見出し画像

3 「スナック萌」から小鳥書房へと引き継いだもの

前回まではこちら↓

これまで綴ったように、本と本屋と旅は私の人生に欠かせない。それらがつないでくれたいくつもの縁に気づかされたのは、「誰と生きたいのか」という問いだった。国立市谷保のダイヤ街商店街に本屋を構えたのは、私なりのその答えなのだろう。

「本を売る」という特別な仕事

大学卒業後の2010年、私は童話作家を目指して地元の名古屋から上京した。最初に住んだアパートは、西武新宿線の花小金井駅から徒歩20分。部屋探しの途中で見かけた田無タワー(正式には「スカイタワー西東京」)という電波塔のあまりのかっこよさに驚愕し、田無タワーに一番近いロフトつき物件を借りた。

まだ東京に友人すらいないなか、新生活のそわそわした気持ちを持て余して近所を散策していると、とある本屋を見つけた。「宮脇書店田無店」。ガラス戸には「アルバイト募集」の貼り紙。店内に足を踏み入れると、書店員さんが「いらっしゃいませ」と愛想よく声をかけてくれた。東京でのひとり暮らし。自分が存在しているんだかいないんだかわからなくなっていた私は、その「いらっしゃいませ」になんだか照れた。

宮脇書店田無店は、派手さのない、広々として落ちついた本屋だった。「東京郊外の本屋」のイメージをそのまま形にしたような店だ。そして、書棚を見れば選書のよさが一目でわかる。こういう店で仕事をしてみたい。「こちらで働きたいのですが…」と、カウンター越しにおずおず話しかけた。

それまでにアルバイトは40職種ほど経験していたものの、本屋業ははじめてだった。素人だったうえ、半年後には引っ越しにともない退職することになるため、私が担当できたのはレジ業務だけだった。しかし、レジ担当は忙しい。つねにお客さんが並び、その手はそれぞれの心に響いたであろう本をうやうやしく握っている。嬉々としてレジに来るお客さんから本を受け取り、スリップを抜いてカバーをかけて袋に入れてお渡しする。その作業を通して、「本が好きな人ってこんなにいるんだ!」と驚いた。そして、本を作り手から読み手に届けられるこの仕事は、なんて特別なんだろうと思った。

ダイヤ街商店街に本屋をつくりたい!

曲がりなりにも本屋業を経験した私の人生に、本屋はなくてはならないものになった。童話作家を目指す専門学校を中退し、神田にある児童書編集プロダクションに就職してからは、自分の編集した本が並んでいる様子を見たくてますます本屋に通った。小鳥書房の出版社を立ち上げてからも、新刊の企画に煮詰まったとき、本屋にいけばアイデアがわいた。

2015年に仲間たちと立ち上げた、地域に開いたシェアハウス「コトナハウス」の最寄り駅である谷保駅前にも、「KENブックス」というまちの本屋があった。しかし谷保に住みはじめてすぐ、KENブックスは閉店してしまう。自分のまちから本屋がなくなったことにショックを受けたけれど、それ以上に、「足腰が悪い人やオンライン書店を使わない人は、どこで本を買うんだろう…」と不安になった。そして考えた。「本屋がないなら自分がつくろう」と。それに、ひとり出版社を営む私にとって、つくった本を直接お客さんに紹介できる場をもつことは当然であるとも思った。宮脇書店田無店、なタ書、旅先に点在した素敵な本屋…。それらを見てきたからこそ、つくりたい本屋像はすでに胸のうちにあった。

画像3

コトナハウスがあるダイヤ街商店街は、55年ほどの歴史があるアーケード商店街。70年代のレトロな雰囲気を残す、唯一無二の商店街だ。年に一度の総会をコトナハウスで行なった日のこと。

