〈番外編〉東京世田谷犬編|「犬の看板」探訪記|太田靖久
2023年7月6日は僕にとって少し特別だった。世田谷区祖師谷にある本屋「BOOKSHOP TRAVELLER」の2階ギャラリーで犬の看板写真展がはじまる日だったからだ。
この展示は「犬の看板探訪記~関東編~」の連載開始記念であり、僕が発行している文芸ZINE『ODD ZINE』と、連載の版元である小鳥書房との共同企画ということになっていた。小鳥書房の編集Sくんには僕の「犬の看板写真」のコレクションを200枚ほど渡していた。今回の展示の目玉であるその写真をSくんが事前に木製ボードにすべて貼り、ギャラリーの本棚の上に設置するという手はずだった。搬入日は会期初日と同じだった。彼は本屋がオープンする一時間半くらい前に現場に入り、少し遅れて僕も合流した。
展示内容に関しては数日前に入念な打ち合わせをしていた。装飾用の小道具などの準備について僕からSくんに伝えており、そのアイデアに彼も乗り気で色々と購入したとのことだったが、その大半を家に忘れてきたということだった。まったく悪びれた様子もないため、少しも彼を責める気にはならなかった。
設営作業はそれほど時間がかからなかったものの、小道具類が足りないせいで少し寂しかった。近くの店で何か買い足そうと僕が提案し、彼とふたりで外に出た。その時に思いついたことがあった。
「犬の看板探訪記」の連載2回目は東京23区編<その1>であり、あと2回を残している。<その1>の時は「東京メトロ24時間券」で9区を回ったが、ひとつ懸念事項があった。今後もその券を使用した場合は、23区の中で唯一東京メトロの駅がない世田谷区を取りこぼすことになる。偶然にも僕たちが今いるのは世田谷区である。この展示の設営後に周辺を散策し、世田谷区の犬の看板を押さえてしまえば良いのではないかと考えた。
少しルール違反みたいな行為だが、元来自分たちで決めた遊びである。ルール違反もなにもないのである。その意見に彼も賛同してくれて、いくつかの装飾品を買って設営を終えたあと、再び祖師谷の町にくり出した。
おそろしく暑い日だった。駅前で冷やしうどんを食し、砧方面を攻めて歩き出したものの、なかなか犬の看板は見つからなかった。汗が止まらず、息苦しい。搬入のためにいつもより早起きだったせいで寝不足気味であり、すぐにばてた。先ほどの自分の安直な提案をあっさり呪いはじめていた。
この炎天下にも関わらず、リアルな犬たちはたくさん元気に散歩していた。東京23区でもっとも犬が多い地域は世田谷区である。トイ・プードル、ミニチュア・シュナウザー、柴犬、シェパード、ボルゾイなど、犬種も豊富だった。
自動販売機で購入したコーラはすぐにぬるくなった。さすがに諦めそうになっていたタイミングで遠目に看板らしきものをようやく見つけた。ふたりで急いで駆け寄った。
猫だった。
とりあえず写真には収めたものの、裏切られた気持ちが強くなった。「あっちにもなにかありますよ」と、落ち込んだ僕を励ますようにしてSくんが指をさした。緑色のフェンスのところに【型抜き系】とおぼしき看板がある。僕たちはもう一度走った。
やっぱり猫だった。
展示に際して世田谷区の犬の看板で花を添えたかったのだが、見つけられたのは猫たちだけだった。僕たちはそこで力尽き、今回の番外編を敗北のまま終えることにした。
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