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【紅白】80年代各年の出場「次点候補」アイドルを考察してみる

80年代アイドルのうち、
誰が一番「惜しいところで」紅白出場を逃したか。
――オリコン年間シングルランキングから
今回は「各年毎で」それを弾き出してみた。
……という記事内容です。
※お時間のない方は、太字部分のみ御覧いただいても!

こちら先週の「年末紅白」(何ソレ?笑)は、
もう御覧いただけましたか?

つまり。

「もう一つの、80年代アイドル紅白歌合戦」
(だから何ソレ??笑)

いや~、我ながらよく書いたと思う。
(オタク記事は、「自画自賛」だけが命です。)
……思うんだけど。

但し。
ここには一つ、欠けている視点があった。

前回の記事では、「80年代通して」誰が最も紅白初出場に近かったのかはわかったけど。

でも、80年代中でも各年で「激戦度合い」が、相当違ったはずでは?
そこは検証しないの?
つまり、

その年に出場していないアイドルのうち
それぞれの年では、誰が、
紅白出場にリーチをかけていたの?

――と、いうわけで。
ハイッ!早速、調べてみました!
(オタクは、オタクに関する仕事だけは早い!)

まずはじめに、参考情報として。
・オリコン年間シングルランキング順位
・デビュー2年目以降限定
で、
・紅白に、現在2022年まで「一度も出場していない(ソロ以前にグループで出場している歌手は除外)アイドル」に限定した、80年代各年の年間シングルランキング最上位
を、以下に一覧にしてみました。

80年 90位
81年 56位
82年 66位
83年 (100位内に該当なし)
※つまり83年は、グループ活動時代、または、83年以外の年の出場も含めれば、100位以内に入ったアイドル歌手の方々は全員、紅白出場経験者になった、ということ。
84年 38位
85年 11位
86年 10位
87年 14位
88年 11位
89年 41位

こうみると、特に1985年から88年にあたりにかけては顕著に、
「年間ランキング上位に入っていても、紅白には必ずしも(後年も含めて)出場できない(しない)」
=「出場枠が狭まり、(数年後の『お待たせ初出場』までもを含めて)出場すること自体が厳しい」
と、なってきたことがわかります。
(という、まあ、これは相当「大雑把な見解」ですけどね。――だって、アイドルといえども「落選」ではなく、「出場辞退」ってこともまたあるわけだから。)

あるいは、
「アイドル歌手の曲が、より多く年間ヒットチャート上位までを占めるようになってきたので、その全ては紅白に出場させられないようになってきた」
とも読めるかと思います。

つまり、ヒット曲に占める「アイドルPOPS」の割合の、その高まりに乗じて、「紅白歌合戦におけるアイドル歌手の出場枠」を拡大すればいいものを!
NHKったら!
拡大するどころか、何故か、80年代後半には、な、なんと!縮小までしていったものだから!!

――だから紅白の視聴率も、84年を境に、下降し始めていったんじゃないんですかねッ!NHKさんッ?

(という、あくまで「アイドルオタク」の視点と見解。笑)
(いや、でも、割と正論だと思うけど!――やはり「大衆に選ばれし」人気アイドルの出場者数の拡大こそが、80年代後半から下降の一途を辿っていった紅白視聴率、その回復の「最善策」だったと、私は思うけどな!
だって、80年代中はずーっと、(今よりもそれはもう顕著に、)所謂「ニューミュージック系」「アーティスト枠」の皆さんの多くには、「そっぽを向かれ続けて」どっちにせよあんまり出てもらえなかったわけだから!)


てなわけで、「紅白全体像」の、考察はここまでとして。

では、ここから。

80年代中の「各年における」
アイドルの誰が最も、紅白出場に「リーチをかけていたか」】
(かけていたけど出場には至らなかったか)

の、その検証を、始めてみたいと思います。
(あ、分析部分の文章を読むのがメンドーな方は、前記事同様、「アナザー80年代アイドル紅白」だと思って、ぜひぜひ、楽曲のみ楽しんでいただいてもいいかと!)
(この記事中で紹介した動画の曲はどれも「この年、紅白に出場していても、実際おかしくなかったよね?」と思える曲ばかりです。)
(特に80年代後半に挙げているものは、80年代前半までの「アイドル歌手出場枠:7~9枠」が堅持されてさえいればまず出場できていたはず、と思えるものばかりを集めております。――そういった意味も込めての「アナザー紅白」です!)


