公園があればその周辺を探っていこうという話になり、信号待ちの間に地図を確認。すぐ近くにあったため、路地に折れる。狙い通り一枚目があった。

 あまりに露骨な【着ぐるみ系】である。
 その周辺に【オリジナル系】とおぼしき看板があった。きれいな状態のものは木に巻かれていて絵柄の全体が見えづらいため、別の場所の色あせた看板も一緒に並べてみる。

 ウンチが大きすぎだ。進撃の巨大ウンチである。こんなものに追って来られたらたまったものではない。人も犬も驚きすぎていて口の形がハートマークになっているのがかわいい。
 この看板を撮影していたらSくんが悲しげな声をもらした。「八幡製鉄所 旧本事務所」について検索したところ、本日休館日であるらしい。こうなると「犬の看板」を探す以外に僕たちができることはない。川沿いで別の種類を見つけた。

 飼い主がどことなくおよび腰なのがおもしろい。まだ飼いたてで犬の散歩に慣れていないのかもしれない。
 ここから輪を描くようにして引き返す。鞍手インターチェンジから高速道路に乗るのが最良と判断した。その道中の中間市でも看板を見つけた。こちらでは「猫の看板」と「犬の看板」を比較してみる。

 しっぽの太さやひげの有無などの細かい違いはあるものの、ほぼ耳の形状だけで猫と犬を描き分けているのがユニークだ。
 隣の鞍手町の看板はすべて【フリ素系】であった。

 鞍手インターチェンジから太宰府インターチェンジまでおよそ30分。そこから10分ほど下道を走り、太宰府天満宮近くのコインパーキングに車を停めた。西日本鉄道の太宰府駅に行き、そこから参道を歩くことに決め、車を降りる。駅に向かう途中で見つけた看板は【プンスカ犬】ではなく、控えめな【DOGモ】だった。

 改めて過去の写真を検証してみた。7年半前の九州旅行の際、太宰府天満宮では三枚だけしか撮影していない。一枚は本殿の前で僕がひとりたたずむ記念写真であり、もう一枚は狛犬のアップであり、最後が【プンスカ犬】だった。順番から判断すると、本殿を詣でたあとの帰り道で撮影しているようで、僕の記憶とも符合していた。
 太宰府駅に到着後、参道を注意深く進む。当然ながらネットで事前調査をしたりはしていない。結構な人がおり、繁盛している店もいくつかある。残念ながら看板は見つからない。参道の距離は僕のイメージよりずっと短く、あせりが生じる。鳥居をくぐった先に御神牛が鎮座している。境内に看板が設置されているだろうかと少し自信を失いかけて視線を落とした時、「犬の看板」に気づいた。

 太宰府天満宮の【オリジナル系】だ。知らん顔をしている犬の様子がいい。だがこれも【プンスカ犬】ではない。
 鳥居の横に設置されていた案内看板をSくんが眺めながら「西門とかもあるんですね」と腕を組んだ。【プンスカ犬】をマネしているのかもしれないが、特に触れなかった。たしかに参拝を終えたあとは来た道とは別の道を選ぶ可能性もありそうだ。そうなると境内や参道だけでなく、周辺も隈なく探索する必要があるだろう。

参道を引き返す。日が傾いてきた

 「ところで狛犬の写真と【プンスカ犬】の撮影時間にどれくらい開きがありますか?」と彼が問うてきた。カメラロールを再確認する。狛犬が昼の12時6分で、【プンスカ犬】が12時20分であった。狛犬の場所から14分後のことだとわかる。
 「狛犬を中心にして14分で歩ける範囲を全部回りましょう」
 Sくんの顔が段々と黒いラブラドール・レトリバーに見えてきた。岡垣町の看板の探偵犬のような頼もしさである。
 とりあえずは狛犬を見つけるため、太鼓橋を渡り、本殿の方に向かう。桜門をくぐると、雰囲気が7年半前と異なっていて慌てた。本殿は124年ぶりの大改修を行っているとのことで仮殿が建設されているらしい。戸惑っている僕たちにその情報を教えてくれた人がいた。礼を告げると、写真係を頼まれた。携帯電話を受け取って構える。フレームの中には家族とおぼしき三人組の笑顔があった。
 その後、狛犬は無事に見つけられたが、看板の気配はない。
 「もう一度【プンスカ犬】を確認していいですか?」とSくんに聞かれたため、再び彼に見せる。「木製の塀のようなものに貼りつけてある感じですね」とひとり首肯する。西門を出て、ここでも丹念に注意を向ける。遠目に白い看板がある。急いで駆け寄った。

