見出し画像

【紅白】80年代中「最も初出場に近かった」アイドルは誰か

「紅白に出場していない80年代アイドル」のうち
誰が一番「出場してもおかしくなかったか」を
オリコン年間シングルランキングから検証していきます。
※お時間ない方は太字の所だけ読んでいっていただいても!

「NHK紅白歌合戦」。
――私がこの40年来、毎年、「一年のうちで」最も、それも「ぶっちぎりで」、好きな番組です。(笑)


70年代までの紅白はあまり記憶にないのだが、きっかり1980年からの紅白は、今でもありありと、記憶に残っていたりもする。

なので、この、今見ると若干「?」な帽子の
聖子氏の80年の初出場時の衣裳も、しっかり憶えている。
もう42年前?……人間の記憶力って、
(自分の場合は「興味があるジャンル」に限られるけど、笑)凄いですね。

うーん、その中でも、やっぱり「血眼になって」「食い入る様に」見ていたのは(笑)、80年代紅白だったかなあ。

当時は小・中学生時代だったから、大晦日のこの「全国民が見ているような超・大型音楽番組が、夜中の12時まで放送され、それを自分も起きて生放送で見ている」というそのこと自体に、ギンギンギラギラお祭り気分ハイテンションになっていた(どういう小学生だよ!)のだとも思いますが。

――でも、何だか楽しかったなあ、子供時代の大晦日。
そして、子供時代の「紅白」。


そんな私の思い出話はさておき。

タイトルである。

「それにしても、何で紅白に、当時この人は出場できなかった(あるいはしなかった)のだろう??」の件。

まず、参考までに。
80年代中に初出場を果たしたアイドルと、80年代デビューで90年以降に初出場を果たしたアイドル一覧
(カッコ内が初出場年。並びは、初出場年順、同年内は登場順、敬称略。)

(80年)松田聖子「青い珊瑚礁」
    岩崎良美「あなた色のマノン」
(81年)河合奈保子「スマイル・フォー・ミー」
    石川ひとみ「まちぶせ」
(83年)柏原芳恵「春なのに」
    早見優「夏色のナンシー」
    中森明菜「禁区」
(84年)堀ちえみ「東京Sugar Town」
    小泉今日子「渚のはいから人魚」
(85年)石川秀美「愛の呪文」
    原田知世「早春物語」
(86年)荻野目洋子「ダンシング・ヒーロー~Eat You Up~」
    斉藤由貴「悲しみよこんにちは」
(88年)中山美穂「Witches」
    工藤静香「MUGO・ん…色っぽい」
(89年)Wink「淋しい熱帯魚」
(90年)宮沢りえ「Game」
(91年)西田ひかる「ときめいて」
    森口博子「ETERNAL WIND~ほほえみは光る風の中~」
(92年)森高千里「私がオバさんになっても」
(93年)長山洋子「蜩~ひぐらし~」※演歌歌手として出場
で、
(2021年) 薬師丸ひろ子「Woman”Wの悲劇”より」

参考資料



いや、アーティスト枠に分類されるような方々の場合なら、80年代当時も、「出場しない」「辞退」と言うのが逆に「ステータス」みたいなところもあったかもしれないのだが。
(これは今でも若干残っている空気ではありますよね。)

たとえば。
アルバム年間ベスト10に2枚以上(つまり「一発屋ではない」)入る実績を残しながらも、「80年代当時には」(そう、割と後々に、結局出場されているという方もまた多いですよね)、紅白出場していない日本人「アーティスト」の名前を上げていくと。
(だいたい年代順)
・松山千春
・YMO
・中島みゆき
・長渕剛(1990年に初出場しているが)
・大瀧詠一
・オフコース
・山下達郎
・松任谷由実
・井上陽水
・レベッカ
・渡辺美里
・BOOWY
・杉山清貴
・久保田利伸
あと、「サザンオールスターズ」としては何度か出場したけれど、ソロや自身の名義のバンドとしては、桑田佳祐氏も、80年代中は出場してない。