《1980年》

第31回紅白歌合戦出場者(歌唱順) 

※( )内は出場回数

  • (3)榊原 郁恵 ROBOT

  • (初)松田 聖子 青い珊瑚礁

  • (2)石野 真子 ハートで勝負

  • (3)高田 みづえ 私はピアノ

  • (初)岩崎 良美 あなた色のマノン

  • (6)岩崎 宏美 摩天楼

  • (5)太田 裕美 南風

  • (7)桜田 淳子 美しい夏


〇 80年シングル年間ランキング
※ここから、各年のこの欄に、「その年の紅白未出場」のアイドル楽曲を、84位まで、上位から順に「全て」上げていきます。

40位
山口百恵「ロックンロール・ウィドウ」

41位
山口百恵「さよならの向こう側」

48位
山口百恵「謝肉祭」

69位
山口百恵「愛染橋」

って、アレ?マジか!
80年は、「シングル年間84位以内で、紅白に出場しなかった歌手」って、百恵さんしかいないの??

但し、百恵さんは、引退(80年10月)の後となる80年末の紅白については、「出場辞退」が御本人側から公式発表として明確に周知されていたので、「出場次点候補者」ここには入れないこととしたい。
※80年、または百恵さんに限らず、81年以後ももこのルールを適用していきます。

と、いうわけで、百恵さんを除くと、1980年は、「年間ランキング84位以内に入ったのに出場できなかったアイドル歌手」は、実はいなかったわけです。

つまり、1980年時点では、年間ヒットチャート上位にも、それほど(少なくとも80年代後半ほどには、)「アイドル歌手」「アイドルPOPS」が姿を現していなかった、とも言える。

ちなみに、デビュー2年目以降の紅白未出場アイドルで、80年シングルチャート最上位の方はというと?。

90位
YUKI(岡崎友紀)「Do You Remember Me」

後年、ribbonやキタキマユ氏等々、多くの歌手にカバーされた名曲。
ちなみに、岡崎友紀氏のシングル年間ランキング最高位記録は
73年の「私は忘れない」(80位)でした。


――そういえば。

80年代の中では唯一、「デビュー年に紅白初出場を達成したアイドル」(岩崎良美氏、松田聖子氏)が存在しているのが、1980年。

ならば、ここはやっぱり。
「該当者なし」だとつまらないので。

1980年のみ、条件を「デビュー年でも紅白出場可能」と設定して、「惜しくも初出場次点となった(のでは?)アイドル」を検証してみようかと思います。


89位👑
河合奈保子
(1980年デビュー)「ヤング・ボーイ」

ちなみにこちらのWikipediaによると。

紅組では(残り二組の枠について)、五輪真弓金沢明子河合奈保子サーカス佐良直美三沢あけみが選考にかけられた。

と、なっています。

(翌81年には初出場となるものの、)80年から出場だったら、河合奈保子氏、連続出場記録「7回」にできたのになあ……。あーあ!
もう!肝心な時にっ!――NHKの役立たずっっ!
(全部、NHKが悪いっ!笑)



さて、いよいよここからは、元々のルールに戻して、一覧にしていきます

◎年間シングルランキング84位内で、その年の紅白に出場していないアイドル

また、この辺りの年からは、「デビュー年の出場は、実績面からか、見送られることが多い」ようなので、
デビュー年(前年の10月21日以降のデビュー)のアイドルの曲は、ランキングから外す、としました。
但し「グループとして先にデビューし翌年以降ソロデビュー」の場合は、デビュー年とは見なさず、外してません。

(これらのルールについての詳細は、冒頭にリンクを貼った、前回の紅白記事をよろしければご参照ください!)


ではでは。

オリコン年間シングル売上ランキングで上位84位までに入っているのに、
その年の紅白には出場していないアイドルは誰?!


《1981年》

第32回紅白歌合戦出場者(歌唱順)

  • (初)河合 奈保子 スマイル・フォー・ミー

  • (初)石川 ひとみ まちぶせ

  • (4)高田 みづえ 涙のジルバ

  • (2)松田 聖子 夏の扉

  • (4)榊原 郁恵 シャイニング・ラブ

  • (8)桜田 淳子 This is a "Boogie"

  • (7)岩崎 宏美 すみれ色の涙


〇 81年シングル年間ランキング

51位
山口百恵「一恵」
*※1980年11月19日発売(前年末発売の、所謂「年またぎシングル」ですね。)

※但し、1980年においての前述の理由と同様に、百恵さんの引退後リリースのこの曲は、ここでは考慮しないこととする。

56位👑
杉田かおる「鳥の詩」

うむ。
杉田さんも、この曲で紅白出場できていたなら、もしかすると、もっと歌の仕事も多くなり、ちょっと「その後の展開」も、諸々違ったかも?!
(なんてことを「想像」するのも楽しい、2023年現在。笑)