「いつか谷保で本屋をやるのが夢なんです」

と、お酒を飲みながら私は商店主さんたちにはじめてお話しした。すると、老舗カメラ店のご主人が、

「どうせなら、おれはダイヤ街でやってほしいけどな!」

と言ってくれた。何気ないひとことだったのかもしれないけれど、仲間として認めてもらった気がしてひどく感激し、この商店街とともに生涯やっていこうと決めた。しかし、その時点でダイヤ街の空き物件はゼロ。しばらく待ってみても空きが出ない状況で、あきらめかけていた頃、コトナハウスのお向かいの「スナック萌」を客として訪れた。

スナックと本屋の本質は変わらない

画像1

スナックという場所に自分は場違いだと感じていて、数年間、気になっていたけれどあと一歩が出なかった。なのに、なぜかその日はすんなり入れてしまったのだ。ママの美穂子さんは美しく聡明な人だった。「萌のママは“ワガママ”のママなの。ときどき居留守を使っちゃうこともあるんだけど、今日は開けていてよかったわ」と可愛らしく迎えてくれた。そしてお話ししていくなかで、わずか1週間後にスナックを閉店し、建物ごと売りに出す予定だということを聞いた。これは縁だと思った。

「私に買わせてください。萌を引き継ぐつもりで、ここで本屋をやりたいです」

そうお伝えすると、美穂子さんは「もう落合さんにしか売る気ないから!」と、とても喜んでくれた。その場にいたほかのお客さんからも「本屋ができたらかならず来るよ」と声をかけていただき、握手をした。その握手の力強さと美穂子さんの笑顔が、いまも私の原動力になっている。

画像8

美穂子さんは趣味で絵を描いていた。趣味で、とご本人は言うけれど、その油絵は繊細かつ大胆で、無我夢中で描いたことが感じられる魅力があった。スナック萌の2階は、美穂子さんの絵が飾られているギャラリーになっていて、萌を訪れた日、私はしばし見入ってしまった。そんな私に美穂子さんはこう声をかけてくれた。「もしここを継いでくれるなら、どれかプレゼントしますよ。どの絵が好き?」と。そうして譲り受けた絵は、いま、小鳥書房の入り口に大切に飾ってある。

画像3

もうひとつ、美穂子さんには夢があった。それは自分の本を出版すること。美穂子さんがおはなしを考え、絵を描いた児童書を。「じゃあ、小鳥書房で一緒につくりませんか?」と提案し、作者と編集者という本づくりのパートナーになることもできた。『まあくんは雨がすき』。それが美穂子さんのはじめての著書となった(小鳥書房の本屋に並んでいるので、見にきてほしい!)。

開店に向けた工事をするにあたって、スナック萌だった頃の記憶を消さず、なるべく雰囲気を残せるように気をつけた。特徴的なアーチを描く扉も、ステンドグラス調の照明も、木製の重厚な椅子も、萌のときのままだ。

画像4

画像5

画像6

2019年1月26日。ついに小鳥書房の本屋は開店した。この日は私の誕生日でもある。これから先、齢を重ねるとき、ずっと小鳥書房が隣にあってほしいと願って開店をこの日にした。この本屋は私の店ではあるけれど、美穂子さんや、地域の人の思いを乗せている店だと思っている。だからこそ、このダイヤ街商店街で50年続く店にしたい。萌から小鳥書房へと引き継いだことには意味があったと思う。スナックも本屋も、羽を休め、語りあい、ゆるく人をつないでいく場であることは同じなのだから。

画像7

(おわり)


◆落合加依子(おちあいかよこ)

1988年、愛知県名古屋市に生まれ、名古屋ではちょっと有名な商店街のある「覚王山」というまちで育つ。椙山女学園大学卒業。童話作家を志して2010年に上京し、専門学校に通うも中退。児童書編集プロダクションを経て、セブン&アイ出版で書籍編集者として勤務しながら、地域に開いたシェアハウス「コトナハウス」を国立市谷保のダイヤ街商店街に仲間と立ち上げる。現在は出版社兼本屋「小鳥書房」を小さく営みつつ、ダイヤ街で、地域とともにある暮らしと仕事を大満喫している。旅と本屋と本屋好きの人が好き。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?