また、「デビュー曲だったから」、実績の面で見送られたのかもしれませんが、今の感覚でなら「絶対初出場だろ?」と思うのは、80年「異邦人」の久保田早紀氏、85年「恋におちて」の小林明子氏なんかも。
このお二人は、シングルだけでなく、その「デビューアルバム」も、年間ベスト10に入る好成績を残している。

――うーむ。
「アーティスト枠」のこれで一記事書けてしまいそうだなあ。(笑)


いやいや!
しかし、そこの辺りの記事はやはり「アーティスト枠」の情報通の方におまかせするとして。

私(アイドルオタクな)が書くべきは、やはり「アイドル紅白」でありましょう!


ただ、まあ、タイトルのようなことを「個人の主観」で書くと、絶対「ひいき目」が入ってしまって、不公平でよろしくない気もするので。

ここは一つ、「客観的に」「データに基づいて」「ランキング形式で」(つまりは「いつものやり方」で、笑)書いてみようかと思います。

つまり、一言で申し上げると、これは「アナザー紅白」。

「もう一つの、80年代アイドル紅白歌合戦」

……と、いうわけで。

以下の条件で、ランキングを作ってみました!
(ハイッ、「オタクの狂気」を発動させて、相当がんばりましたッ!!笑)

・(上記の出場歌手一覧には入っていない)アイドル歌手限定
・オリコン1980年~1989年の年間シングルランキング各年で、どこまで上位に入ったか順
(だって「各年毎に」決まった枠を「椅子取りゲーム」するわけだから。)
・各アイドル年間ランキング最上位1曲で勝負
(概して1アイドルで複数曲が複数年の年間チャートにランクインされていることも多いが、それを「各年の最上位」全部拾っていくとさすがに膨大な量になってしまうので。)

で、一応調べたのは、
・オリコン年間チャート84位以上

何故「84位」かというと。

上記の「紅白出場」を達成したアイドルのうち、80年代中に出場した方々のオリコン年間シングルランキングの最高順位記録を高い方から順に並べてみると。

中森明菜 2位(85年「ミ・アモーレ」、86年「DESIRE-情熱」、87年「TANGO NOIR」)
松田聖子 3位(84年「Rock’n Rouge」)
Wink 5位(89年「愛が止まらない~Turn it into love~」)
工藤静香 6位(88年「MUGO・ん…色っぽい」、89年「恋一夜」)
中山美穂 9位(88年「人魚姫-Mermaid-」)
原田知世 11位(83年「時をかける少女」)
小泉今日子 11位(87年「木枯しに抱かれて」)
荻野目洋子 12位(86年「ダンシング・ヒーロー-Eat You Up-」)
斉藤由貴 14位(89年「夢の中へ」)
河合奈保子 25位(83年「エスカレーション」)
柏原芳恵 31位(83年「春なのに」)
石川ひとみ 33位(81年「まちぶせ」)
岩崎良美 39位(85年「タッチ」)
早見優 40位(83年「夏色のナンシー」)
堀ちえみ 67位(83年「さよならの物語」)
石川秀美 84位(83年「Hey!ミスター・ポリスマン」)

紅白「出場年」とも「出場曲」ともまた、必ずしも一致してないですよね。
つまり、「この年のこの曲で紅白に出場すればよかったのでは?」
というところもあったりするものですよね?


と、いうわけで、85年初出場の石川秀美氏の、オリコン年間チャートの歴代最高位が84位だったから。

つまり、デビュー2年目以降の(出場した年でなくても)いずれかの年で、年間順位が84位までに入っていたなら、十分、レコード・CD売上における紅白出場資格はあったとも考えられる――「紅白出場」の可能性もあったと言えるのではないかと!

