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桜の下で生まれたリリックを

1年が経った。
桜の花が開く時期に、今の施設でお世話になることになった。

本当に自由にのびのびやらせてもらっている。今の職場に来るまでに2つの職場で働いたのだけれど、介護現場ほど働きやすさが働く環境に依存している業界もないように感じる。
施設や設備の充実、会社の仕組みや方針もさることながら、その現場で働く人のとの相性などもかなり影響する。自分に合った職場に出会うことが、介護職を長く楽しく続けるコツといっていいと思う。
大規模な施設、小規模な施設、娯楽を重視する方針、リハビリメインの現場、ややこしい介護保険制度の枠組みが、より一層働きやすさの足を引っ張っているようにも感じる。本来は介護が必要な方の多様性を担保するためのものだが、被介護者と介護者は表裏一体なのだ。片方のシーソーに体重が多く乗っかれば、片方は地に足がつかないほど浮いてしまうのも。

将来はどうなるのだろう。
ぼくは今のままの考え方、あり方で居れるのだろうか。
いつだって利用者さんは変わらない。

このnote自体は、昨年の10月くらいから毎日書いている。連続更新も100日を過ぎ、1年の3分の1は毎日文章と自分と向き合う日々が続いている。

義務感はまったくない。
なんなら書きたいことはまだまだある。

たまたま、あるラッパーグループのヒストリー動画を見ていた。
幼少期のころから犯罪に手を染め、国家に捕まり、友達は亡くなり。薬やギャンブルに手を出し社会の底辺を彷徨う。
そんな彼らが、ラップと出会い日々の葛藤や不満をリリックとしてビートに乗せていく。壮絶な経験をパンチラインとしてフロウに乗せていく。聴衆の心を掴みどんどんアンダーグラウンドのスターへと上り詰めていくストーリーとドキュメント。

「頭の中の映像をリリックにしているだけ」

ラッパーはそう語っていた。

確かに、ぼくも介護現場での日常を映像として記憶している。noteを書く時は大体頭の中の情景を文章に落とし込んで、感情に名前をつけているだけのこと。

喜びも悲しみも、不満や怒りも、
映像で記憶して介護現場から持ち帰っている。

ぼくは音楽で言えばロックが好きだし、社会の裏側やギャンブルみたいなことには全く興味がない。しかし、そのラッパーのクリエイティビティには共感し気付かされることがたくさんあった。

桜の季節は別れの季節。そして出会いの季節。

風に吹かれて散っていく桜の花びらは、
じいちゃんばあちゃんの肩で少し休憩をして、
そして土に還っていく。

また来年も、年老いた止まり木たちと一緒に、
桜を見に来ようと思う。

ぼくは日々、成長を綴っていく。

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介護は大変。介護職はキツイ。そんなネガティブなイメージを覆したいと思っています。介護職は人間的成長ができるクリエイティブで素晴らしい仕事です。家族介護者の方も支援していけるように、この活動を応援してください!よろしくお願いいたします。