81年は、年間84位までの中に、「81年紅白に未出場の(デビュー2年目以降の)アイドル」の曲でランクインされているものは、何とこの曲以外には、1曲もありませんでした。

――81年頃は、そんな感じだったんですよねえ。

この数年後に。
「アイドル紅白」出場における「苛烈なデッドヒート」が繰り広げられるようになるとは!
――この頃にはまだ誰も思いもよらなかったのであった。(笑)



《1982年》

第33回紅白歌合戦出場者(歌唱順)

  • (2)河合 奈保子 夏のヒロイン

  • (5)高田 みづえ ガラスの花

  • (3)松田 聖子 野ばらのエチュード

  • (5)榊原 郁恵 なごり雪

  • (9)桜田 淳子 セーラー服と機関銃

  • (8)岩崎 宏美 聖母(マドンナ)たちのララバイ


〇 82年シングル年間ランキング

45位👑
柏原よしえ「ハロー・グッバイ」*

38万枚、自身最大のヒット曲でもある。
前年の10月発売だから「82年のヒット曲」としては「対象外」になったのか?――いやいや、しかし、演歌や歌謡曲では、そこのあたり選考には関係なさそうだしなあ。
(と、いうわけで、「年またぎヒット」曲なので、年間ランキングの順位は低いのですが。)
「年またぎシングル」は年間順位が低く出る傾向があるので、検証にあたってわかりやすくするため、「10月1日~11月20日までの発売シングル」については、*を付しておきます。
柏原氏、翌83年に初出場となるものの、――うーん、やっぱり、よしえ氏はこの年に初出場が自然だった気がするなあ。

47位
増田けい子「すずめ」
※ちなみに、冒頭でリンクを貼った「前回の紅白記事」で既にとりあげている曲は、ここでは動画での紹介を割愛しております。よろしかったら、そちらの記事からも御覧いただければ!

66位
伊藤つかさ「夕暮れ物語」

67位
柏原よしえ「渚のシンデレラ」

72位
柏原よしえ「恋人たちのキャフェテラス」

77位
柏原よしえ「あの場所から」

※今回、1アイドルにつき複数曲が年間チャートにランクインしている場合には、最上位の1曲のみならず、全曲を上げることにしました。(なかなか大変でした。笑)
それは一つには、「アイドル楽曲がその年のヒットチャートのどれくらいを占めているか」を、各年、わかるようにしたかったのと。
あともう一つは、「1アイドルで年間ランキング上位に多数の曲を送り込んでいればいるほど、その年に活躍している」というのも、一つの客観的な目安になると思われたので、それをわかるようにしたかったからです。

――と、いうわけで。
年間チャートの中でも4曲と、よしえ氏の活躍が目立つ。
こうしてみると、柏原よしえ氏大躍進の82年、という感じもするけどなあ。



《1983年》

第34回紅白歌合戦出場者(歌唱順)

  • (9)岩崎 宏美 家路

  • (初)柏原 芳恵 春なのに

  • (3)河合 奈保子 UNバランス

  • (6)榊原 郁恵 悲しきクラクション

  • (初)早見 優 夏色のナンシー

  • (初)中森 明菜 禁区

  • (6)高田 みづえ そんなヒロシに騙されて

  • (4)松田 聖子 ガラスの林檎



〇 83年シングル年間ランキング

4位👑
薬師丸ひろ子「探偵物語」

84万枚。――これだけの大ヒット曲だから、出場オファー自体は、この年はまだNHKからあったんじゃないかなあ。(少なくともこの83年までについては、ねえ。)
(完全にここは※個人の憶測ですが。笑)


11位
原田知世「時をかける少女」

この2年後の85年に初出場する知世氏だが。
――うーん、やっぱり、この曲で初出場というのが、自然だったような気はするけどなあ。
もしかして、薬師丸氏の出場辞退があって、同事務所であるその「余波」「煽り」を受けて、出場できなかった……なんてこともあり得るのか??
――知世氏が初出場の85年と言えば、薬師丸氏が角川春樹事務所を抜けた年でもあるしなあ。
(と、いうのもまた完全に※個人の憶測です。笑)

54位
小泉今日子「まっ赤な女の子」

「まだこの時点では出場に至っていない82年組」の中では、頭一つ抜け出している感はある、デビュー2年目、83年のキョンキョン。
この翌年から5回連続出場を果たします。

56位
小泉今日子「半分少女」

67位
堀ちえみ「さよならの物語」

年間ランキング自己最高位で、且つ、自己最高売上枚数のシングル。
もし出場するなら、この年に出場するのがベストでしたかね。

80位
藤村美樹「夢、恋、人。」

83位
堀ちえみ「青い夏のエピローグ」

84位
石川秀美「Hey!ミスター・ポリスマン」

先述のちえみ氏と同様、年間ランキング自己最高位で、且つ、自己最高売上枚数のシングル。
秀美氏も、もし出場するなら、この年に出場するのがベストだったかと思われるが。


「花の82年組」デビュー2年目に突入した各人の躍進から、もう徐々に、アイドルにおける紅白出場「混戦模様」は、始まりつつある様子の、83年でありました。
(とはいえ、ここから後年の「アイドル初出場枠争奪戦」のほうが、更にもっと、もーっと、激しさを増すことになるんですけどね!笑)



《1984年》

第35回紅白歌合戦出場者(歌唱順)

  • (2)早見 優 誘惑光線☆クラッ!