あとは、
・2022年現在までに一度も紅白に出場していない方限定

※つまり、今回の記事では、例えば「後年出場はしたけど、〇〇年時点でも、既に出場できていたのでは?」というようなパターンについては、ランキング内に反映されておりません!あしからず!!ということです。

と、いうのも、
紅白って、上記の「歴代年間最高順位一覧」を参照いただいてもわかる通り、「一番の好成績を出したその年」には出場せず、数年後、あるいは数年前に「初出場」ってパターンが、割とたくさんあったりするんですよね。(それもまた加えだすと、ランキングがなかなか大変なことになります。笑)

たとえば。
85年に「早春物語」で紅白初出場の原田知世氏。
レコードデビューは82年で、
83年 
3rdシングル「時をかける少女」58.7万枚(83年年間ランキング11位)
84年 
4thシングル「愛情物語」32.1万枚
5thシングル「天国にいちばん近い島」27.6万枚
と、この2年間は何故か出場を見送られて、何故かその後の85年に「初出場」となったし。

もっと「お待たせ」例としては。

2021年に「Woman”Wの悲劇”より」(84年リリース4thシングル 37.3万枚)で、初出場を果たした薬師丸ひろ子氏。

81年11月21日デビュー。
81年 1stシングル
「セーラー服と機関銃」86.5万枚(82年年間ランキング2位)
83年 2ndシングル
「探偵物語/すこしだけやさしく」84.1万枚(83年年間ランキング4位)
84年 3rdシングル
「メイン・テーマ」51.2万枚(84年年間ランキング13位)
その後も80年代中は、「あなたを・もっと・知りたくて」、「ステキな恋の忘れた方」等々のシングル……に、とどまらず、アルバムでも結構な好成績を、数多の作品で残していたにもかかわらず、ついに一度も出場がなかった。

そうそう、何故か82年紅白では、桜田淳子氏が、自身の持ち歌ではないのにもかかわらず、薬師丸氏の「セーラー服と機関銃」を歌ってくださったことも……。

――いや、これ、「さすが淳子だわ!」とは思う。
思うんだけれども。
いや、しかし、でもなんていうか、……。

NHKは、淳子の使い方を、間違えている気もする……。(笑)


とはいえ、「時間差」があっても、「その曲を持ち歌としている御本人」が、「初出場」さえどこかの時点でしてくれたなら、「アイドル」「紅白」両方の熱狂的ファン(俺)としてはうれしいので、もうそれだけで十分なのである。
(これはいつもの※個人の感覚です。笑)

しかし、「これまでに一度も出場の機会がない」なんていうのは、残念至極。
――何なら、薬師丸さんの例のように、歌手デビュー〇十周年記念とかで「今からでも」出場してくれないかなあ?などと思ってしまうわけなのであるが。
(でもまあ、どなたもそれは、現実的にはかなり難しいとは思うけれども。)



で、あとはそうそう、同じ順位に複数というのが、私は好きではないので、その場合は、
・オリコン年間ランキング順位が同じ場合は、レコード・CD売上枚数が多いほうが上

というふうにランク付けしました。

では、いってみましょう!

「何故かNHK紅白歌合戦の出場を逃したアイドルBEST22」です!


……あ、あと、そうそう。(まだ何かあるんかい!笑)
「デビュー年の出場は、実績面からか、見送られる傾向がある」ようなので、デビュー年(前年の10月21日以降のデビュー)のアイドルの曲は、ランキングから外してみました。
但し「グループとして先にデビューし翌年以降ソロデビュー」の場合は、外してません。


とはいえ。

デビュー年に紅白初出場を果たした1980年の、松田聖子氏、岩崎良美氏の例もあるので。
デビュー年に、年間オリコンチャート上位に入った方々(で、「紅白未出場」の方々)一覧を、先に一応、「参考情報」として上げておきたいと思います。

【デビュー年で惜しくも紅白初出場を逃したアイドルランキング】

「オリコン年間順位(年) 名前『曲名』」で表記しております。
※本丸である「デビュー二年目以降のランキング」のほうで、更にオリコン年間ランキング上位を記録した方は、ここには入れていません。
※★印の方については、「デビュー二年目以降のランキング」にも入ってはいるものの、この「デビュー年限定ランキング」よりは順位を下げている方々です。

