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第8話 京都府京都市編 |あつかんオン・ザ・ロード|DJ Yudetaro

京都を歩いていると、時々目の前の光景が、過去と未来の時間の中で同時に揺らいでいるような奇妙な感覚に陥ることがあるが、そんな時は進行形の問いがそこに関わっている。

大竹伸朗「京都の法則」『ネオンと絵具箱』(筑摩書房)所収

京都とは、何かを忘れさせてくれる場所でもあり、何かを思い出させてくれる場所でもあると思う。
古いしきたり、慣習が残る一方で、自由で個性的に伝統をアップデートする側面があるのも魅力である。
と書くと、どの都市もそうじゃないかと思うけれど、その二面性が他の街よりも生活に近いレベルで無邪気に存在しているのが特徴ではないか。
京都で大学時代を過ごした私の叔父は「京都とは混沌(カオス)と狂気に包まれた街である」といった。
人混みを避けるように裏路地に入り込めば、一筋縄ではいかない商店街、レコード屋、銭湯、ラーメン屋にやり込められ、だがその「狂い」を楽しむのが部外者にとっての京都体験の醍醐味だったりする。

お酒の神様 松尾大社

さて、そんな京都で熱燗を飲むことにした。2泊3日の滞在であるが、京都は店の数が多く、なかなかターゲットを定めるのが難しい。グルメガイド情報も溢れているが、それをなぞることは、したくない。
そこで、京都在住の日本酒愛好家たちに「京都で熱燗が美味しいお店」を聞いて回ったところ、なかなか有益な情報が集まった。
観光客・評論家目線ではない、地元民イチオシのスポットである。

今回の旅では4軒ほど訪問することができたが、そのなかから特に素晴らしかった2軒をここに書き記しておこうと思う。

カオティックなアートと熱燗のディープな融合体験

「お化け屋敷みたいな居酒屋」と聞いて訪れたのが、京阪電鉄、叡山電鉄の出町柳駅からすぐの場所にある「村屋」だ。
ビジュアルは個性的だが、熱燗も料理も安くて美味しいのだという。

暗くひっそりした細い路地裏を進んでいくと、ラスタカラーのネオンが煌めくそれらしき一戸建ての建物を発見。
古い一軒家の建物が触手のように絡み合ったパイプやらケーブル、さまざまな装飾に包まれていた。
お化け屋敷というより、モダンアートのインスタレーションのようである。アンダーグラウンドなライブハウスやクラブといっても良さそうだ。

秘密基地みたいなロマンがある

暖簾をくぐると、若い店員さんたちが爽やかに迎えてくださった。中は明るい声が飛び交う賑やかな居酒屋であるが、その圧巻の内装に衝撃を受ける。
天井も床も壁も隅々まで、何かの道具、装置、木像、人形、繊維、パイプ、紙etc...…多彩、多数の素材のオブジェ、アートが折り重なって、カオティックな空間を形成していた。
(なお、トイレは特にすごかったので、ぜひご自身の目で確かめていただきたい。)

サイバーパンク感があるコラージュの洪水

着席しお品書きをみると、日本酒のラインナップの豊富さに目を奪われる。
手元の冊子だけでも関西の地酒を中心に十数種類、さらに黒板には二十種以上の銘柄が記されていた。
秋鹿、花巴、日置桜、竹鶴、玉櫻、天穏……どれも燗にして美味いものばかりで胸が高鳴る。

ビールを飲みつつ、どれからいこうかと迷いながらページをめくっていると、なんと千葉の寺田本家のお酒が10種類以上も載っているのが目に留まった。
実に丸々1ページ割かれている。
お店のマスターが寺田ファンということらしいのだが、関東の居酒屋でも、ましてや千葉の居酒屋でも、これほど揃える所はなかなかないだろう。

むすひまで飲めるなんて……

私も寺田本家が好きなので嬉しくなり、せっかくなので「香取80」を熱燗で頼むことにする。
徳利ではなく可愛らしい薬缶で提供された。
真冬の外気で冷えた身体に熱い液体が沁みていく。まさか京都で寺田の酒を飲むとは思わなかったが、自然栽培米、蔵付き酵母、生酛の濃ゆい酸味、野趣あふれるコクが堪らなく美味い。