 また違う種類である。背面の壁のニュアンスはどことなく似ているため、感覚的には近づいているような気もしつつ、不安が高まる。
 今度はゴミ捨て場の横にあった。

 これも求めていた看板ではなかったものの、【オリジナル系】とおぼしきキュートな絵柄であり、元気が出た。人間の足を犬がツンツンしているのが良い。
 多彩な看板はうれしいが、肝心の【プンスカ犬】が見つからないため、参道に戻ることにした。ホットドッグなどを販売しているスタンドがあった。「犬の看板を探しながらホットドッグを食べるのはどうですかと、滝口さんがたしか提案してくださいましたよね」と、Sくんが興味を示している。シャーロック・ホームズがパイプを吸うように探偵には何かしらのルーティンが必要なのかもしれない。ホットドッグが出来上がるのを待つ間、僕はひとりで参道を歩いた。だいぶ人が減っていて探しやすい。その時、あの【DOGモ】と目が合った。
 小走りで近づき、7年半前の写真と見比べる。間違いない。地面にひざをつき、ピントを合わせて撮影。長く待たされたことを怒っているような表情にすら見える。先ほどこの前を不用意に通りすぎた愚行を心の中で謝罪した。

 「フン」や「迷惑」などの赤文字が消えかかっており、7年半もの年月が過ぎたことを実感する。ひとしきり撮影した後、当時と同じようにやや上の角度の構図でも写してみる。右側の建物が立て替えられたようで新しくなっているものの、左側は変わっていない。

 【プンスカ犬】との邂逅は感動的だったが、予想以上に時間を費やしてしまった。Sくんは夜の飛行機で東京に戻るため、ここからレンタカーを返却して空港に向かわなければならない。余韻に浸っている場合ではない。「最後になにか美味しいものを食べたいですね」と言っていたSくんだったが、博多駅に着いた時点ですでに飛行機の時間が迫っていた。僕はもう一泊する予定だった。「明日はひとりで福岡市内の看板を探します」と約束しつつ、空腹のまま彼を見送った。
 翌日はだいぶ気楽であった。博多駅近くのホテルで朝食を済ませて大浴場に入り、チェックアウト。天神方面に向かって適当に歩く。本日も快晴だ。一枚目は博多区の看板だった。

 長靴でも履いているようなしっかりした犬の足が良い。これ以外では市街地ではなかなか見つからなかったため、公園に行くと二枚目があった。こちらも管轄は博多区役所である。

 得体の知れない容姿である。犬ではない可能性も高い。
 三枚目と四枚目は近くにあった。

 犬の後ろ姿に味がある。飼い主の上着のデザインも気になるところだ。
 無事に福岡市の【オリジナル系】看板も発見でき、満足感があった。昨日の出来事を振り返る。福岡でのミステリーは終わったのだ。そう安堵した時、電信柱に巻きついた白い看板を見つけた。よく見ると福岡市と記載された「犬の看板」だ。
 かなり色あせていて見えづらいが、かろうじて残っているシルエットのニュアンスから以前に埼玉県三郷市で撮影した【フリ素系】だと判断した。僕が同じだと思ったその看板と一緒に並べてみる。

 このレポートを書くに際し、もう一度この二枚を検証した。犬が持っている警句の看板の形状や足の位置などから、どうやら違う種類だとわかった。瞬間、血が騒いだ。この消えかかった絵柄の看板が福岡市内のどこかにはまだきれいに残っているのではないか。そう思った時、また折りをみて福岡を再訪しなければならないと腕を組む。
 ひとつの旅の終わりは新たな旅のはじまりなのかもしれない。

著者:太田靖久(おおた・やすひさ)
小説家。2010年「ののの」で第42回新潮新人賞受賞。電子書籍『サマートリップ 他二編』(集英社)、著書『ののの』(書肆汽水域)、『犬たちの状態』(金川晋吾との共著/フィルムアート社)、『ふたりのアフタースクール』(友田とんとの共著/双子のライオン堂出版部)など。そのほか、文芸ZINE『ODD ZINE』の編集、様々な書店でのイベントや企画展示、「ブックマート川太郎」の屋号でオリジナルグッズ等の制作や出店も行っている。無類の犬好き。

初出用語集
【プンスカ犬】
怒っている様子の犬。犬の看板探訪記が始まるきっかけとなったDOGモ。太宰府市にて発見。


◻︎旅のおすすめスポット(編集S)◻︎
【ブックバーひつじが/福岡市・薬院駅】
胸高鳴る探訪の前日、太田さんが共著者の『ふたりのアフタースクール 〜ZINEを作って届けて、楽しく巻き込む〜』読書会がひつじがで開催されました。折しも福岡文フリ終了後ということで、集まったのは創作や表現に対してとても前向きな方たち。初対面でも同志といった感じで、ポツリポツリとこぼれ出る言葉にみんなが頷き、あたたかい時間が流れます。その後、ここでしか手に入らないZINE、ここでしか飲めないお酒を片手に夜遅くまで。みなさんの熱に感化され、わたしもときおり「犬の看板探訪は表現なのだ!」と意気込んでいました。

連載について
犬を愛する小説家・太田靖久さんのライフワークである「犬の看板」探訪を全12回にわたってお届けします。
公開日時は毎月30日18時。第七回は11月30日18時の公開予定です。


*下記は、太田さんが講師をつとめる文章講座の案内です。


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