3位(83年) わらべ「めだかの兄妹」
※わらべについては女性3人組グループだった83年だけ「アイドル」対象としました。
13位(86年) 新田恵利「冬のオペラグラス」
14位(86年) 国生さゆり「バレンタイン・キッス」
24位(86年) 吉沢秋絵「季節はずれの恋」
※85年11月1日デビュー
43位(81年) 伊藤つかさ★「少女人形」
46位(86年) 渡辺美奈代★「瞳に約束」
52位(84年) 渡辺典子「花の色/少年ケニヤ」
53位(82年) 松本伊代★「センチメンタル・ジャーニー」
※81年10月21日デビュー
56位(86年) 西村知美「夢色のメッセージ」
57位(86年) ニャンギラス「私は里歌ちゃん」
58位(86年) 福永恵規「風のInvitation」
62位(87年) BaBe「I don't know!」
63位(84年) 安田成美「風の谷のナウシカ」
72位(86年) 杉浦幸「悲しいな」
74位(86年) 城之内早苗「あじさい橋」
82位(89年) CoCo「EQUALロマンス」


……うんうん、こうしてみると、アイドルに関しては、「デビュー年は紅白出場者に選出しない」という方針は、あながち「間違いではない」という気はするな。

てか、このランキング、半分近くが86年のおニャン子クラブソロデビュー曲で占められてしまっているではないか!(笑)
まあ、つまり、おニャン子を除けば、デビュー年に年間ランキング84位以内に入るというのは、そもそも、なかなかハードルが高いことではあった、とも言えるのかもしれませんね。
(80年代においては少なくとも、「デビュー曲が最高売上枚数」というアイドルは、数としては圧倒的に多いのだが。――概してそういうアイドルの方々は、「2曲目以降、デビュー時の発進力以上の成長力を発揮できずに、つまり売上枚数をそれ以上に大きく伸ばし続ける体力はなかった」というふうにも捉えられるわけですね。)


ではでは。
今度こそ本当に発表いたしましょう!

NHK紅白歌合戦
【出場してもおかしくなかった80年代アイドルランキングBEST22】
※こちらはカウントダウン形式でお送りします!


【第22位】
(83年 80位)藤村美樹「夢・恋・人。」

元キャンディーズのメンバーとしては唯一、伊藤蘭氏も田中好子氏も達成できてない「ソロシングルで年間チャート100位内」を達成。
但し、この曲がリリースされた83年中に御結婚→引退されているので、年末の紅白に出場した可能性は薄いでしょうね。


【第21位】
(84年 74位)松本伊代「時に愛は」


82年組の中では、紅白出場を果たしている堀ちえみ氏(ホリプロ)や石川秀美氏(芸映)よりかは、伊代氏のレコード売上成績は総じて、若干だが、良い気がするのだが……。知名度も負けず劣らずだと思うし。
うむ。やはりこういうのって、「事務所」の大きさの差でしょうか??


【第20位】
(87年 69位)ゆうゆ(岩井由紀子)「天使のボディーガード」

これがソロデビュー曲ですが、うしろゆびさされ組として85年にデビューはしているので、こちらのランキングに入れました。
無論、うしろゆびさされ組としては、もっと上位に食い込んでおります!



【第19位】
(87年 66位)風間三姉妹「Remember」
15.3万枚

浅香唯氏がもっと上位に入っているので、まあ、「風間三姉妹」として紅白出場、というのは、可能性としてあまり考えられないかもですけど。そもそも民放ドラマ「スケバン刑事Ⅲ」から生まれたグループですしね。(笑)
ちなみに、メンバーのうち、浅香唯氏と大西結花氏は85年デビューだが、中村由真氏は87年デビューなので「デビュー年のシングル」ということになってしまう。……どっちに入れようか迷ったが、とりあえずこっちのランキングに入れてみました。



【第18位】
(82年 66位)伊藤つかさ「夕暮れ物語」
20.4万枚

82年当時の紅白は、まだ21時スタートだったので、まず出場はあり得ない……かと思いきや、多分年末には15歳になっていらっしゃったはずなので、あり得たのかも?


