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昭憲皇太后『明治孝節録』は「孝悌忠信」の話を集めたもの

明治天皇のお后様 昭憲皇太后がとても人徳溢れる方でいらっしゃったという話は聞いたことがある方も多いと思います。

昭憲皇太后が福村美静(ふくむらびせい)に編纂を命じた『明治孝節録(めいじこうせつろく)』という本があります。

『明治孝節録』は、親に孝を尽くしたり、あるいは節操を守ったり、あるいは人として立派な行いをした人々の事を具体的に記録したもの。特に高等教育を受けた役人や身分の高い人ではない普通の国民の見習うべき生き様をまとめたものです。

当時新聞に掲載されたりしたものを集めたところもあると、『明治孝節録』編纂にかかわった人のどなたかの話を読みました(誰の何と言った表現かを記憶していなくてスミマセン)


この『明治孝節録』のなかに、「いち女」という話があります。

豊前(ぶぜん)の国(福岡県ですね)にあるイチという名のお嫁さんがいました。旦那さんとその弟は重い病気を患っていて仕事が出来ず、舅や姑さんも眼病を患ってしまい、田んぼに出てお米を作ることができるのはイチひとり。貧窮を極めるようになっていったそうです。
しかし、イチは「孝悌の道を尽くして」看病をしご飯をつくり、田畑を耕し、一日二度も薪を取り市場に行って売るなどして、一家四人を養っていました。
その苦労たるや口にすることも出来ないほどのものでした。
夫の彌兵衛(やへゑ)はイチの苦労を見かねて言いました。
「自分は不幸にしてこの病気にかかってから、自分の体を自分でみるのさえ嫌である。況や他の人はどんなに嫌であろう。お前はまだ年も若いから、実家に帰って他所に縁づいてくれ」と丁寧に話しました。これを聞いてイチが涙を流して答えて言うのには、
「あぁ、これはなんという情けないことを言われますか。夫婦はひとつ体。あなたの不幸は私の不幸でもあります。無事安楽の時は夫婦になり、病気になって離別するようなら、妻を持つ必要はありません。あなたはそんなことを考えて、徒に病態をなやますことをなさいますな。」
といって、ますます真心を尽くして看病をしましたが、彌兵衛の病態は悪化し亡くなってしまいます。イチは涙にくれ、ご飯ものどを通らず嘆き悲しみます。
葬儀の後は貞節を守り、舅姑と弟に仕え孝養につくしていましたが、これを不憫に思う人がいて、他の家にお嫁に行ったらどうかと諭そうとする人もいましたが、イチやかたくなに拒み、
「自分は年は若いとはいえ、ひとたび人の妻になった者が再縁するということは、女の道に背いている。まして、家には盲目の姑や体がきかない義理の弟がいる。自分が見捨てたならば、誰によって命を保つことが出来ましょうか。自分は誓ってふたりの夫は持たない。」といって、貞節を守り孝養をつくしました。イチの孝養に領主が感じて、時々金銭やお米をご褒美としてくださり、イチの死後は碑を建ててイチの孝養を称えたそうです。


こういう話を聞く機会って、最近絶えてないような気がしないでもありません。よね。

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