見出し画像

「物語を語りあう本屋」と生きる4年目

今年に入ってから谷崎潤一郎『文章読本』を読んだ。「言葉と云うものは案外不自由なものでもあります」「言葉や文字で表現出来ることと出来ないこととの限界を知り、その限界内に止まることが第一」と言う。ほんとうにそう。口で話しても文章で書いても雄弁とは程遠いわたしは、仲間やお客さんに伝えようとしても、声に出そうとしてはつっかえて飲み込み、そのうち飲み込んだことすら忘れたことにしてあきらめてしまう。言葉が感情に追いついてくれない。だからせめて、わたしが見ている光景をなるべくそのまま綴ってみようと思う。

 *

日曜、月曜、火曜と休みをもらい、水曜13時に小鳥書房・書肆 海と夕焼の本屋に着く。鍵を開け、電気をつけ、看板を出し、掃きそうじをして本棚のホコリをとってからスピーカーで音楽を流す。2019年1月26日にこの本屋をはじめてから、もう数えきれないほどくりかえして、すっかり体にしみついた動作。カウンターのなかの低い椅子に座り、店内を見まわす。ひとりではじめた本屋だからあたりまえなのだけど、お客さんが来てくれるまではひとりきりだ。そのうち、ぽつり、ぽつり、お客さんがやってくる。棚を楽しそうに眺めて本を手にしてくれることもあれば、お喋りして帰ってゆくこともある。おとなも子どもも。本を買う予定がない日にも、「あの本屋に立ち寄って店主と話しにでも行こうか」と思ってもらえることがうれしい。谷保のダイヤ街商店街にひっそり佇むこの店が、訪れる人の日常に少しでも存在していることがたまらなくうれしい。

画像6

 *

14時を過ぎたころ、ずずずずず、とスーツケースを引きずる大げさな音が遠くから聞こえる。まもなく扉が開き、2階で「まちライブラリー@くにたちダイヤ街」を開く林 大樹(はやしひろき)さんがスーツ姿でやってくる。

「どうも、こんにちはー」

画像1

ぱあ、っと春の陽射しが降り注いだ気がして目を細める。ほんわかと音が聞こえてきそうなその笑顔を見るたび、ようやく今日がはじまったなあと感じる。林さんは一橋大学の名誉教授で、「本を通して人と人が出会う場所をつくりたい」という思いをもって小鳥書房を訪れたことがきっかけで、2020年9月12日、2階にまちライブラリーを開室した。私設図書館であるまちライブラリーは、基本的には自費で営まれる。しかも図書館だから利益が出るわけでもない。だからこそこの図書館には林さんの理想と優しさがぎゅっと詰まっている。

日を重ねるごとに、たまたま訪れた大学生がこの場所を好きになって次々にスタッフになり、林さんと大学生たちの、「大学の教授と学生」という関係ではない人と人としてのかかわりが生まれた。子どもと大学生による対話の場である「こども言論空間」という企画も生まれた。本を借りにくる利用者さんは70人を超え、お喋りしたり静かに本を読んだりして思い思いに過ごしてゆく。本を寄付してくれる利用者さんもいて、本棚も人もたえず変化しつづける。

画像5

1階には本屋、2階にはまちライブラリー。ふたつのふしぎな異空間をつなぐせまい灰色の階段に、なぜか人びとは吸い込まれてゆく。軽やかな足どりで行き来する。その異空間の守り人にでもなった気持ちで、わたしはいつも林さんとお客さんの訪れを心待ちにしている。

 *

「かよさん、おつかれさまです!」

日によってはインターン生さんたちが来てくれる。1日インターン、1週間インターン、1か月インターンなどから選ぶことができ、年間40〜60人ほどが全国各地からやってくる。4年くらいつづけているから、これまでに150人くらいが来てくれたはず。進路に悩む大学生だけでなく、生き方に迷うおとなも。お客さんとして本屋を訪れてそのままインターンをすることになったり、インターンをしていたら気づけば小鳥書房のスタッフになっていたりする人もいる。

画像3

編集者になりたい、本屋になりたい、生き方の軸を見つけたい。まだ形も名前もない思いをかばんに入れてやってくるインターン生さんたちと、わたしはゆったりしたテンポでかかわってゆく。お互いの話をして、弱音をはいて、未来を語る。ここではだれもが主役で、同時に脇役でもある。来たときよりも少しだけすっきりしたようすで帰ってゆく背中を、さみしくもあたたかいものを抱えて見送る。それぞれの前にのびる道をずんずん進んでいって、ふと小鳥書房を思い出す日がきたら、いつでも帰ってきてね。

 *

「おはようございます。開店作業ありがとうございます」

土曜に出勤すると、すでに本屋の鍵は開いていて、「書肆 海と夕焼」の柳沼雄太(やぎぬまゆうた)さんが薄暗い店内で電気をつけずに掃きそうじをしてくれている。いつもの光景、いつもの挨拶、いつもの温度感にほっとする。ほわっと力がぬけてゆく。

「あ、おはようございます」

2021年4月29日から、本屋の1階を半分ずつ使いあうようになって9か月。近くもなく遠くもない、空気の震えない一定の距離を保って隣に立っている。平日は会社員をして、土曜にだけ本屋にいるにもかかわらず、読書会に製本教室にイベントにと、無自覚に全速力で走ってゆく柳沼さん。その足元にある小石を先まわりして拾うことが、せめてわたしにできることだと思っている。

画像4

この本屋を50年つづけるのが夢なんです、と、いつものように話したある夜。柳沼さんが「50年経って、もし『この本屋を継がせてください』と頭を下げてくれる若者が現れたら、『書肆 海と夕焼』『小鳥書房』という店名をそのまま使ってもらってつづいていくといいなって、最近思います」と言っていた。それを聞いた日から、わたしの夢は「本屋を50年つづける」ことではなく、「50年よりずっと先までつづく本屋に育てる」ことになった。

画像5

とくに意味のないこんなやりとりを、土曜はいつまでもくりかえしてゆくのだろう。車窓のむこうに広がる海と夕焼。晩夏の夜空に浮かぶまるい月。それらをあたりまえに「いいね」というように、あたりまえにいい時間だけが流れてゆく。

 *

年をとるとはそういうことで、生きるとはそういうことで、幸せとはたぶんそういうことだ。それぞれのなかで息づく物語を語り、聞き、そして新たな物語が生まれる。それがこの本屋の現在なのだと思う。わたしの隣に腰をおろし、物語を楽しそうに語ってくれる人たちとおなじものを見ていたい。おなじ歩幅で進んでいたい。でも、この本屋に集う人たちは、いつかこの物語を書き終えて、また次の物語を書きはじめるかもしれない。川だって海にむかって流れつづける。雨に水かさを増し、岩に飛沫をあげながらもその流れは止まってくれない。過ぎし日から未来へと、蛇行しながら問いと答えを見つけてゆく。

明日、小鳥書房の本屋は3歳の誕生日を迎える。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?