【第17位】
(87年 60位)長山洋子「ヴィーナス」


いや、ルール上は、「後に紅白出場を果たしている」歌手になるわけなので、このランキングに入れないのだが、その初出場時は「演歌歌手として」だったので、「アイドルとして初出場できたか?」の可能性の検証として、一応このランキングにも組み込んでみました。



【第16位】
(81年 56位)杉田かおる「鳥の詩」


ドラマ「池中玄太80キロ」挿入歌。
いや、私は、紅白出場、全然あり得ないラインではなかったと思います。
何故なら、81年初出場の河合奈保子さんの「スマイル・フォー・ミー」は、年間ランキング59位で、この曲より下位ですし。
また、この曲だけが突出して有名ですが、杉田さんは70年代に既にレコードデビューもされており、シングルは結構枚数出されております。活動実績も長くあり(というか、俳優としては子役時代から活躍されているから、既に「ベテラン」)お歌もお上手ですし、知名度もあったし。
81年は西田敏行さんも「もしもピアノが弾けたなら」で出場されているし。(こちらもまた同ドラマ「池中玄太80キロ」の主題歌。)
――杉田さんも一緒に出場して共演したって良かった気がするけどなあ??


さて、残すところは、BEST15。
ここからは歌唱映像もあわせてどうぞ!
頭の中で「もう一つの紅白歌合戦」を繰り広げていただければ!!

【第15位】
(84年 54位)倉沢淳美「プロフィール」

ソロデビュー曲。
倉沢さんもメンバーだったユニット、わらべの「もしも明日が…」は、84年の年間チャート1位でした。――とはいえ、まあ、わらべは、民放のバラエティ番組から派生したグループだから、NHKの歌番組である紅白に(特に当時だと)出場は難しかったかもしれないですよね。
でも、「わらべ」での活躍・売上成績も加味し考慮すると、倉沢さんがこの曲で出場というのは、あり得なくはない線だった気もしますが、いかがでしょう??
(――とはいえ、一つ大問題がっ!!
81年当時、松本伊代氏の「センチメンタル・ジャーニー」の歌詞「♪伊代はまだ16だから~」の部分が当時のNHKでは宣伝とみなされNGとなったのなら。
この曲、内容的に、全編通して「宣伝」と見なされ、NGになりかねないのではっ?!)
(って、んなアホなっっ!笑)



【第14位】
(87年 52位)渡辺美奈代「TOO ADULT」


考えてみると、あれだけソロデビュー組がそれぞれ大躍進しながら、最終的に紅白出場を果たせたのは、おニャン子クラブ解体から1年4か月後の工藤静香氏のみだったのかあ、なんてしみじみしつつ。
「おニャン子出身枠からもう一人」となった場合でも、なかなかこの位置だと、出場は難しかったでしょうかね??


【第13位】
(82年 47位)増田けい子「すずめ」


ご存知、ピンクレディーのケイちゃんの、ソロデビュー曲。
ピンクレディーのデビューは76年だから、活動実績は十分だし、ソロで紅白初出場だったら、話題性も十分、もちろん、知名度も高いわけだし、文句なしのヒット曲だし。
……でも、出場できなかったのは、やっぱり、「元・ピンクレディー」だったから?!
なんてことっ!昔のことを根に持つなんてっ!
――NHKのイケズっっ!!(受信料返せっ!笑)



【第12位】
(86年 41位)高井麻巳子「シンデレラたちへの伝言」


まあ、うしろゆびさされ組のほうの曲は、NHK紅白で歌うのは難しかったかもしれない。
「象さん……」とかね。――ん?いったい「象さん」て、何のことだったのだろう?(知らないフリ。笑)
でも、高井麻巳子氏のソロ曲なら、まあまあ、NHKも気に入りそうなラインナップではあるよなあ。