  • (初)堀 ちえみ 東京Suger Town

  • (7)高田 みづえ 秋冬

  • (4)河合 奈保子 唇のプライバシー

  • (2)中森 明菜 十戒(1984)

  • (5)松田 聖子 Rock'n Rouge

  • (初)小泉 今日子 渚のはいから人魚

  • (10)岩崎 宏美 20(はたち)の恋


〇 84年シングル年間ランキング

13位👑
薬師丸ひろ子「メイン・テーマ」

歌っている間じゅう、一度たりとも「カメラ目線」を送らないのは、やはり俳優としての「習性」なのだろうか?――当時、そういうアイドル歌手は、新鮮な存在に映ったかもしれない。(そもそも、薬師丸さんは当時はあんまり歌番組をはじめとして、テレビ自体にも出なかったしね。そこが既に「新鮮」だったなあ。それで「差別化を図る」というこれが「戦略」だとしたら、上手だったよな。)


27位
原田知世「愛情物語」

うむ、ここの辺り、まだまだ角川二大女優強し!である。
――やっぱ、知世氏だけでも、この時点で出場させるべきだったのではないかいッ?
NHKさんッ?!?!


37位
MIE「NEVER」

38位
飯島真理「愛・おぼえていますか」

54位
倉沢淳美「プロフィール」

58位
薬師丸ひろ子「Woman”Wの悲劇”より」*

70位
柏原芳恵「最愛」

うむ。紅白に一度出場すると、そのまま連続出場になることが多いものなのだが。
芳恵氏はこの年、落選してしまったのだよなあ。
――やっぱりこういうのって、「事務所の力」ということなのだろうか??
(翌85年には「し・の・び愛」で再出場はするのだが。――でも、85年の出場曲より、84年に「最愛」での出場のほうが、やっぱりしっくりくる気がするけどなあ。)

71位
原田知世「天国にいちばん近い島」*

72位
柏原芳恵「カム・フラージュ」

74位
松本伊代「時に愛は」

伊代氏は、(「デビュー年」を除けば、)この年が一番「紅白初出場」に近かったのではないだろうか?



《1985年》

第36回紅白歌合戦出場者(歌唱順)

  • (初)石川 秀美 愛の呪文

  • (5)河合 奈保子 デビュー

  • (2)小泉 今日子 なんてったってアイドル

  • (2)柏原 芳恵 し・の・び・愛

  • (11)岩崎 宏美 決心

  • (3)中森 明菜 ミ・アモーレ

  • (3)早見 優 PASSION

  • (6)松田 聖子 天使のウィンク

  • (初)原田 知世 早春物語


〇 85年シングル年間ランキング

11位👑
菊池桃子「卒業-GRADUATION-」

12位
薬師丸ひろ子「あなたを・もっと・知りたくて」

85年に入っても、まだまだ堅調な、薬師丸氏。
初めての「映画主題歌ではない」シングルも、無事に大ヒットを収めた。


22位
菊池桃子「BOYのテーマ」

「卒業」は前回の紅白記事で紹介したので、今回はこちらの曲を。



39位
岩崎良美「タッチ」

この曲は、紅白と同じく大晦日放送(当時はまだそうだったんです)の、「日本レコード大賞」の金賞にはノミネートされている。
うーん、それなら、85年にこの曲で「紅白返り咲き」だって、あってもよかった気がするんだけど??
――民放のアニメの主題歌だから落選? でも、83年には杏里さんが「CAT'S EYE」で出場してもいるしなあ。そこらへんはいいんじゃないかい?


40位
菊池桃子「もう逢えないかもしれない」

49位
菊池桃子「雪に書いたLOVE LETTER」*

80位
堀ちえみ「リ・ボ・ン」

そう、この年はちえみ氏、出場していないのである。
出場した84年の年間最高位は96位だったから、84年に出場できるなら、85年も、という気もするのだが??