薬缶とぐい呑み、武骨さがたまらない

つまみで注文したのは
「ブリのりゅうきゅう」「れんこんナンプラー」「明太にんじんしりしり」「サバの玉ねぎサラダ」
の4品。
色々な地方のエッセンスを取り入れて、味付けが工夫されているのが楽しい。どれも優しく丁寧な手作り感が味わえて美味しかった。量も手ごろで、1人飲みにも嬉しいサイズ感だ。
ナンプラーを使っているがクセが抑えられて品が良い味に整っているれんこんを香取で追いかけるのも、なかなか乙なペアリングだった。

れんこんナンプラー最高

店は中央のキッチンを立ち飲みのカウンターが囲んでおり、その周りにテーブル席が並んでいる。
夜もいい時間になり、お客が次々と入ってきて、すぐに席が埋まった。様々な年齢層と客層で、学生らしきグループも多い。初めて来たと思しき客も、常連らしき客も、思い思いに楽しんでいる。

2杯目の燗は、京都、伊根満開の蔵が造っている「豊漁」というお酒をいただく。
スッキリしていてドライ、キレ味が鋭いが、酸味とコクが不思議に良いバランスで口に残る。大分の郷土料理りゅうきゅうによくあった。

この子たちと目を合わせて熱燗を飲んだ

ぐい呑みを傾けるたび、つい天井や壁や床の装飾に目がいってしまう。一つ一つのオブジェをじっと観察していると、それぞれの世界に吸い込まれていく。
逆さにぶら下がっている掛け時計。
動いてはいるようだが針があっているのかも分からず、見ていると、酔いと共に時空という概念が消えていくようだった。

だが、こんなにゴチャゴチャしているのに不思議と落ち着く雰囲気という、どこかで味わった感覚だぞと思い出してみると、それは東京国立近代美術館で2022年に見た大竹伸朗の展示だった。
なるほど、確かにこの空間と共通点がある。なんとなく大竹伸朗の作品の中に入って日本酒を飲んでいる感じがしてきた。
様々な既存のモノをコラージュし堆積させる彼の作品は、カオスであるが突き放した感じはなく、温かみがあると思っている。アーティストの眼差しが優しいのだ。

もしバンクシーが来ても何もできる余地がないだろう

締めの燗酒として、迷いに迷ったあげく「天穏 純米吟醸」を注文した。肝臓が強ければもっと、いや全種類でも頼みたいほどだ。
天穏がいい酒であることは知っていた。事実、いい。柔らかい甘み、ふくよかな旨み、もう最高である。

全部頼みたくなる燗酒ファン垂涎のスタッツ

19時から注文受付、という声とともに多くの人が頼んでいた「出汁巻き卵」。つられて思わず注文すると、ゴッホのひまわりのように鮮やかで濃厚な黄色のブツが出てきた。しかしそこは京都、こってりし過ぎず、甘味と旨みのバランスが程よい。

大人気だった出汁巻き

隣のテーブルに相席していたスーツ姿のダンディな紳士と、学生らしい2人組が自然に会話を交わしはじめていた。私も黒板の前で店員さんと日本酒談義に花を咲かせる。店内に居るもの同士が自然に打ち解ける空気があった。
スピーカーから鳴り響く「ほどよく緩めでほどよく熱い」ガレージロックが人々の交歓と混ざり合い、心地よく耳をくすぐる。
薬缶から最後の一滴まで注いで飲み干し、店を後にした。

This is アンダーグラウンド感

村屋は見かけだけではクセが強くディープでマニアックな空間かもしれない。
だが、入ってみれば誰でもウェルカムでフレンドリーな雰囲気だった。
なんとなく京都の居酒屋というと、格調が高く緊張感があり、一見の客が入るのに少し勇気が必要な、そんなイメージがないだろうか。
ここでは学生から年配の常連客まで、誰が上で誰が下とか一切なく、全員がそれぞれ自由に楽しんで、店と一体になっている。
なにより、豊富な種類の熱燗を目一杯楽しむのに、純粋に素晴らしい店だ。
もし京都に住んでいたら足しげく通ってしまうだろうと思った。