さて、ここから先は、「初出場、本当にあり得たんじゃないか?」のラインに入ってくると思います。


【第11位】
(84年 38位)飯島真理「愛・おぼえていますか」

うむ、この方はアイドルにカテゴライズしていいのか、少し悩みますが。
でもまあ、「紅白出場」、これくらいのヒット曲でこれくらいの年間順位にもなってくると、「文句なし」ではあると思うのだが。



【第10位】
(87年 37位)渡辺満里奈「ホワイトラビットからのメッセージ」
17.4万枚

実は「87年の」年間ランキングのおニャン子クラブ関連シングルの最高位が、この曲なのです。
――86年には、「今年の音楽チャートってば一体どうしちゃったの?」と、社会的狂気をそこに感じるほどの「おニャン子旋風」というか、いろいろアイドル界にも爪痕を残したそれは「大型台風」だったのだけれど、さすがに「嵐」はいつまでも続きませんでしたね。
いや、それにしても、86年中は無理だったとしても、87年になって、おニャン子クラブ自体は8月に解散しちゃったわけだし、その「総まとめ」的な意味で、その年末におニャン子クラブ出身者から誰か出場させる、みたいなことがもしあったなら?――満里奈氏の紅白出場もあり得ない話ではなかった気もするのである。
そもそもこの曲って「あけましておめでとうソング」なので、少しだけ歌詞を変えれば、いや、変えなくても、大晦日にも使えそうですしね。



【第9位】
(84年 37位)MIE「NEVER」
27.4万枚


ピンクレディーのミーちゃんも、ケイちゃんに遅れること二年、無事、ソロで大ヒット曲を出せて、紅白にも初出場――と、いきたいところだったのになあ。
「78年のピンクレディーの出場辞退」は、確かに、世間を騒然とさせたけれど、でも、アーティストの皆さんだって、出場辞退される方ばっかりじゃないですか~。そんなにいつまでも根に持たなくても~、NHK~。
――ヒット曲がない再結成の89年に、ピンクレディーを「懐メロ枠」で使うくらいなら、二人ともそれぞれ、ソロで、ヒット曲を出した年に出場させてあげて欲しかったなあ。




【第8位】
(86年 36位)岡田有希子「くちびるNetwork」


『86年紅白歌合戦 初出場 岡田有希子』

十分にあり得た「世界線」だと思います。
事務所も松田聖子氏と同じ最大手「サンミュージック」だし。
(86年は、聖子氏の産休後復帰の舞台となったから、NHKとしては、どうしても聖子は紅白出場させたかったでしょうし、そうなると、その所属事務所の発言力も、当然大きなものになったと思われますし。)
「くちびるNetwork」の次のシングル「花のイマージュ」も、なかなかの好楽曲だったから、きっと大ヒットしていたのではないかと思うし。
――なーんか、そっちの「並行世界」に、行けるものなら、今からでも行ってみたい。
そんな春です。



【第7位】
(87年 26位)本田美奈子「ONEWAY GENERATION」

86年の「1986年のマリリン」は年間チャート32位まで食い込んだし、やはり86年か87年で、美奈子氏は出場してもよかったと思うのだが?!?!
――正直、オリコンのランキングに基づかないで「個人的主観」でランキング作るなら、「一番出場してもおかしくない80年代アイドル」だったと、私個人としては思う。
何故なら、歌唱力はやはり、80年代後半初出場組の他のアイドルと比べても、突出していると思うから。
パフォーマンスの卓越度合いも文句なし。
そして、ヒット度合いも、この二曲については申し分ないと思うし。
まあ、80年代が無理なら、90年代以降も、ミュージカルやクラシック歌手として、絶大なる存在感を示していたのだから、どこかで「初出場」となってもおかしくなかった気がしている。
(多分、御本人も、一回くらいは出場したかったのではないかなあ、なんて、なんとなく思ってしまう。わからないことだけどね。)



【第6位】
(86年 23位)おニャン子クラブ「じゃあね」

と、いうわけで。
「当時の」紅白では、出場はなかなか叶わなかったであろう、「台風の目」おニャン子クラブの母体が、ここにランクインしてまいりました。
でも、今の感覚の出場者選考だったら、これだけ「一大ブーム」を巻き起こしたわけだし、ソロデビュー組のメドレー含めて、「初出場」していたんじゃないかなあ??なんて思うが。

こんな感じで。

とはいえ。
「クラブ母体」より「ソロ組」のシングルのほうが、実は、売上として好成績を残していたりもするわけなのである。
さてさて。
――おニャン子クラブソロデビュー組で、まだ名前が出てきていないのは、はたして?!