さあ、――とうとうやって来ました。

《1986年》

第37回紅白歌合戦出場者(歌唱順)

  • (初)荻野目 洋子 ダンシング・ヒーロー

  • (3)小泉 今日子 夜明けのMEW

  • (初)斉藤 由貴 悲しみよこんにちは

  • (4)中森 明菜 DESIRE

  • (6)河合 奈保子 ハーフムーン・セレナーデ

  • (7)松田 聖子 瑠璃(るり)色の地球

  • (12)岩崎 宏美 好きにならずにいられない


〇 86年シングル年間ランキング

10位👑
河合その子「青いスタスィオン」

17位
うしろゆびさされ組「バナナの涙」

23位
おニャン子クラブ「じゃあね」

32位
本田美奈子「1986年のマリリン」

さあ来た、美奈子!
86年におニャン子さえいなければ、もっと存在感を示せた気もするのだが??
そうそう、美奈子氏の「アイドルではなくアーティストと呼んで欲しい」発言もこの頃でしたか。
それだけ「歌うこと」に「本気」だったのだと思えば、今となってはもう、許して差し上げたい気もする。
――アイドルオタク(俺)との記念すべき宥和の瞬間である。
(って、私はいったい何様なんだ?!笑)


33位
菊池桃子「夏色片想い」

一度紅白を辞退されたら、二度とオファーしなくなる(傾向がある)、当時はまさに「天下の」NHK「様」、だったのである。
(――NHKってば、根に持つタイプよねえ。笑)

もう!
美奈子も桃子も紅白に出場させないのなら、さかのぼって86年からの受信料、全額返して頂戴!NHK!!(笑)


35位
うしろゆびさされ組「渚の『・・・・・』」


36位
岡田有希子「くちびるNetwork」

37位
うしろゆびさされ組「象さんのすきゃんてぃ」
うしろゆび、86年の年間ランキングでは、ここまでで既に3曲。……もしかしてもしかすると、もっと「まともな曲」(おふざけでない曲)を歌わせていたなら、うしろゆびの紅白、あり得たんじゃないか?という気もちょっとしてくる。(でも、高井氏もゆうゆもまだ86年末時点では、おニャン子クラブを「卒業」していなかったので、「うしろゆびさされ組」としては、なかったかなあ?? 特に80年代当時の紅白だとなあ。)
ちなみに、おニャン子からの派生ソロまたはユニットの中では、(解散後の工藤静香氏を除けば)「アルバムの」最高売上記録を叩き出したのは、うしろゆびの『ふ・わ・ふ・ら』だったりする。――そう考えると、おニャン子クラブ内のソロやユニットの中では、実は86年当時の実質「一番人気」とも言えたんじゃないかな??


38位
中山美穂「色・ホワイトブレンド」

中山美穂氏も、考えてみると、この2年後となる88年の紅白初出場まで、ずいぶん時間がかかった歌手の一人だよなあ。


39位
菊池桃子「Broken Sunset」

41位
高井麻巳子「シンデレラたちへの伝言」

42位
菊池桃子「Say Yes!」

44位
おニャン子クラブ「おっとCHIKAN!」

……なんちゅうタイトルや!
コミックソングにしても、さすがにそろそろいい加減、もっとまともな曲を歌わしてやってくれ!!

51位
中山美穂「ツイてるね、ノッてるね」

52位
河合その子「落葉のクレッシェンド」

54位
中山美穂「BE-BOP-HIGHSCHOOL」

60位
本田美奈子「Sosotte」

64位
河合その子「再会のラビリンス」

66位
斉藤由貴「青空のかけら」

67位
高井麻巳子「メロディ」

69位
おニャン子クラブ「お先に失礼」


と、いうわけで、86年になると、急激に「アイドルによる楽曲」が、オリコン年間ランキングの上位に増えてくるので、ゴメンナサイ、ここからは(84位以内ではなく、)上位10曲まで掲載とさせてもらえれば!
……って当初しようかと思っていたんだけど、「86年がどれだけのものか」を示すために、やっぱり、「86年紅白未出場アイドルソング」全部挙げてみることにしました。(我ながら狂気。笑)
――いや、ここに「デビュー年(この年でいうなら85年10月21日以降デビュー)のアイドルの曲」まで加えていたら、「大変な曲数」になっておりましたね。(特に86年はねえ。)

まあ、「80年代アイドルPOPS」が、いよいよ盛り上がりを見せてきた86年、という見方もできるのかもしれませんが。
――いや、どちらかというと、強大勢力「おニャン子台風」が次々「ソロデビュー」歌手をヒットチャートに送り込み、アイドルPOPS界の、その「潮流」が乱れ、その「進路」までもを一度見失った、言うなれば「混沌と混迷の86年」、という様相にも見てとれますな。(笑)



《1987年》

第38回紅白歌合戦出場者(歌唱順)

  • (13)岩崎 宏美 夢やぶれて I Dreamed a Dream

  • (5)中森 明菜 難破船

  • (4)小泉 今日子 木枯しに抱かれて

  • (8)松田 聖子 Strawberry Time

  • (2)荻野目 洋子 六本木純情派

――いやいや、ちょっと待て!
87年、アイドル出場枠「5」は、いくらなんでも少なすぎるだろ!!
てか、岩崎宏美氏はもう出場13回目だから、「アイドル」という感じでもない、……と、すると、「4」になるの?!
さすがにあり得なくない?!?!(笑……はあえてここには、もう付けませんよ!!)