古代、現代、未来を繋ぐアウターゾーン熱燗体験

さて、もう1軒は、四条高倉にある「木になる酒店 tane」だ。
「熟成ものや燗向けの日本酒が揃ってる酒屋さん」という情報を聞き、京都滞在の最終日、新幹線に乗る前に四合瓶の1つでもお土産に買って帰るつもりで軽く寄ってみたのだが、思いがけない体験が待ち受けていた。

ビルの3階にひっそりと佇む、およそ酒屋さんらしくない立地にあり、おそるおそる扉を開けてみると、立派な立ち飲みカウンターがあって、もはや日本酒バーといってもいい空間だったのである。

このビルの3階が入り口だ

といっても酒屋なので、あくまでも「有料試飲」を楽しむスペースということだった。
しかし、落ち着いた照明に見事な木のカウンターを見てしまうとワクワクし、腰を据えて試飲をしてみようという気になる。

ちなみに、その奥の扉に商品の日本酒が並ぶ倉庫があるのだが、「王禄」「天穏」「花巴」「川口納豆」など、店主がセレクトした全国の銘酒が冷蔵室にも外にもギッシリ並んでおり、日本酒ファンには最高のパラダイスだった。

パラダイ酒とはこのこと。天国だ。

試飲は最初の3杯を900円でいただくことができる。
燗でおすすめの酒(この日はどれもそうだった)は店主の井上さんがちゃんとちろり+湯煎で燗をつけて提供してくれるのも嬉しい。

一杯目は、「磐城壽 アカガネ」の燗をいただいた。磐城壽は水色の純米を飲んだことがあるが、この赤茶色のラベルは初めてだ。
何とも愛らしく手に馴染む木製の平杯を傾けると、滋味深い旨みが舌と喉に伝わっていった。

カウンターの木目も素敵

気さくで優しい井上さんはとにかくお酒の知識が豊富で、色々なお話を聞かせてくれるが、その一言一言が実に含蓄に富んでいる。
大型酒販店に勤めていた井上さんは1年前に独立してこの場所を開業したそうで、前職で培われた数々の酒蔵との深い付き合いからとっておきの情報を知っているし、とっておきのお酒を仕入れられているのだ。
試飲なのでつまみはないが、井上さんとの会話が充分酒のアテになった。

左上の入れ物のどんぐりで飲んだ数を計測

2杯目は岡山の酒「大正の鶴 百三十周年記念 限定熟成原酒」で、これもなかなかシブくて良い熱燗だ。
いや、これはもう試飲のレベル超えてるし……そこら辺の立ち飲み屋よりぜんぜん凄いぞ!と満足に浸った。

……しかし、これで終わりではなかったのである。この後、さらにぶっ飛んだレベルの熱燗体験が私を待ち受けていた。

「先ほど少しお待たせしてしまったので」と井上さんがサービスに一杯のお猪口を出してくれる。
何やら謎の液体が入っていて、お酒ではなさそうである。ひと口含んでみると、やや塩味があり香ばしい出汁のようで、なかなかいけた。
「実はそれ、醤油を20倍に薄めたものなんです」
「ええっ!? 醤油!?」思わず吹き出しそうになる。
たしかに言われてみれば醤油だが、にわかに信じられない。こんなに福よかな味のものがあるだろうか。

まさかの醤油お湯割り

この素晴らしい醤油は「ミツル醤油 生成り」という福岡の醸造所のものだった。
そのこだわりの製法もお聞きし、私は感心しながらスープのように啜り、熱燗のお供にしている。醤油を飲むこと自体が初めての体験で、我ながらずいぶんシュールなことをしている感覚にとらわれた。