【第5位】
(88年 17位)浅香唯「C-Girl」
27.8万枚

この88年まで、紅白は21時スタートの構成だった。
従って、放送時間が短いその分、出場者枠も、少なかったわけである。
いや、印象として、89年以降のほうがやはり、「出場しやすい紅白」という気はする。
88年までは、熾烈な「出場枠獲り競争」が繰り広げられていたなあ、と思う。
88年のアイドル出場枠は「5」。
初出場が、中山美穂、工藤静香。
あとの出場者は、小泉今日子、中森明菜、松田聖子。
――うーん、なかなかこれは。
88年、絶好調の浅香さんとしても、ここに割って入るのは、なあ?
(純粋にシングル売上枚数順だったら、聖子とキョンキョンを押しのけて、ギリギリ5番目には入れるんだけど。)

この年に限らず、80年代後半は概して、紅白のアイドル出場枠は、「激戦にも程がある」(笑)のだよなあ。



【第4位】
(86年 17位)うしろゆびさされ組「バナナの涙」
31.0万枚

うむ。
この歌の歌詞を「深読み」するほうが、よっぽどどうかしているのである!
――ましてや、「天下のNHK様」が、「バナナの涙」というこのタイトルを、何事かの「比喩」だなんて思うわけがないのである!(あり得ないですッ!けしからんですッ!)
――ああ、大晦日のNHKホールに響き渡る、「バーナーナーの~、なーみだ~!」の大合唱を、私は聴きたかったですよ。
それを国民世帯の半分近くが、もしかすると「家族団欒」で、聴いていると思うと、ね。
これ以上平和な年の瀬が、この世に存在するでしょうか。(笑)



【第3位】
(88年 11位)南野陽子「吐息でネット」
30.4万枚

いや、先述の通り、88年は大激戦ではあった。
……あったのだけど、でもナンノは本来これ、出場できたんじゃないのかなあ??
この年のシングル4枚(87年12月リリース「はいからさんが通る」も含む)はどれも25万枚以上の好成績だったし。
アルバム『NANNO-Singles』も、50万枚近く売り上げて、この年の年間アルバムランキング11位に入っていたし。
おまけに、この年のNHK大河ドラマにまで出演している。(超多忙なスケジュールの中での、絶対これは「紅白出場に繋げるため」の大河出演だったと私は思う。)
前年、87年もシングル年間ランク最高位は「楽園のDoor」の14位と好成績だったわけだし。
そして何より、御本人の性格からして、「絶対、紅白は出たい!」と思っていたんじゃないかなあ???
でも、……88年、出場できなかったんだよなあ。
そりゃあ、この2年後に、「へんなの!」って歌いたくもなるわなあ、ナンノさんも!(笑)





【第2位】
(85年 11位)菊池桃子「卒業-GRADUATION-」
39.4万枚

84年から87年にかけて、シングルは7作連続オリコン1位、30万枚越え3作品、20万枚越え4作品。
アルバムも、30万枚越え2作品、20万枚越え2作品。
――うーん、シングル・アルバム共に、「レコード売上」成績は、どう考えても紅白出場に値するはず。
が、しかし、これは憶測だが、桃子氏が所属していたのは、杉山清貴氏などが所属する「音楽事務所」(「トライアングル・プロダクション」――角松敏生氏もデビュー時に所属していた)であり、まあ、あまり「紅白?ぜひ出場したい!」という感じでもなかったのかも?ですね。
(当時の紅白って総じて、NHKも「出たいなら出してあげてもいいけど?」って、上から来る感じでしたもんね。)
「アルバム主体で売りたいアイドル」というコンセプトなら、もしかすると「紅白には出ない」というのが、ある種の「姿勢」というか「スタイル」というか、言うなれば「戦略」として、あったのかもしれないですよね。