〇 87年シングル年間ランキング

14位👑
南野陽子「楽園のDoor」

さあ、いよいよナンノがやってきた!
――87年、アイドル出場枠がもっと用意されていたなら!!
(「アイドルオタク」としては、自分のことのように無念です!!笑)


17位
中山美穂「WAKUWAKUさせて」

うーん、やっぱり、美穂とナンノは、87年紅白初出場でよかったはずだよなあ?とも思うわ。


18位
南野陽子「話しかけたかった」

23位
中山美穂「50/50(フィフティー・フィフティー)」

24位
中山美穂「派手!!!」

26位
本田美奈子「ONEWAY GENERATION」

28位
南野陽子「パンドラの恋人」

33位
南野陽子「秋のIndication」

37位
渡辺満里奈「ホワイトラビットからのメッセージ」
87年における、おニャン子クラブ関連シングルの最高位。


――うむ、こうして見ると、美穂とナンノについては、「昨年86年のおニャン子大ブーム」のその「高波」に流され飲まれることなく、87年時点でそこからは、いち早く脱出できた感があるかな?

38位
中山美穂「CATCH ME」*

39位
斉藤由貴「MAY」

斉藤さんの紅白出場は、86年の一回きりでした。
――ここら辺、やはり86年以降は、厳しい戦いではありますなあ。
でも、87年は出場でも良かった気がするけどなあ……。
前年の「司会者」(それも当時の史上最年少)だし、それに、アルバムは売れていたわけだしなあ。


43位
菊池桃子「アイドルを探せ」

52位
渡辺美奈代「TOO ADULT」

53位
うしろゆびさされ組「技ありっ!」

もう86年後半にはうしろゆびを解散させて、もう少し早めにゆうゆをソロデビューさせてあげればよかったのに……なんてちょっと思ったり。(笑)

55位
高井麻巳子「約束」

59位
工藤静香「禁断のテレパシー」

「うしろ髪ひかれ隊」からだと考えると、同じく87年のデビューになるから、この静香氏のソロも「デビュー年」に入ってしまうんだけど。
――よくよく思い起こすに、静香氏には「セブンティーンクラブ」があったのだった。(おニャン子クラブの前に、3人組グループに所属し歌手活動をしていたのである。1985年レコードデビュー。)
なので、前述の「グループデビューから見て二年目以降ならデビュー年としない」ルールに鑑みて、静香氏のこのソロは、「デビュー2年目以降」として扱うことにしました。

60位
長山洋子「ヴィーナス」*

64位
斉藤由貴「砂の城」

66位
風間三姉妹「Remember」*

68位
早見優「ハートは戻らない」

スマッシュヒットだったと思うが、返り咲き出場は難しかったか……。

69位
ゆうゆ(岩井由紀子)「天使のボディーガード」

72位
渡辺美奈代「PINKのCHAO」

78位
うしろゆびさされ組「かしこ」

79位
菊池桃子「Nile in Blue」

82位
薬師丸ひろ子「紳士同盟」

83位
おニャン子クラブ「NO MORE 恋愛ごっこ」

と、いうわけで。

86年が21曲であるのに対し、87年は26曲に膨れ上がった、「この年の紅白に出場していない(デビュー2年目以降の)アイドル楽曲」一覧である。
――87年、アイドルPOPSがまさに「音楽チャートを席巻している」、というのが、これでもお解りいただけるはず!
……にもかかわらず。
80年代中のここまでのうちで、87年が一番「アイドル出場枠」が少ないって、どういうことなの?!
(はい、35年前のことだろうが、何度でも執拗に言う。笑)

それにしても、やはりここから抜きん出てきた、ナンノと美穂は、87年に初出場させるべきだったと思うけどなあ。
(はい、35年前のことだろうが、何度でも、「繰り返し」言う。笑)


《1988年》

第39回紅白歌合戦出場者(歌唱順)

  • (初)中山 美穂 Witches

  • (9)松田 聖子 Marrakech〜マラケッシュ〜

  • (初)工藤 静香 MUGO・ん・・・色っぽい

  • (6)中森 明菜 I MISSED "THE SHOCK"