3杯目は「自然淘汰」という、謎めいたお酒を試す。
水酛のつんとする香りが鼻を襲い、そしてヨーグルトやチーズのような、しかし似て非なる、かなり個性的な酸が口に広がった。
うわあああああ、と思う。が、次の瞬間、美味しい。
左脳が固定観念を駆使してストップをかけそうになるのを、好奇心とエンドルフィンに煽られた右脳が打破していく。衝撃のニューテイストであった。
「実は花巴の蔵が作っているんです」
奈良の花巴は私も愛飲しているが、こんなチャレンジをしていたとは。
自然の力に任せて醸したこれは、中世の製法だという。
未来感あふれる太古の酒。私の脳と味蕾の、使っていない細胞の花が開いた気がした。

ラベルに描かれた酒蔵に小さく花巴の看板がみえる

まだ少し時間があったので、お代わりで追加料金を払い、もう1杯試飲。
「これぜひ飲んでみてください!」と出されたのは「開春 木桶仕込み木桶貯蔵酒」だった。
樽酒のような木の香りがするが、樽酒とは異なる未知の味わい。桶に1年貯蔵されていたという。濃厚で複雑な深みが押し寄せる。これもすごい。
「江戸時代後期の再現ですね」と井上さんが言う。
さっきのは中世で、こんどは近世、だが私の精神はここで混乱から解き放たれ、一枚の絵の完結をみた。

視点は京都から酒蔵にワープし、木桶のなかに潜り込む。そのなかの乳酸や酵母のひとつひとつが蛍光色で映る。醪という宇宙空間をミクロの菌が光速で飛び交う、近未来サイバーパンク的な曼荼羅が私の脳内で描かれていた。
そこへ、1716年に京都・錦小路の青物問屋の倅として生まれ筆をふるった伊東若冲の鳳凰が掛け軸から飛び出し、大きな羽を広げ覆いかぶさる。
若冲の宇宙が令和の奈良と島根の蔵の木桶と日本酒の発酵体系と重なり、一体化する……。その絵は、古代と同時に未来だった。

桶って樽とまた違うんだと実感

帰りの新幹線の時間が迫ってきた。結局私は自然淘汰をお土産に買って帰ることにする。
酒屋さんに寄っただけのはずが、とんでもなく濃密でスリリングな時間を過ごしてしまい、興奮はなかなか冷めやらなかった。

自然を生かした古の酒造りに取り組む酒蔵のこだわり、それを推して広めようとする井上さんの更なるこだわり。
出てくる酒を飲むたびに、井上さんの口から語られる話を聞くたび、童心にかえったように胸が躍ってワクワクしている自分がいた。
とにかく楽しかった。

日本酒好きの方は京都に来たらぜひ「木になる酒店」のカウンターで試飲を体験してほしいと思う。
少し入るのに勇気がいるかもしれないが、四条烏丸の駅からも近く、交通の便は良い。
もしハマったら、その時は私と語り合いましょう。

今回取材したお店:
村屋
〒606-8204
京都府京都市左京区田中下柳町7番地
営業時間: 19:00〜
定休日:月火

木になる酒店 tane

〒600-8082
京都市下京区高材木町228京阪ビル3階
TEL:075-600-2033
営業:12:00~19:30
有料試飲:15:30頃~19:30
定休日:月


著者:DJ Yudetaro
神奈川県生まれ。DJ、プロデューサー、文筆家。写真家の鳥野みるめ、デザイナー大久保有彩と共同で熱燗専門のZINE「あつかんファン」、マニアックなお酒とレコードを紹介するZINE「日本酒と電子音楽」を刊行中。年二回、三浦海岸の海の家「ミナトヤ」にてチルアウト・イベントを主催。Instagram:https://www.instagram.com/udt_aka_yudetaro/
Twitter:https://twitter.com/DJYudetaro/

この連載ついて
日本酒を愛するDJ Yudetaroが全国の熱燗を求めて旅する連載企画「あつかんオン・ザ・ロード」。毎月15日の18時公開予定です。第9回は3月15日18時に公開します。

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