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聖徳太子にあやかり「三寅参り」を ことの葉綴り九八四

寅の日

おはようございます。旅の疲れが出たようで、今朝は遅めに「ことの葉綴り」に向かいます。
昨夜の皆既月食、美しかったですね~。なんと442年ぶりの、惑星食も重なったのですね。
今朝、noteを開いたら「140週連続投稿」のお知らせがありました。これまで続けてこられたのは、皆さんのおかげです。いつも、ありがとうございます。
さて、十一月九日(水)は寅の日です。寅の日は、「千里を往き千里を還る」虎にちなみ、出したお金多戻るという金運招来日です。
そして、もう一つ……聖徳太子さまのいわれもあるのです。今回はそちらをご紹介!

信貴山の三寅参り

前回の寅の日。写真だけはアップしたのですが、寅参りで有名な奈良県の「信貴山」に「三寅参り」に出かけておりました(^^)。それを詳しく!
寅年、寅の月(二月)の予定でしたが今年は延期になったのです。そして寅の日、寅の刻(深夜)と合わせて「三寅参り」です。
信貴山の頂上には、「空鉢堂」というお堂があり、その周りは、いろいろな龍神さまがお祀りされているのです。こちらは「一つ願い」をすると叶えてくださるというところ。
そこからの眺めも素晴らしかったです。

山頂へ向かう参道
山頂の空鉢堂


空鉢堂の周りには龍神さまが!


空鉢堂をぐるりと龍神さまが
信貴山 山頂からの景色

聖徳太子さまの「三寅」必勝祈願

なぜ、信貴山が寅の山というか?というと…
今から約1500年前、五八二年、聖徳太子さまが、戦勝祈願でおがまれたところ、毘沙門天さんが現れて勝利に導かれたのです。
それが、寅の年、寅の日、寅の刻だったといわれています。
聖徳太子さまは、「信じるに貴い山」と信貴山と名付けられて、毘沙門天さまの像を彫刻されてお祀りされました。
信貴山は、「寅の山」として、寅が三つ重なると「三寅の福」と、聖徳太子さまにあやかり、願い事が叶うといわれているのです。

それから、時が過ぎて延喜二年(902年)のことです。第六十代、醍醐だいご天皇さまが、病気になられたおり、信貴山の毘沙門天さまに、命蓮上人みょうれんしょうにんが、病気平癒を祈願したところ、ご加護により、たちまち全快されたことで、喜ばれ、天皇や朝廷安穏、国土を守り、子孫長久の祈願所として、910年「朝護孫子寺ちょうごそんしじ」の名を賜ったのです。

さらに第七十五代崇徳すとく天皇さまの御世(1123~1142年)の御世に、新義真言宗の開祖、覚鑁上人かくばんしょうにんが、信貴山に参籠されたとき、毘沙門天さまより、「如意宝珠」の「珠」を授けられて、「朝護孫子寺ちょうごそんしじ」に、おさめられ、今も尚「融通さん」と信仰を集めています。

福徳随一の毘沙門天さん

毘沙門天さんは、この世に存在するもろもろの悪魔を退散させて、人々のあらゆる願いを叶えようとされて、護ってくださっています。
七福神の中でも「福徳随一」といわれ、家内安全、商売繁盛、開運長久、新願成就などを願う聖地として知られています。
現在は、毎月1日、三日、寅の日が、ご縁日です。

朝日を浴びる寅

二十四年前、お友達のお母様やお友達と一緒に「三寅参り」をして、それからお仕事が変わり、ライフスタイルが大きく代わり、今も続いている。
人生の転機を迎えた今年、「お礼参り」をしたいと思ったのです。
全国から多くの方がお参りにいらしてました。会社経営の方も多かったですが、女性の一人でのお参りも多くて!! それも嬉しかったです。


寅の刻近く、「朝護孫子寺ちょうごそんしじ」の本堂から眺めた夜景。

日の出の朝焼けの美しさ

そして、新たな日の朝日が昇って……


一日だけでしたが、二十四年ぶりの信貴山の「三寅参り」、人生を振り返りつつ、感謝と共に、一晩を過ごしてきました。そして、これからも”しっかり”生きようと(^^)

あっつい、長くなりました。
「寅の日」、皆さん、御近くの毘沙門天さんへのお参りもいかがでしょう?
寅の日は、「金運招来」でもありますしね💛

―次回へ

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