  • (5)小泉 今日子 怪盗ルビイ

  • (14)益田(岩崎)宏美 未成年

中山美穂氏が、ようやく初出場。
――いや~、88年も出場を見送られていたら、さすがの私も、人生初のクレーム電話をNHKにするところでした。(やめろ、中学生!笑)

それにしても、岩崎宏美氏を入れなければ、アイドル出場枠は「5」。
――うーん、昨年より戻して1枠増えたとはいえ。
やはりヒットチャートを賑わすアイドル勢の、その占める割合と照らし合わせて考えると、これでも少ないと思うけどなあ……。


〇 88年シングル年間ランキング

11位👑
南野陽子「吐息でネット」

17位
浅香唯「C-Girl」

19位
南野陽子「はいからさんが通る」

88年の紅白については、御自身のエッセイでも触れられていたのかな?
(自分はそれ、未読なので、特にその内容にはここでは言及しないが。)
この曲、「はいからさんが通る」だってあったわけだからなあ。
――この88年の、出場「見送り」は、やっぱり私もどうかと思うなあ。

22位
南野陽子「あなたを愛したい」

30位
南野陽子「秋からも、そばにいて」*
この曲、10月8日発売だったのだが。
リリース時期、もう少しだけ早められたら、年間ランキングの順位ももう少し上だったはずだし、(この曲、売上枚数としては、「あなたを愛したい」よりも上なのだ)そうすると、紅白出場に届いた?かも?!?!
(こういう「たられば話」が好きなんです、80年代アイドルオタクって。笑)


32位
浅香唯「セシル」

もし、88年に浅香氏が出場していたら、CMタイアップ且つ夏の曲の「C-Girl」より、こっちの曲のほうを歌っていた気がする。

44位
浅香唯「Believe Again」

60位
荻野目洋子「ストレンジャーTonight」

おや、荻野目氏も、88年は出場枠から一度外されてしまったのか。(翌89年には返り咲き出場。)
88年、アルバムのほうなら、『POP GROOVER』(87年12月発売)が、年間24位に入っているのだがなあ……。


61位
浅香唯「Melody」*

63位
今井美樹「彼女とTIP ON DUO」

そういや、前記事も含めて、今井美樹氏を入れ忘れていたけど……ま、アイドルとは違うかな?!
シングルではこの位置だが、88年時点で、アルバム『Be With』は年間34位。
――2006年の「お待たせ出場」よりかは、ここらへんか、90年代の絶好調時期に、一回くらい出場してみても良かった気がするけど。

64位
荻野目洋子「スターダスト・ドリーム」

65年
荻野目洋子「DEAR~コバルトの彼方へ~」


うむ、ここらで、80年代における「アイドルPOPSブーム」も、徐々に落ち着きを見せ始めてくる感じになるかもですね。



さて、80年代最後の年、89年。
ここから、紅白のスタート時間が、大幅に早まり、これまで続いてきた21時スタートから、今も続く19時台スタートになります。

当然、全体の出場者枠も数が増えるのですが。

さてはたして、
89年「アイドル紅白」としては、どうなったかというと?

《1989年》

第40回紅白歌合戦出場者(歌唱順)

  • (2)ピンク・レディー ヒット・メドレー

  • (2)工藤 静香 恋一夜

  • (2)中山 美穂 Virgin Eyes

  • (初)Wink 淋しい熱帯魚

  • (3)荻野目 洋子 ユア・マイ・ライフ

おいお~い、ちょっと待て!
ピンク・レディーは懐メロ枠だから、それを除くと。

――アイドル枠は「4」?

減らしたの?!

少なすぎる! 意味がわからん!
もう!80年代最後の年なのに!
なんてことをしてくれたんだ!NHK!!
(80年代アイドルオタク、心を込めて、大激怒です。笑)


〇 89年シングル年間ランキング

14位👑
斉藤由貴「夢の中へ」

何故ここで、由貴氏の「返り咲き出場」がなかったのかが、不可解すぎる。
――もしかして。
87年の由貴氏は、「落選」じゃなくて「辞退」だったのだろうか?
(昔のことを根に持つタイプのNHK紅白……。)
(と、オタク個人の勝手な憶測をまことしやかに披露してはいけない。笑)


28位
中森明菜「LIAR」

41位
南野陽子「涙はどこへいったの?」

事実上、ナンノさんにとっては紅白出場のラストチャンスだったと思われる89年。
この年間順位なら、「お待たせ出場」も全然不自然ではない位置だったと思うけれども、なあ。
せめてこの1989年で紅白出場できていたら――もう少し長く、ナンノの「第一期音楽活動」も続いていたのではないか、なんて、……また個人的「たられば」話を挟んでしまう。(笑)