ま、薬師丸さん同様、これだけ確固たる人気が既に築けていれば、「紅白は別に必要ではない」という判断に傾いたのかも?――「むしろ出場することにより、他の活動の支障になったり、本人のイメージダウンにもなりかねない」という考えも、あって然りだったかもしれないですよね。
あれだけ大きな番組だと一回の出演だけでもその影響力は大きすぎるから、「諸刃の剣」になる場合もあり得ますもんね。(という、ま、ここは完全に私の憶測ですけどね。笑)




そして。
いよいよ、第1位!
――オリコン年間ランキングで見た場合、
最も「紅白初出場」に近かったはずのアイドルは?!

【第1位】
(86年 10位)河合その子「青いスタスィオン」

おニャン子クラブ86年の「大旋風」が、今回の記事の1位まで、かっさらっていってしまった!!
まあ、おニャン子解散前までに限定すれば、「最も売れたおニャン子クラブ関連作品」が、河合その子氏のこの曲なのである。
うーむ、でも、86年末、河合その子氏が「紅白初出場」をすることにより、「おニャン子ブーム」を紅白としても総括する、という意味では、これもまた、あり得ないことではなかったのではないかなあ、なんて私は思うのだが。
そして、その子氏がおニャン子クラブを「卒業」したのも、86年3月と早かった。(余談:今現在でもよく使われているが、アイドル等のグループからの「脱退」が、「卒業」という言い方に変換されたのも、ここが始まりじゃないかな?もしかすると。)
(話を戻して、)もしかすると、いち早くおニャン子を抜けることにより、「紅白出場」なども視野に入れられる、アイドルとしての「確固たる立ち位置」を獲得しようとしていたのではないかな(事務所戦略としては)、なんて私は憶測するが。
――いや、どうしても、「おニャン子クラブの」とか「おニャン子出身」とか、そういう肩書が付きまとうと、「御本人」の存在感自体は、その分薄まる訳だし、――そして、NHKの番組としても、使いにくいところはあるだろうし。
86年末には、5thシングルで、NHKの歌番組にも登場していたし、まあ、売上枚数としては、「紅白初出場」に値する成績は残せているわけだし、事務所も大手の「渡辺プロ」だし。
あり得ない話ではなかった?かも??
うーむ。
河合その子氏がこのランキングで「1位」なったのは、正直、意外ではありつつも。
事実上、この方こそが、「紅白初出場」に一番近づいた(が、届かなかった)アイドルでした。


と、いうわけで。

なかなか今回のランキングも、作っていて面白かった。
(「オタク記事」は、「自己満足」こそが「命」です。笑)

「アイドル全盛期」――一番「アイドルPOPS」が華やかなりし「80年代」にこそ、もっと「アイドル出場枠」を広げて欲しかったなあ!
大晦日のNHKホールからの生放送で、これらの歌唱を観たかったなあ!!
という、この感想につきます。

やっぱり、アイドルあっての紅白歌合戦じゃないですか?

「アイドル紅白」は、最高だ!!!



――って、いやいや!

「80年代アイドル紅白」について知りたいのは、
「80年代の10年間の中で誰が最も」
ではなくて、
「80年代中の『各年毎に』誰が最も」
紅白出場に近かったのか
(近かったのに惜しくも逃したのか)。

つまり
リアルに誰が各年の紅白出場「次点候補」だったのか』
だったんだけどな~。

……という、そんなアナタ様のために!

こちらの記事もご用意しました!

「各年毎での」出場次点候補を、オリコンデータから徹底検証!

今回のこの記事を楽しんでいただけた方なら、こちらもきっと、楽しんでいただけるに違いないです!

よろしかったら、お立ち寄りくださいね!!


今回は以上です!

この記事が参加している募集

私のプレイリスト