43位
森高千里「17才」

と、いうわけで、「新勢力アイドル」森高氏が、いよいよ台頭しはじめたのも、89年。
てか、この年初出場でも、全然違和感なかったと思うけどなあ。
この後、ヒットチャート常連になっていくわけだし。
「92年に初出場」とはなるのだが、これもまた、「お待たせ」の印象だなあ。


46位
南野陽子「トラブル・メーカー」

48位
浅香唯「TRUE LOVE」

浅香氏も89年後半には「これからはロックを歌いたい」発言が出てきたりで、そうすると、「89年紅白」なんて、既に眼中になかったかもしれないですね。
「私はお人形じゃない」となるアイドル達の気持ちはわかるのだが。
しかし、誰でもがその、時代の「選ばれしお人形」になれるものでもないわけで。
――とはいえ、本人達がイヤだというものを、無理に続けていく必要もまたないのだろうな、と。

「80年代アイドルの世界」も、昭和の終わり、この1989年辺りで、俯瞰して見れば当時ちゃんと一回「燃え尽きた」感じとなったのは、時代の不思議であるし、やはりアイドルとは「時代が作るもの」であったのだなあ、と、しみじみもしてしまうのでした。

53位
中森明菜「I MISSED ”THE SHOCK"」
*※88年紅白出場曲

55位
薬師丸ひろ子「語りつぐ愛に」

63位
浅香唯「NEVER LAND」

66位
浅香唯「恋のロックンロール・サーカス」


と、いうわけで。

「オリコン年間シングルランキング」から予測した「各年毎の」結果一覧は、以下の通りとなりました!

【80年代紅白出場「次点」アイドル】
※( )内は、年間シングルランキング順位
※80年のみデビュー1年目も対象

80年(89位)河合奈保子「ヤング・ボーイ」※1年繰り上げ初出場
81年(56位)杉田かおる「鳥の詩」
82年(40位)柏原よしえ「ハロー・グッバイ」*※1年繰り上げ初出場
83年(4位)薬師丸ひろ子「探偵物語」
84年(13位)薬師丸ひろ子「メイン・テーマ」
85年(11位)菊池桃子「卒業-GRADUATION-」
86年(10位)河合その子「青いスタスィオン」
87年(14位)南野陽子「楽園のDoor」
88年(11位)南野陽子「吐息でネット」
89年(14位)斉藤由貴「夢の中へ」※3年ぶり返り咲き出場

但し。
以下の方々を外したほうが、「リアリティーがある」と個人的には感じるので、(そういった意味でこれは「個人的主観」が入った予測となりますが、)その「予測一覧」も最後に付け加えさせてください!

・薬師丸ひろ子氏、菊池桃子氏、87年の斉藤由貴氏を(「落選」ではなく)「辞退」であったと仮定して。
(根拠としては「Wikipedia」とその出典の新聞記事等程度の情報しかないのだが。)
(そして、一度辞退すると、当時の「プライド高い?笑」NHK紅白は、二度とオファーしてくれないよね、というところで。)
・80年の山口百恵氏等、その年に公式に「辞退」を表明していた歌手も除くとして。

また、
・民放の番組から生まれたグループである「おニャン子クラブ」の関連楽曲(卒業生も含めて)について、87年8月の解散までのリリースのものは、選考の対象にならなかったと仮定して。

その場合の、

「オリコン年間シングルランキング」から予測した
【 80年代紅白出場「次点」アイドル 】

80年(89位)河合奈保子「ヤング・ボーイ」※1年繰り上げ初出場
81年(56位)杉田かおる「鳥の詩」
82年(40位)柏原よしえ「ハロー・グッバイ」*※1年繰り上げ初出場
83年(11位)原田知世「時をかける少女」※2年繰り上げ初出場
84年(27位)原田知世「愛情物語」※1年繰り上げ初出場
85年(39位)岩崎良美「タッチ」※5年ぶり返り咲き出場
86年(32位)本田美奈子「1986年のマリリン」
87年(14位)南野陽子「楽園のDoor」
88年(11位)南野陽子「吐息でネット」
89年(41位)南野陽子「涙はどこへいったの」

うーん。
こっちの一覧のほうが、やっぱり「リアル」だと(個人的には)思う。



そんなこんなで、二回にわたってお届けしてまいりました、
「紅白に出てもおかしくなかったアイドルを探せ」特集

でした!


オタク全開記事に、ここまでお付き合いいただき、
本当に、本当~に、
ありがとうございました!!

※「アイドル関連記事」は、来週からまた「日曜更新」に戻す予定です!










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